■「地球最後の二人」「海」「惑星」「コロニー」■
みんなでSF


 まっすぐと歩いていた。
 どこまでも続くように錯覚させられる、舗装された道を娘は歩き続けていた。
 東へ、東へと。
 海のある場所、太陽が昇る場所へ。
 迷いもなく、しっかりとした足取りで歩いていく。
 やがて、たどりつく。約束の場所に――。


・地球から人類が消滅するまで、あと336時間――宇宙港<ポート> JS‐ポート

 ――まったく、困ったもんですね
 ――まさか、こんなことになるなんて。私が子どもだったころには、考えてもみませんでしたよ
 ――ママぁ〜!!
 ――あの大統領で……大丈夫なのかしら
 ――すげぇー、楽しみなんだけど!
 ――わかる、わかる
 ――はぁ

 JS−ポートはいつになく混んでいて、花束を抱えたチアキ・ハセガワは眉をひそめた。
 何となく視線が集まってくるのだ。
 好奇心丸出しの直視は、まだマシ。
 チラチラとこちらを見て、含み笑いを浮かべる大人どもが一番タチが悪い。
 チアキは、不機嫌にポート内を横断する。
 探し人が見つからないのだ、仕方がない。
 10分ほど歩いたところでようやく、探し人を見つける。
 大昔の映像ディスクの中にいるような格好の女性が立っていた。
 白い日傘に、つばの広い帽子、ロングドレスに、手袋。
 世界一周旅行にでも出てくれそうな勢いだ。
 優しげな顔立ちに、微笑みをにじませた妙齢の女性に、チアキは近づく。
 相手もこちらに気がついたのか、女性は軽く手をあげる。
「チアキちゃん。
 何て格好しているの?」
 女性――ハルカ・モリヤは呆れたように言った。
 ライトグレーのジャケットに、洗いざらしのT‐シャツ、ジーンズに、スニーカー。
 チアキの格好は、ポート内では浮いていた。
 が、時代錯誤どころの騒ぎでない格好の女には言われたくない。
「モリヤさんに言われたくないし」
「旅立ちの装いよ。
 綺麗でしょ」
 ハルカはその場でクルッと一回りしてみせる。
 手の込んだドレスの裾がフワッと広がる。
 クラシックレースがひらりとひるがえるのが、映像ディスクのように見えた。
 残念ながら、チアキは度し難い懐古趣味は持ち合わせていなかった。
 時を止めたアンティークたちだ……と思っただけだった。
 困ったように笑い
「はい、餞別」
 チアキは抱えていた花束を渡す。
「あら、ありがとう。
 造花じゃないのね」
 良い香り、と花に顔をうずめ、ハルカは言った。
「そっちのほうが良かった?」
「まさか。
 嬉しいわ、ありがとう。
 別に、運び屋を使っても良かったのに」
「下見がてらに」
「……今、なんて?
 聞こえかなかったから、もう一度」
「あ、こっちのこと。
 んじゃあ、これで。帰るよ」
 チアキは言った。
「一緒に行かない?」
「あー、遠慮しておく。
 それに、その件はよーく話あったし。……ね」
「でも諦めきれないのよ」
「モリヤさんは、おっせかい」
 チアキは小さく笑った。
 それに、ハルカは微苦笑を浮かべた。
 用件はすんだ。
 チアキは時代錯誤の貴婦人に背を向ける。
「じゃあ、またね」
 ハルカの名残惜しそうな声が届く。
「そういうことにしておいて」
 雑踏にまぎれる前に、一度だけ振り返って、友人を見る。
 ハルカは微笑んでいた。
 つられてチアキも微笑んだ。

