13.リボン結び

 村上本家の一角、宗一郎に与えられた部屋。
 ガラス戸は開け放たれていた。
 渡る風が竹の葉を鳴らして、爽やかな音をもたらしていた。
 宗一郎は縁側で詩集を読んでいた。
 借りた物だから義務のように、最後まで読まなければならないとページをめくっていた。
 パチリッと火が爆ぜる音を聞き、宗一郎は顔を上げた。
 夜空に煌くダイヤモンドを煮る炉でルビーが爆ぜたような音だった。
 そんな音を立てるのは一人きり。
 宗一郎はしおり代わりのローズベージュのリボンを詩集に挟む。
 すると洋館のほうから足音が近づいてきた。
「宗ちゃん」
 泣き声がした。
 時の流れを逆さまにしたようだった。
 星の砂時計をくるりと引っくり返したような感じがした。
 空色のクラシカルなワンピースを着た燈子がやってきた。
 また母に捕まったのだろう。
 人形遊びをするように燈子を扱う。
「ちょうちょさん羽が取れちゃった」
 燈子が涙ながら言う。
 見れば右袖のリボンがいびつな片結びになっていた。
 宗一郎は詩集を置くと、手招きする。
 燈子は沓脱石の上に立つ。
 差し出された右手に、宗一郎は手を伸ばす。
 夜空を閉じこめたような瞳は透明な粒を零し続ける。
 啜り泣きが続く中、宗一郎は一度リボンを解く。
 羽をなくした蝶はするりと解けた。
 二度と解けないように固く強く結ぶ。
「宗ちゃん。
 空色ダメだった?
 宗ちゃんの色だから、とーこ好きなんだけど。
 嫌ならやめる」
 燈子が言う。
 リボンから手を離した宗一郎は燈子を見る。
 泣きはらした顔が真剣に言う。
「どうしてそう思ったんだ?」
 宗一郎の問う。
 燈子の指先が宗一郎の眉根にふれる。
「宗ちゃん。
 ずっと難しい顔をしている」
 水晶の結晶のように混ざりけのない声が言った。
「燈子が泣いていたからだ」
「とーこが泣くと、宗ちゃんは困るの?」
 真っ直ぐに見つめられて、心拍数が上がる。
「燈子が悲しいと、俺も辛くなる。
 いつでも笑顔でいて欲しいと思う」
 宗一郎は思ったままのことを言った。
「とーこも同じ。
 宗ちゃんにはいつでも笑顔でいてほしい。
 おそろいだね」
 燈子は顔中のパーツを使って笑った。
 宗一郎が一等、好きな笑顔だった。
「ちょうちょさん、ありがとう。
 キレイに結んでくれて嬉しい」
 燈子は縁側に腰を下ろす。
 長い黒髪がさらさらと流れ落ちる。
「たいしたことじゃない」
 宗一郎は燈子の小さい頭を撫でる。
 小さな体の中には、大きな火種が眠っている。
 それが宗一郎を揺り動かす。
「宗ちゃん、またご本を読んでたの?
 今日はいい天気だから、お日さまの光をたくさん浴びようよ」
 燈子の提案に宗一郎はうなずいた。
 詩集の返却期限はない。
 返すのが一日、二日、遅れたところで文句はないだろう。
「そうだな」
 宗一郎は立ち上がり、燈子に手を差し伸べる。
 燈子は宗一郎の小指と薬指をぎゅっと握る。
 異なる体温に宗一郎はドキッとした。
 幼なじみのいつものクセなのに、いつまで経っても慣れない。
 燈子も立ち上がる。
 風が渡った。
 竹の葉と燈子の黒髪を揺らした。
 それはとても美しい情景で、フィルムに残しておきたいような光景だった。
 宗一郎は息をのんだ。
「どうしたの?」
「なんでもない」
 宗一郎は靴をはくと庭先に出た。
 燈子はさんざめく星々よりも、まばゆい。
 太陽よりも輝かしい。
「変な宗ちゃん」
 燈子は楽しそうに言う。
 返答に困って、宗一郎は黙った。
 手を繋いだまま、庭をめぐる。
 縁側にいただけでは味わえない光を全身に浴びる。
 村上の一員だということを思い知らされた。
 光なしでは生きてはいけない。
 燈子という光に照らされて、生きているのだ。
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