05.「さよなら」に代わる言葉

 今日は、ほんの少しついていなかった。

 『意識集合体』により選出され、『研究機関統合監査室』に管理されている研究員たちは、おおむね陽気で楽観主義者であった。
 失敗したからといってめげることは少ない。
 経験的に、失敗の積み重ねが成功になり、歴史に名を残すことを知っているからだ。
 それに研究員たちは、若い。
 人類の平均年齢の半分以下が、彼らの平均年齢であった。
 青春期の情熱というものは、失敗を軽く上回るものだ。

 第二次共同計画の研究日。
 ちょっとした失敗があった。
 それにより、日程を大幅に変えなければならなくなった。
 直接、実験に関わった者の顔色は、真っ青になった。
 叱責が一つ飛んで、その研究員はメンバーから外されてもおかしくない。
 と、その場に居合わせた研究員たちは思った。
 その程度の失敗が起きたのだ。
 例外があるとすれば、シユイとチームの責任者だけ。
 異例の若さで抜擢された薔薇の研究員のトップは
「今日は、ほんの少しついていなかった。
 ……そうだろう?」
 と、親しげな微笑みを見せて、年長の研究員の肩を叩いた。
「明日は、もう少しマシ。
 この程度の失敗を取り返せない馬鹿は、このチームにはいないと思っている」
 ディエンは、スケジュールの調整を瞬く間にしてみせた。
 陽気な楽観主義者。
 研究員らしい振る舞いに、一同感嘆と安堵のためいきをもらした。
 ただ一人、シユイだけが腕組をして、幼なじみの観察を続ける。
 これといって問題はないように見えた。
 だが、シユイは引っかかった。
 違和感があるのだ。
「じゃあ、解散」
 多くの女性が見蕩れるといわれる微笑を浮かべ、ディエンは軽く手を上げる。
 パラパラと研究員たちは、研究室から出て行く。
 シユイは自分の巻き毛を一房、指で絡め取る。
 研究室を後にする幼なじみの青年の顔色は、冴えていなかった。
 ……多分。
 普段よりも、口数が少なかった。
 ように見えた。
「落ち込んでいる……のかしら?」
 シユイはつぶやく。
「人の心は、本当に難しいわね。
 星みたいにシンプルになればいいのに」
 年若い研究員は、唇を尖らせた。


 遅い食事を食堂で取る。
 割り当てられた部屋で手軽に済ませても良かったのだけれど、シユイはこの食堂で、できるだけ食事をすることにしている。
 薔薇の研究院では、それが当たり前のことだからだ。
 といっても、食事の時間から、かなりズレてしまった時刻なので、食堂は閑散としていた。
 外が良く見える窓際の席。
 そこに幼なじみがやってくることはなかった。
 そういう日もある。
 シユイはあっさりと諦め、自室に戻った。
 シャワーを浴び、着替えを済ませてから、ディエンの私室に向かう。
 部屋は主不在だった。
 ライトは消され、機械音すらない。
 サイレント・ソングのない無音空間に、無音恐怖症がいるはずもない。
「後は……」
 真珠の研究院で、共同研究していた頃のことを思い出す。
 シユイはきびすを返した。