・地球から人類が消滅するまであと24時間――エリアJ‐H

 手つかずの自然を遺そうとして、遺せなかった場所に若い女はたたずんでいた。
 カーキ色のジャケットの下にコットンシャツ、インディゴ色のジーンズ、スニーカー。明るいオレンジのデイパック。と、旅行者らしい姿だった。
 やや軽装といえなくもないが、都市部に向かうならば関係がない。
 この季節、珍しくもない旅行者らしい旅行者だった。
 気軽な一人旅のような雰囲気の若い女――チアキ・ハセガワは、どこまでも広がる大地で大きく息を吸い込んだ。
「ひっろーい! 大きーい!!」
 声の続く限り叫ぶ。
 肌を切るように吹く風が、ありきたりなメゾソプラノをのせていく。
 誰もいない、どこまでも広がるパノラマを、チアキは見つめ続ける。
 あるのは空と、雪の落ちた草原だけだった。
 空が青い。
 流れる雲との対比が痛いぐらいに、澄んだ青だった。
 生命を拒絶する砂漠のど真ん中で見る空と同じくらいに『青い』と思った。
 それは哀しいけれど、不幸ではないように思えた。
 この世界で一番美しい空を見上げている。
 原初の地球には劣るだろう。
 人類が初めて見上げた空には、敵わないだろう。
 だけれども『今』これ以上の青空は知らない。
 19年間生きてきた中で、一番キレイな空だった。
 だから、チアキにとって最高で、最上の空だった。
「……誰もいない」
 当たり前のことをつぶやいた。
 ほんの2、3週間前なら、観光客でにぎわっていたのかもしれない。
 ここは有名な観光地だった。
 J−Hへ来るための特別列車のチケットは一月待ちが当たり前で、発売と同時に売切れてしまうのだ。
 特等席のために、半年前や一年前から待つ人種もいたぐらいだ。
 今日、チアキは特別列車の特等席に座って、ここまで来た。
 チケットは予約していなかった。
 プレミアもののチケットを買うお金なんて、チアキは持ち合わせているはずもない。
 乗れたのは偶然。乗ってきたのも偶然。
 こんな状況で観光をしようと思う人間なんていない。と、多くの人間が考えた。
 常識というものは、その程度の認識で作られる。
 その結果、チアキは乗れてしまったのだ。
 常識を破ったつもりはない。
 保守的で、内向的で、優柔不断なチアキは、ギリギリの土壇場だからこそ、追い詰められるように決断したのだ。
 消去法と差異はない。
 長いかもしれない人生の最大で、最後のチャンス。これを逃したら、もう二度と機会がないかもしれない。
 そんな理由で、生まれて初めての旅行に出たのだ。
 後悔はじわじわとしているが、決断まで後悔はしていない。
 貴重な思い出づくりだ。
「ありがとー!!」
 チアキは叫んだ。
 面と向かったら気恥ずかしくて、とてもじゃないけど言えないこと。
 『誰か』が聴いている可能性もなくはなかったが、見えてない人間はカウントしないことにした。
 

・地球から人類が消滅するまであと12時間――トレイン『A‐08』

 技術というのは、驚くほどのろい歩みで進歩したかと思うと、飛躍的に伸びたりする。
 後に宇宙元年とされる年、亜光速跳躍法<リープ>が開発された。
 画期的な宇宙航法で、とうとう人類は光の速さに近づいたのだった。
 宇宙基地の増産、人口天体<コロニー>移住計画立案。
 人類は夢の世界へ飛び出した。
 いくつかのいざこざを体験し、数多くの発見をものにした。
 悲惨なるファーストコンタクト、他の惑星の地球化<エデン>計画、領土問題と、宇宙を知った人類の歴史は刻まれていく。
 華々しい発見の連続も、チアキにとっては祖父母の時代。
 体感のない、歴史的認識の中だ。
 チアキの生まれ育ったハセガワ家は、この時代でも「家」と名乗るぐらいには保守的だった。
 報道機関が地表主義と呼ぶ、惑星から一生出ない人間たちの集まりだった。
 自慢は、親戚一同、宇宙に出たことがない。
 『金属の塊が宙を跳ぶなんてありえない』
 それが祖父の口ぐせだったらしい。
 低所得者であっても、人生に一度ぐらいは宇宙旅行をし、気が向いた人にいたっては、宇宙空間で生活する時代である。
 そのための宇宙港であり、コロニーだ。
 政府の思惑も何その。
 ハセガワ家はいたってマイペースに日々を送っていた。
 あの日までは。

