未来への声



 そこは不思議な場所だった。
 何にもないところで、何も聞こえなかった。
 自分の体に違和感を覚えて、手を見つめた。
 それは、小さくなっていた。
 そう、俺は僕になっていたんだ。
 幼い『僕』に、戻っていた。
 何年も前の姿に。

 
 当てもなく、歩いた。
 ここはどこなのか分からなかった。
 だから、とにかく歩いてみた。
 何か探せるかもしれないと思って。 

「声が聞こえる」
 澄んだ声が、そっとささやいた。
 ふと、僕は顔を上げる。
「声が聞こえるんだ。
 誰かが、呼んでる」
 その声は嬉しそうに、それでいてどこか寂しそうに言う。
 男なのか、女なのか。
 子どもなのか、大人なのか。
 まったく分からない声が話す。
 澄んでいる、ということしか分からない声が。
「それは誰の声?」
 僕は訊く。
 なんとなくだけど、知りたいと思ったから。

「みらい」

 声は言い切った。
 ハッキリと、やはり嬉しそうに。
「未来?」
 僕は訊き返す。
 知っている言葉なのに、どこかニュアンスの違う発音だった。
「そう、みらいだよ。
 君のみらいだ」
 くすくす、と笑い声が耳に届いた。
 爽やかな風に語りかけられた。
 そんな感じがした。
 なんだか少し、くすぐったい気がした。
「未来がしゃべるの?
 僕の未来は、なんて言っているの?」
 知りたいことが山ほどあった。
 けれど、僕は二つだけ訊いた。
 全部言ってしまうのは、もったいない。
 そんな気がしたから。
「さあ、分からない。
 だって、君のみらいだからね。
 耳を澄ませば聴こえるかもしれない」
 声はやはり、笑う。
 いや、そういう風に聞こえるだけなのかもしれない。
 本当に笑っているのかなんて、実は分からない。
 だって、声の実態が見えないから。
「分かった、やってみるよ」
 言われたとおり、僕は耳を澄ます。
 未来の……みらいの声を聴いてみたかったから。

 しんしんしん。
 しんしんしん。
 
 聴こえそうで、聴こえない。
 分かりそうで、分からない。
 耳に何かが入ってくることは、感じるのに。
 誰かがしゃべっている。
 それは、どこか心地よくて、聞き慣れたもの――。
 その事実しか、分からない。
 
 よく耳を凝らすと、いくつかの音が聞こえた。
 一つじゃない。
 二つ? 三つ?
 頭の中がもやもやして、思い出せない。

「よく、分からないよ」
 溜息を一つ漏らす。
 自分の声が、やけに耳に残った。
「じゃあ、一生分からないさ」
 くすくすくす。
 また声が笑う。
 むっとして、頬をふくらませる。
「なんだよ、どうして笑うんだよ!」
 大きな声を上げると、周りが震えた気がした。
 いや、違う。
 まるで自分だけが地震にあったみたいに揺れた。
 思わず身を堅くする。
 すると、不思議と揺れは収まった。
「なんでかな、なんでだろう?
 教えてなんかあげないよ」
 コチラのことなんて、お構いなし。
 嬉しそうに、楽しそうに。
 声は耳元を掠めていく。
 風みたいに、つかみたくてもつかめない。
 それが、余計にむかついた。
「ケチ!」
 いっぱい悪口を並べてやりたかったけど、僕は一言だけにした。
 その方が、効果があるって、どこかで聞いたことがあったから。
「ケチで構わないよ。
 ちょっとむかつくけど、構わないよ」
 やけに澄んだ声が笑う。
 本当に、心底嬉しそうに。
「……変なの」
 ぽつり、と呟くと
「君もね」
 すぐに声が返ってきた。
 その途端、僕は眩しい光に包まれた。




「おはよう、よく眠れたかな?」
 聞き慣れた声が言う。
 たっぷりと嫌味を含ませて。
 半分以上ぼけた頭を、とにかくフル回転させてみる。
 
 ああ、と一つに結論が導き出される。
 ここは学校で、今は授業中。
 俺は居眠りをしていたんだ、と。

「…………先生の声って、すっごく気持ち良いんですよ〜」
 別名、睡眠学習野郎。
 その先生のあだ名が、ふと頭をよぎった。
 俺は、口の端を無理矢理上げてみせた。
 

 その日の夜。
 宿題に追われて寝不足になったのは、言うまでもない未来。




通年テーマ「未来への声」
参加作品


   
メールフォームとWEB拍手です
お気軽に、お使いください

紅の空TOPへ >紅和花のほんだな

素材【HOLY LOVE