 華やかな音色を奏でて、自動扉は開いた。
 背ばかり伸びた幼なじみの後姿が見える。
 透明樹脂の椅子に、窮屈そうに片膝を抱えて座っていた。
 就寝の時間がきたために、必要最低限の照明しか灯っていない。
 燐光のように、淡くはじけるモニターの光が周囲を照らしている。
 耳元で揺れる珠は、真紅。
 わずかな光があれば、その色は識別される。
 幼なじみの一対の目と同じように。
 静かに弦楽器が歌っていた。
 サイレント・ソングと呼ばれる機械音が和音になるように、微妙に編曲された古典音楽。
「この曲のタイトルは?」
 シユイは尋ねた。
 幼なじみの青年は振り向かずに
「弦楽五重奏『ハーモニー』」
 そっけなく答える。
「あら?
 あなたと創った銀河と同じ名前ね」
 シユイは床を鳴らしながら、モニターに向かう。
 青とも緑ともつかない色を放ちながら、コンピューターは音楽を奏でていた。
 真紅の目がシユイを見上げた。
 平均より背が高い幼なじみを見下ろすのは、新鮮だった。
 同じ歳だったが、性差は皮肉なものだ。
 二人の身長は、10センチ以上差がある。
 すっと視線がそらされた。
「同じ名前にした」
 ポツリとディエンは言った。
 おしゃべりする気力もないのか、多弁なところがある青年にしては静かだった。
 それとも、音楽を聴いているのだろうか。
 とりあえず、抑えた声は愛想というものが欠けていた。
「作曲もできるの?
 多才ね」
 シユイはヘーゼルの瞳を丸くする。
「それほど難しくはない。
 みんな、無駄が嫌いだから、やらないだけだ」
「あなたは無駄が好きなの?」
 巻き毛に手をやり、指に絡めていく。
 髪は本来のクセを思い出し、くっきりとしたカールが残る。
「さあ」
 遠い目をして、ディエンは口元に笑みを刷く。
 無理やり作られた笑顔は、拒絶に似ていた。
 シユイは腕を組み、ためいきをつく。
「ロマンは、一見無駄に見えるものに宿る。
 と言った人がいた。
 研究院でも、風変わりな経歴の人物でね。
 ヤナと同じように『シンパシー』を持っていた」
 重たそうに口を開き、ディエンは語り始める。
「成功もすれば、失敗が続く日もある。
 ただ、今日は、ほんの少しついていなかっただけだ。
 ……そうだろう?」
 真紅の瞳がシユイを見た。
 明るい研究室で聞いた言葉が違って聞こえる。
 同じ言葉を言っているのに、表情が違うからかもしれない。
「落ち込まないで。
 私まで、悲しくなっちゃう」
 シユイは肩をすくめた。
「共感は、楽園人の特権ではないようだ」
 ディエンは苦笑した。
 こんなときまで言葉遊びをする。
 彼らしいといえば彼らしい。
 複雑な精神構造だった。
 悲しいときは声を上げて泣けばいい。
 嬉しいときは声を上げて笑えばいい。
 シユイはそう考える。
「ここに来るまで、あれこれ考えたのよ。
 何て言えば良いんだろうって。
 私は、人一倍、言葉が不自由のようだから。
 慰めって、高等技術でしょう?」
 シユイは言う。
 シュミレーションは全部、無駄になってしまったわけだが、年若い研究員は気にしたりはしてはいなかった。
「実験は、また後ですればいいわ。
 完全な失敗というわけでもなかったんだし」
「君が思うより、実験結果に満足しているよ。
 専攻柄かな?
 イレギュラーには慣れてる。
 それより、シユイのほうが辛かっただろ?」
 ディエンは言った。
 差し出される労わりと慰め。
 幼なじみは、シユイの数倍は気配り上手で、他人の感情に敏感だった。
 シユイは眉をひそめた。
「それは平気よ。
 実験に失敗はつきものだもの」
 失敗が許されない宇宙構成学とは違う。
 第二期の課題は「創造から創生」。
 デリケートな対象だけに、回り道が多くなるのは納得済みだった。
「そうじゃなくって、あなたを慰めに来たのよ。
 眠れないぐらい落ち込んでるんでしょ?
 何があったの?」
「こういうときは何も訊かないもんだ」
「え? そうなの?」
「マナーってヤツだよ。
 でも、訊くほうがシユイらしい。
 ……恩人が亡くなったんだよ。
 訃報が届いた」
「ご愁傷さま、だったかしら?」
 シユイは首を傾げる。
 研究員は、生命を扱うため高い道徳心が求められるものの、世俗のマナーまでは強要されない。
 『意識集合体』に選ばれた時点で、すべてと決別したようなものだった。
 特に希望しなければ、他の船で生活している家族の死さえ知らせてはもらえない。
 訃報が届くこと自体、稀だった。
「無駄をこよなく愛していた研究員だった。
 問題があるとすれば、亡くなったのは一年も前だってこと。
 故人を悼もうにも、相手は天国でお楽しみの真っ最中。
 今さら、別れを告げるのもの、ね。
 なかなか微妙な心境になるものだ」
 ディエンは淡々と言った。
 親しかった人物が亡くなって、悲しんでいるのとは違う。
 その死を惜しんでいるわけでもない。
 困惑、しているのだ。
「『さよなら』じゃダメなのね。
 難しいわ」
 シユイは唇を尖らせる。
「どうも心の片隅に引っかかって、他に集中できない」
 幼なじみは、珍しく弱音を吐く。
 自分の感情を持て余している……ように見えた。
「じゃあ、休んだらどう?
 どうせ休暇、余ってるんでしょ。
 付き合うわよ!」
 シユイは名案だと思った。
 真紅の瞳が軽く驚く。
 それから、作り物ではない笑顔で笑った。
「君は突拍子もないな」
 ディエンは言った。
「その恩人さんの眠っているところへ行きましょ。
 ちょっとしたバカンスね!
 で、言ってくればいいのよ」
「なんて?」
「遊びに来たよ。って。
 それで足りないなら『ありがとう』って言えばいいわ。
 お世話になったんでしょ?」
 シユイは笑った。
「名案だ」


 第二期共同研究の終了後。
 ディエンとシユイは、長期休暇を申請した。
 目的地まで一緒だというのに、それをからかう者はほとんどいなかった。
 偉大なる研究員の死は、誰もが知るところであったためだ。
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