「植物の灰に砂を混ぜて、神の火で焼いて、小さく砕いてばらまいて……。
 って、何だっけ。
 ……思い出せない」
 チアキは言った。
 声の届く範囲に人がいないのだから、完全に独り言だ。
 乗客一名の車両は、滑るように街を抜けていく。
 夜になった街は、ネオンすら灯らずに、生命の輝きが見当たらなかった。
 あるのは、ぽっかりと空いた常闇。
 それと、無数の星。
 目を凝らせば見つけられるだろうか。
 <コロニー>も<エデン>も、星に違いない。
 人類を生み出した地球も、育んだ太陽も、きっと想像しなかっただろう。
 勝手に星を増やすだなんて。
 100年前よりも、宇宙には星の数が増えた。
 にぎやかになった宙は、はたして喜んでいるのだろうか。
「そういえば、みんなどうしたんだろ?」
 かつては通勤通学に使われた車両も、チアキ一人のために動いている。
 電力の無駄もいいところだが、技術の恩恵は受けとく主義なので、チアキは迷わず乗った。
 出入り口近くの電光掲示板は、オレンジの光で目的地を示し続ける。
 変わっていく駅名は、ほとんど知らないものだ。
 未知の世界へ飛び出した気分になる。
 武器は何一つない。
 不安に侵食されそうになる。
 チアキは膝の上のデイパックを抱えなおした。
 今頃、家族と呼べるような人たちは、どうしているのだろうか。
 独り立ちしてからは、連絡を取り合うことも減った。
 寂しさよりも、面倒くささが先立って、一年に一度連絡すれば良いほうだった。
 さすがに、こんな局面にもなると、心配になったりする。
 だからといって、連絡はしない。
 そんなことをすれば、どうなるか結果が見えている。
 チアキは腕時計をチラリと確認する。
「あと、半日」
 ルートは頭の中に入っている。
 何度も確認したし、下見もした。
 時間も余裕がある。
 事故でも起きない限り、時間切れになることはないし、時間切れになったらなったで、それでもかまわない。
 大丈夫、と自分に言い聞かせる。
「……大丈夫」
 声に出して、不安を減らす。
 チアキは大きく息を吸い込んで、ゆっくりと息を吐き出した。
「何とかなる」
 ようやくやってきた眠気に、体を受け渡す。
 星の間を駆け抜けるような車両に、思い出しかける。
 あれは、祖母が好きだった、話だ。
 夜、銀河を走る……列車の……話。
 金剛石をまいた。ような夜空を、旅する少年……の……。


