02.僕と君は正反対

 レインドルク伯爵家に生まれ、割と恵まれた人生だと思う。
 好きなだけ本を読んでいられる。
 もし、自分が伯爵家に生れ落ちず、農村に生まれたら、神官を目指したことだろう。
 それほど、ペルシは知識を得ることを好んだ。
 レインドルク伯爵公子は、ベッドで貴婦人の代わりに、本を抱く、と遊学中にからかわれたほどだ。


 ローザンブルグ地方、レインドルク城の図書室。
 蜜蝋の明かりを頼りに、ペルシは本を読みふけっていた。
 ずっしりとした皮の装丁の本を膝に乗せ、ページをめくる。
 そこへ、わざとらしい咳払いがあった。
 ペルシは、顔を上げる。
「また、本を読んでいるのか」
 リーク伯爵はためいきをついた。
「これは父上。
 頭が痛くなる図書室に、どんなご用件ですか?」
 にこやかにペルシは尋ねる。
「どんな用だと思う?」
「茨姫関係ですか?」
「遠からず、というところだ。
 ……息がつまるようだな」
 リークは机に積み上げられている本から、一冊手に取る。
 面白くなさそうにパラパラとページをめくる。
「学者にでもなるつもりか?
 伯爵家の跡継ぎが」
「許してくださるのですか?」
「昔、私は騎士になりたかったよ。
 それも、騎士中の騎士と呼ばれる『銀の騎士』になりたかった。
 ……そして、兄上をお助けしたいと、願っていた」
 リークは懐かしむように微笑んだ。
 父が『兄上』と呼ぶときは、双子のアンサンシュを指す。
 一番上の兄のソージュは、ただ『公爵』と呼ぶのだ。
 ペルシが従兄の中で、シブレットだけを『兄上』と呼ぶのと同じなのだろう。
 尊敬と、嫉妬と、羨望と……残りは、親愛だ。
「世の中はままならない」
「茨姫なら、違うことを言うでしょうね」
 ペルシは言った。
「……ローザンブルグ娘だ。
 そうだろうな」
 リークは同意し、苦笑した。
「本は面白いか?」
「父上が乗馬を面白いと感じる程度には」
 ペルシは読んでいた本を閉じる。
 分厚い本は、バタンと音を立てる。
「ときに、父上。
 隣国の前宰相がまとめた『街道整備による繁栄論』をお読みになりましたか?」
 ペルシは王都で持ちきりになっている本のタイトルを挙げる。
 切れ者と称された前宰相の執筆した本だけに、話題になっている。
 経済論だけあって、受勲を受けるような貴族階級は、競って入手しようとしていた。
 この本に問題があるとしたら2点。
 人気のある本なので、写本が間に合わず、品薄傾向にあること。
 隣国の前宰相は古風な人物で、その執筆に隣国の古語を用いたために、難解であること。
「まだだが」
 リークは言った。
「どうぞ、こちらを」
 ペルシは立ち上がり、抱えていた本を父に差し出す。
 その表紙には金の飾り文字も美しく、エレノアール王国の公用語で『街道整備による繁栄論』と書かれている。
 伯爵は受け取り、ページをパラパラとめくる。
 ページは、びっしりとエレノアール王国の公用語で埋まっていた。
「この本は?」
「『街道整備による繁栄論』の訳本です。
 まだ市場には出回っていませんが、とても面白かったですよ。
 総論が序章にあるので、第二章以降から読むと楽です。
 一番、興味深かったのは第四章二節ですね」
「どうやって手に入れた?」
「私が本を好きなように、本も私が好きなようです。
 自然と集まってくるのです」
「それで、本当のところは?」
 父の冷たい視線を受け、ペルシは肩をすくめた。
「ちゃんと合法的ですよ。
 何故か、ここにも『街道整備による繁栄論』があります」
 ペルシは机の上にあった本を指し示す。
 こちらの金の飾り文字は、隣国の古語だった。
「この本は、借り物です。
 レフォール殿に貸してもらいました。
 従弟殿は読破してしまったようで、いらないとまで言われましたが、きちんと返す予定ですよ。
 ご安心ください」
「なるほど。
 写すついでに、訳したのか」
「大切な借り物ですからね。
 念のために、自分自身で写しただけですよ。
 紛失や欠損が怖いですから」
 ペルシは微笑んだ。
「残念ながら、当家は学者の家系ではない」
「知っていますよ」
「レインドルク伯爵家の存在の意義とは?」
「公爵家の補佐です」
 くりかえされるやり取りに、ペルシはためいきをかみ殺して、答える。
 聖リコリウスの血筋と『契約』は絶対だ。
「よって導き出されるな。
 使いだ」
 リークは紋章入りの手紙を手渡す。
「マイルーク城でよろしいのですか?」
「何故わかる?」
「簡単なことです。
 ローザンブルグ城への使いなら、ご自分で行かれるでしょう?
 私に任せるということは、ローザンブルグ城以外です。
 そして、茨姫関係かと尋ねた私に、父上は『遠からず』と答えました。
 現在、茨姫が滞在しているのは、従弟殿が治めるマイルーク城です」
 ペルシは言った。
 手紙の中身は、レインドルクに戻ってこいという内容だろう。
 あるいは、早く身を固めるよう、という忠告だろうか。
「初夏の茨を刈ることはできませんよ。
 花の時期です」
 ペルシは小さく笑う。
「では、代わりに刈られるか?」
「どちらでもかまいません。
 どこにいても変わらないのですから。
 ……神は、すぐ傍におられます」
 ペルシは話題をすりかえた。
 自分自身の結婚問題も、今はどうでもいいような気がした。
 意地を張り続けるほどの熱意は、茨姫と違って……持ち合わせていなかった。
 同じ父母から生まれたというのに、姉とは正反対だった。
「では、行ってまいります」
 手紙をひらりとひるがえすように見せると、ペルシは微笑んだ。
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