・地球から人類が消滅するまであと4時間――エリアJ‐T

 目を覚ましたら、終点だった。
 隣には薄倖の少年はいなかった。……わかりきった現実はそんなものだ。
 トレイン『A‐08』の座席シートは心地よく、うっかり横になっていた。
 チアキ一人だったからいいものの、他に乗客がいたら、多大なる迷惑になっていただろう。
 眠っている間に、世界は朝を迎えていた。
 そこからさらに乗り継いで、ようやくエリアJ‐Tに入った。
 この州の中心地。州都と呼ばれる場所だ。
 人生初や人生最大を連続で体験し続けると、感動も薄れるものだが、とりあえず人生最長の乗車時間だった。
 もっと短く、楽に、旅行ができないわけじゃないが、チアキはメンドーな方を選んでいる。
 チアキは舗装された道を歩き出す。
 かつての州都も閑散としたもので、人の気配というものがなかった。
 この世界のどこでもそうなのかと思うと、奇妙な感じだった。
 地球から人類がいなくなる理由は、隕石の激突でもなく、宇宙人の来襲でもない。
「SF小説家も大変だ」
 チアキは笑う。
 科学は日進月歩。
 昨日のものはカビ臭くなり、半歩先のものはすぐさま現実になってしまう。
 未来はすでに現在になり、あっという間に過去になる。
 振り返ることばかりが得意なチアキは、さしずめ生きた化石だろうか。
 このまま地表に貼りついて、誰かに発見されるまで眠るのも良いかも。
 かつてチアキだった固体は生命のゆりかごになる。
「わたし、一人で46億年を振り返る」
 口に出してみると、気分がいい。
 自分が女王陛下にでもなったかのようだ。
 海から始まった遺伝子の記憶は、全部持っている。
 チアキの体は、覚えている。
 人類のすべてがそうであるように、進化の記録が刻まれている。
「ある日、わたしは発見される。
 宇宙人は、わたしを解剖して、標本を作るんだ。
 もしかしたら、クローニングするかもしれない」
 そこでチアキは言葉を切る。
 自分のクローンは、何を話すんだろうか。
 脳まで再生できるのだろうか。
 チアキの海馬は何を覚えていてくれるのだろうか。
「何も覚えてないかも。
 まあ、メディアにでも記録しておかないと、脳の再生はムダだし。
 あ、でも、宇宙人にとって酸素が有害だったりして。
 そうしたら、劣悪な環境に見えるよね、ここ」
 チアキは四角に切り取られた空を見る。
 21時間前に見たおわん型の空とは違う形。
 もちろん、336時間前の空とも違う色。
 新しい空を見る。
 これから、もっとキレイになる空だ。
「よし! 歩くぞ」
 気を取り直して、チアキは足を進める。


・地球から人類が消滅するまであと117分――エリアJ‐Tの中心地近く

 チアキは腕時計を見る。
 見間違いをしないように配慮された24時間計は『117』となっていた。
「あれ?」
 前に見たときは『09:57』と表示されていた……。
「2時間切ると、こんな風になるってことか。
 時限爆弾みたいだな」
 大差ないのかもしれない。
 ゼロになったら、爆発するかもしれない。
 その可能性も、なくはなかった。
 腕時計を支給したお役所が短気じゃないことを祈るのみだ。
「どっちでもいいか。
 とりあえず、何か飲み物っと」
 道端に設置してある自動販売機に近寄る。
    キュルリィ  リィィャン
 機械特有の起動音と共に、本体がパッと発光する。
『いらっしゃいませ。何をお求めでしょうか?』
 愛想の良い自動販売機は、好感の持てる女性の声で話す。
「えーと……」
 ズボンのポケットから電子貨幣<カード>を取り出しかけて、しまいなおす。
 334時間前だか、333時間前の、つまりは2週間前から<カード>は使えなくなっているのだ。
 人類は減少傾向にある。
 お金のやり取りは、意味のないものになってしまった。
 少なくとも、この地球上では。
 貨幣経済の破綻間際の苦肉策。
 チアキはデイパックのポケットから、IDカードを取り出す。
 表面の盛り上がった英数字は『J‐S‐213509』。
 チアキ・ハセガワを意味する英数字だ。
 下6桁が数字だけで構成されているのがちょっとした自慢だったりする。
 自動販売機のスロットにIDカードをスキャンさせる。
『チアキ・ハセガワ様ですね』
 初対面の機械に名前を呼ばれる。
 くりかえしても慣れないものは、世の中に五万とある。
 きっとこれを考えた政府のお偉いさんや、人権保護団体さんは、親切のつもりだったのだろう。
 市民番号で呼ばれるほうがマシだったと思う。
 文句をつけようにも、考えた人たちはお空の上なのだ。
 つけようがない。
「んー」
 ふと思い立って、缶ビールのスイッチを押してみる。
 生真面目なチアキはこれまで買ったことがないが、<カード>で購入できるはずのものだ。
『エリアJ−Sの法令で、20歳未満の方にはお売りできません。
 ご了承くださいませ』
「うわっ、スゴイ!
 自販機全部、IDカード式にしちゃえばいいのに。
 社会問題一つ片付くし」
 感心しながら、チアキはアイスウーロン茶のスイッチを押す。
『お品物になります。どうもありがとうございました』
 チアキの腰の辺りで自動扉が開き、缶のウーロン茶が出てくる。
「冷たっ!」
 缶を受け取ると、チアキは再び歩き出す。
 自動販売機はシュンと音を立て、休止モードに入る。
 手の平で缶の冷たさを楽しんだ後、プルタブを上げる。
 気温、湿度共に調整された都市部は、軽い運動に適していない。
 少し動くと、うっすらと汗をかくのだ。
 喉も乾く。
 トイレが近くならないのは、幸いだろう。
 350mlの缶をグビグビと飲み干す。
「熱中症になったら、どうするんだろ?
 …………ごちそうさまっと」
 チアキは道端に設置された、小型の半円形のフォルムを持つ機械に向かって、空き缶を投げる。
 空き缶は、チアキの期待を裏切って、明後日の方向に飛んでいってしまう。
 が、小さな機械――都市部小型清掃機械は起動して、伸縮式のアームで空き缶をキャッチする。
 それを横目で見ながら、チアキは足を進める。
 この世界は人間がいなくても、管理されている。
 食べるものも困らず、寒さを知らず、お金も存在せず、身分や階級もなく、優劣もない。
 理想郷とは、こんな世界を指すのかもしれない。
 人間を介在しないからこその……。
 チアキは大きく息を吐き出した。
 複雑な気分になる。
 目的地まで、あと少し。
 鈍くなりがちな足を叱咤激励する。
 旅行には出発と到着があるのだ。
 留まることはできない。
 必ず、目的地へ向かう。
 それが約束なのだ。
 この選択をしたのは自分なのだから、と弱くなっていく心を励ます。
 太陽の向かう先とは逆方向を、まっすぐと歩く。
 海に向かって、ひたすら歩く。


・地球から人類が消滅するまで、あと52分――宇宙港<ポート> JS‐ポート

 世界でも有数のポートであるJS‐ポートは、海の上にある。
 穏やかな海と呼ばれた海域に、どーんっとある。
 開発当初、住民はこぞって反対した。
 景観を損ねるためだ。
 税金の無駄遣いと言われ続けたそこに、チアキは到着した。
 ハセガワ家の人間には、縁遠そうな場所だったが、仕方がない。
 逆らうほどの理由もなければ、根性もなかった。
 チアキは、一階の自動扉前で歩いてきた道を振り返り、それから周囲を見渡した。
 最後の機会だと思うと、どれも輝いて見える。
 潮の香りも、波の心地よい音も、二つの境界線のない青も。
 眼前に広がる狭い海に、時間が迫っていることを忘れてしまう。
「海だ」
 胸のうちに、言いようのない喜びが湧き上がってくる。
 懐かしい故郷に帰ってきたような気がする。
 チアキの生まれた場所は、山もなければ、海もない、舗装された地面があるだけの商業都市だった。
 この間、下見に来たときは感じなかった気持ちだ。
 一度、遠くへ行ったから気がついた。
 海が目の前に存在している。
 今にも『ただいま』という言葉がこぼれそうだった。
 海から生まれた生物は、海から切り離せない。
 いつまでも、ここにいたいと思った。
 でも、時間は残り少ない。
 チアキは約束の履行のために、のろのろと自動扉をくぐる。
 ゲート付近に、黒服の男がいた。
 かっちりとしたブラックスーツに、革靴。
 撫でつけてある髪まで黒いから、本当に黒尽くめだ。
「お待ちしていました」
 良く見ると、まだ若い。
 20代半ば……と言ったところだろうか。
 エリートだ。
「市民番号J‐S‐213509です」
 チアキはデイパックからIDカードを取り出す。
 手の平サイズの端末機に磁気ディスクを通すと、ピーッと音が鳴る。
 何度聴いても慣れない音に、チアキは眉をひそめる。
「初めまして、チアキ・ハセガワさん。
 ショウ・ヨコヤマです」
 読み取りの終わったIDカードは、チアキに返される。
「あなたで最後です」
「……遅刻はしていませんよね」
 チラッと腕時計を確認した。
 約束の時間まで、まだ30分もある。
「余裕を持って出立する人が多かったので、予想外でした。
 どうぞ、こちらです」
 ショウは淡々と言う。
「あ、はい」
 チアキは、黒服の男の後を追う。
 見送りにポート内に入ったことはあるものの、ゲートの先は踏み込んだことがない。
 はぐれたら、迷子になる。
 ……これだけ人がいないと、はぐれようもないけれど。
 仮にはぐれたとしても、ショウ・ヨコヤマが見つけ出して、きちんと目的地まで連れて行ってくれるだろう。
「あの……、その……いえ、すみません」
「質問等あるようでしたら、お答えいたします」
「いえ、その。
 あのですね。
 わたしで最後なんですか?」
「はい」
「罰とか、受けるんでしょうか」
「いいえ。
 罰則の規程はありません」
「もし遅れたら、どうなっていたんですか?」
「事前に通達してあるように、IDカードで所在地の確認をしていました。
 規定F‐2の基準を満たした場合、強制執行するだけです。
 制限時間以内に到着しない……つまり、遅刻も異常行動の一つです。
 あと10分遅ければ、迎えに行きました」
「……お仕事、大変ですね」
 公務員なんてなるもんじゃないな。
 いくら名誉がついてくるとはいえ……と、堅苦しい青年の背を見ながら、チアキは思った。
「市民の皆様は、物分りがよく助かっています」
 二人は直通エレベーターに乗り込む。
 エレベーターはガラス張りで、JS−ポートの全体が見える。
 海に浮かぶ泡のような島だった。
 思ったよりも小さい。
 いや、地表から離れていっているために、そう感じるだけだ。
 指紋をベタベタとつけながら、チアキは外を眺める。
「ご存知でしょうが、確認のため今一度説明をいたします。
 この説明は法律で定められているものです。
 よろしいでしょうか?」
「はい」
 チアキは背筋を伸ばして、ショウを見上げる。
「外を見たままでもかまいません。
 静かに聴いていただければ、問題はありません」
「ヨコヤマさんは、優しいみたいですね」
「私は、地表主義を尊重しております」
 ショウに淡々と言われ、チアキは途惑う。
 あまり嬉しくなかった。
 社交辞令やお世辞にしか取れない。
 チアキは、複雑な心境のまま外を眺める。
「このエレベーターを出た後は、地球法は無効になります。
 替わって、銀河標準法が適用されます。
 地球から<リープ>に入るまでの間、親族であっても連絡を取り合うことが禁止されています。
 また<リープ>中は、人工睡眠……俗に<キャスケット>に入っていただきます。
 期間は、特に問題がなければ、銀河標準単位で720時間の予定です。
 期間中は栄養点滴によって体を保持します。
 この方法は安全かつ効率がよく、宇宙航行では一般的な――」
 ショウは宇宙旅行の基本を説明していく。
 何度も講習会に通い、耳にたこができるほど聴かされた話だった。
「――それと、<リープ>直前に一度だけ、地球を見ることが可能です。
 希望しますか?」
「え?」
 話の締めが、講習会とは違っていた。
 チアキはショウを見た。
「希望者の方だけです」
「希望します!!」
「わかりました。
 話は以上です。
 ……、プライベートな質問をしてもかまいませんか?」
 チアキは首を縦に振った。
「資料を拝見させていただきました。
 何故、あなたは2週間前に乗船しなかったのですか?」
「ギリギリまで、地球にいたかったから……ですけど。
 地表主義、で。
 書類に不備でもありました?」
 チアキはビクビクしながら言った。
 やましいことは一つもしていない……つもりだ。
 どこかで、何か失敗をしているかもしれない……けど。
「いえ、受理されたからこそ、あなたは今日まで自由に動けたのです。
 書類に問題はありません。
 ただ……、故郷へ帰るわけでもなく、自暴自棄な行動をするわけでもなかった。
 仮に誰よりも、地球に愛着があったとして、あなたが2週間丸まる使うとは考えられませんでした。
 せいぜい3日遅れで、友人やご家族と合流すると踏んでいました。
 手元の資料から考えた推論にすぎませんが……。
 もしかして……。『地球最後の一人』になりたかったのですか?」
 ショウは言った。
 新しい現象を発見した科学者のような目で、青年はチアキを見る。
 条件反射的に、ジリッと半歩下がって、距離をとってしまう。
「ヨコヤマさんがいるので、『地球最後の二人』になるんじゃ」
 チアキは困惑し、笑顔になる。
 別に『地球最後の一人』になりたかったわけではない。
 たまたま、結果的になっただけだ。
 それよりも――。
 スーッとエレベーターの扉が開いた。
 金属製の床がシャトルまで続いている。
 視界に飛び込んできたむき出しの配管に、留まりすぎて重苦しくなる空調の空気に、チアキは息を呑む。
 映像ディスクのままの内部だ。
 本当に、これから宇宙へ出るのだ。
 取り返しのつかない場所まで来てしまった……。
「これより外は、銀河標準法です」
 ショウはエレベーターを降り、手を差し出した。
「ようこそ。
 地球最後の人類、チアキ・ハセガワさん」
 映像ディスクのワンシーンのように、ショウは言った。

 チアキは一歩踏み出した。



 銀河標準暦127年12月31日 12:00 地球上から人類は消滅。
 前年8月12日に施行された『地球並びに地球の全ての動植物の権利に関する条約』通称『地球保全法』により、地球外の移住すべて完了。
 これより、地球は<ヘブン>となる。
 生きた人間の24時間以上の滞在は禁止され、人類の墓標となった。


・地球から人類が消滅するまであとマイナス1時間――宇宙船<シャトル> アーク

 チアキは、大型のビジョンに写された地球を見る。
 太陽の光を受けて輝く地球は、青かった。
 大きく、青い惑星だ。
 人類が生まれた故郷星だ。
 海から生まれたものが海に還っていくように、青い星から生まれた生物たちは、やがてこの星に還っていくのだろうか。
 1時間前までいたのに、今は……こんなに遠い。
 帰りたい、と。
 呼吸すら忘れてしまいそうになる。
 懐かしさは穏やかな感情ではない。
 胸をえぐり、差し迫る。
 激しい喪失感に、ずるずるとチアキは座り込んだ。
 冷たくもない奇妙な床の質感が旅愁を駆り立てる。
 『今』を否定して、帰りたいと願う。
 チアキの目は地球から離れない。
 心は、もっと恋々としている。
 帰れない、と知っているから、帰りたい。
「必ず、帰ってくる……から」
 チアキは呟いた。
「きっと、もう一回。
 だから……」
 言葉にならない。
 別れは告げたくない。
 地球に人類が住めなくなったのは、自分たちのせいだった。
 誰もが『王』になろうとして、地上では争いが続いていた。
 恒久平和を求めて、地球を立ち去ることが決定されたのだ。
 誰のものにもならない、誰のものでもある地球。
 そんな精神論を受け入れてしまうほど、人類は疲弊していた。
 そして、地球はもっとくたびれていた。
「……」
 スッと自動扉が開き
「人工睡眠の準備ができました」
 地球は音もなく消えた。
 チアキはゆっくりと首をめぐらす。
 ショウが立っていた。
 気の毒なものでも見るように、黒尽くめの青年は微笑む。
「この船の目的地である惑星CA‐N。通称『カナン』は、美しい星です。
 地表主義の方の多くが移住先に選び、あなたのご両親もいらっしゃいます。
 きっと気にい……」
「本来の『カナン』の空は何色なんですか?」
 ショウの言葉をさえぎって、チアキは尋ねた。
 地表主義が好む惑星は、<エデン>の中で最も美しい<エデン>だろう。
 かけがえのない故郷星に、よく似た環境が整っているだろう。
「マゼンダです。
 もっとも、『カナン』も<エデン>の一つですから、住居区では地球と同様の色となっています」
「マゼンダ色」
 チアキは大きく息を吐き出す。
 息を吸い込むための準備だ。
 泣いたりはしない。
 これは別れではないのだから。
 立ち上がる。
 惑星CA‐Nの空を想像してみる。
 エリアJ‐Hで見た空のように、おわん型のマゼンダ色の空。
 マゼンダ色の空の下の世界は、何色をしているのだろう。
 きっと、今までと違う色の世界だ。
「毎日が朝焼けで、夕焼けだ……。
 楽しみです」
 チアキはポツリと言った。
「きっと気に入ると思いますよ」
 ショウは先ほどの続きを言った。
 どんな星も、地球の代わりにはならない。
 でも、惑星CA‐Nは二番目ぐらいにはなるだろう。
「どうして<リープ>直前に、地球を見せてくれたんですか?」
 絶対、ホームシックになるの、わかってるだろうに。
 興奮状態での<キャスケット>の使用は危険だ。
 あくまで人工的な睡眠なのだ。
 精神安定剤を無理やり投与することも可能だが、そのことが人権保護団体に知れたら、何かと問題になりそうだ。
「法の下で約束された権利です」
 ショウは淡々と言う。
「お仕事、大変そうですね」
「自分で選んだ職業です。
 やり甲斐を感じています。
 ……それに、私は地表主義の意見を尊重しています」
「どうしてですか?」
 チアキは眉をひそめた。
 宇宙時代となった今、地表主義は前時代的で、役立たずだ。
 この生き方も考え方も、自分のものになってしまったから、変えるつもりはないけれど、自分の子までそうなるのは、少しかわいそうだと思う。
「あなた方は、天国に程近いからです」
「宗教的ですね」
 意外な答えに、チアキは何とか答えを返した。
「哲学的なつもりです。
 ところで、心の準備は終わりましたか?」
「あ、はい!」
 沈んでいた心は、話をしているうちに、だいぶ浮上してきた。
 未練はたらたらとしているが、チアキにとっては身近なことだった。
 これから一生をかけて、後悔していくことになるだろう。
 故郷との離別。
 一生悔やんでいても、誰も文句は言わないはずだ。
「残念ですね」
「は?」
「どうぞ、こちらです。
 次にあなたと話すのは、672時間後。
 惑星CA‐N到着48時間前です」
「はあ」
 ショウの後をついていきながら、チアキは相槌を打つ。
 隣の部屋には、真っ白な繭のような人工睡眠機械が何台も設置されていた。
 アークは<シャトル>の中でも、比較的小さいサイズらしいが、乗員2名は予想外だろう。
 かぱっとふたの開いている<キャスケット>が一台あった。
 チアキは講習会で習ったとおりに、<キャスケット>の中に横たわる。
 『棺おけ』と呼ばれる理由がわからなくもない。
 薄暗く、ほのあたたかい、狭い空間。とても居心地が良い。
 このまま二度と目覚めなくてもいい、と感じる。
 ずっと、ここにいたい。
 自然にまぶたが重たくなる。
 意識がとろんと溶けていく。
 ポタージュのようにとろけていく。
「惑星CA‐Nの通称を決めたのは、あなた方です。
 『カナン』は約束の地。
 地球由来の古い宗教で、重要視された地の名前です。
 特定の神をあがめることをしない地表主義の方々が、何故その名を選んだのか。
 あなたなら、解けるのでしょうね」
「……え、決め。やくそ……く……?」
 きちんと言ったつもりなのに、舌が回っていない。
 耳に届いた言葉は、我ながら不明瞭だった。
「目覚めたら、どんな夢を見ていたか教えてください。
 では、良い夢を」



 まっすぐと歩いていた。
 どこまでも続くような道を、潮騒を聞きながら、若い娘は歩いていた。
 永遠の暁の中、約束の場所を目指して。
 ただ、まっすぐと歩いていた。


作者:並木空
企画:みんなでSF
テンプレート作成:麻生新奈さん
あとがきという名の言い訳