14.君が言うなら

 サイレント・ソングが静寂を彩っていた。
 ディエンは聞くとはなしに、聞き流していた。
 月日は確実に流れていくものだと真紅の耳飾をした青年は思った。
 作りつけの樹脂デスクの上には写真たてが飾られている。
 写真たてには、2枚の写真が入っていた。
 1枚は第一期の表彰式で、シユイとディエンが並んで写っていた。
 もう1枚は、それの10年以上前。
 一緒にいるだけで楽しかった。
 二人を分かつものなどないと思っていた頃だ。
 どこにいくのも一緒。何をするのも一緒。
 ディエンはシユイに出会う前から恋をしていた。
 両親に写真を見せられたその時から、恋に落ちていた。
 もちろん天使のように愛らしい姿が造られた物だと知っていた。
 デザイナーベビー。
 シユイの両親は通常妊娠できない体の持ち主だった。
 受精卵にするには、遺伝子治療をしなければならなかった。
 どうせ遺伝子操作をするなら、より良い子どもが授かるように設計するのは当然の帰結だろう。
 美しい外見、高い身体能力、明晰な頭脳、健康的な体。
 シユイは、完璧すぎる見た目と健やかな心身を持って生まれてきた。
 そこに罪はないはずだった。
 だが、それを良いモノとは思わない人間も多数いた。
 自然分娩できる人たちから、奇異の視線に投げかけられる。
 シユイたち一家は逃げるように、当時ディエンたちが住んでいた船に引っ越してきた。
 ディエンの居住していた船でもデザイナーベビーは珍しかった。
 けれども、保守的な船だったために、差別はなかった。
 ちょうどそれは、ディエンが真紅の目を持っていても誰も不思議に思わないように。
 学力に見合った課題を与えられ、いくつも年上の学生たちに混じって勉強をした。
 真珠の研究院も夢ではない。
 二人だったら、どこまでも行ける。
 そう思っていた頃の写真だった。
 懐かしくて、捨てられず、しまわれず、ディエンの研究室に飾られていた。
 2枚の写真は共に、ヘーゼルの瞳がキラキラと輝いている。
「変わらないものもあるのか」
 ディエンは呟いた。
 今日は研究には向いていない日らしい。
 ディスクを取り出したものの、開いていない。
 立体モニターはプレーンな壁に青白い光を投げかけているだけだった。
 重低音を響かせながら、滑らかに自動扉が開いた。
 豊かな金褐色の髪をなびかせて、シユイが入ってきた。
 薔薇の研究院には鍵をかけるという習慣が薄い。
 真珠の研究院から転院してきた女性は開口一番に
「愛してる、って言って」
 と言った。
 ディエンは立ち上がり、シユイのために樹脂造りの椅子を用意した。
「ありがとう」
 ニッコリと笑って、シユイは座る。
「君が言うなら、何度でも」
 ディエンはシユイの手を取る。
 極上な陶磁器にふれたような気がした。
「愛してるよ、俺の女神様」
 甲に口づけを落とす。
「何故か、信じられないのよね」
 シユイは空いているほうの手で、癖の強い髪を指に巻き取る。
「だから、あまり言わないようにしてるんだ」
 ディエンは手を裏返して、手の平にも口づけを落とす。
「イールンがヤナ研究員に『愛してる』って言われたって」
 シユイは苛立つように言った。
 初耳の情報に青年の目が細められる。
 後輩の恋愛模様は、薔薇の研究院でも話題になっている。
 『シンパシー』持ちであり、なおかつ地上出身であり、『純血主義』には貴重なサンプルであるヤナ研究員。
 一つ年下の後輩が選んだのは、人類が作り出したもう一つの人類。
 『良き隣人』と呼ばれる生体機械であるイールン研究員だった。
 <意識集合体>に選出された研究員たちの間でも、不釣合いだとささやかれている。
 純粋な恋心だけが二人を繋いでいる。
 良識がなければ二人は早々に引き離されていることだろう。
 それぐらい周囲が神経質になるような恋人同士だった。
 ナチュラルと区分されるディエンにとっても、他人事ではなかった。
「だから、羨ましかったって?」
 真紅の瞳がヘーゼルの瞳を覗きこむ。
「そうね。たぶん、そういう気持ちだったんだと思うの。
 でも不思議ね。
 ドキドキしないわ」
 シユイは巻きつけていた髪を解く。
 癖を思い出した髪は、くるりとカーブする。
「あいさつみたいだって?」
 手を繋いだまま、鼻先に口づける。
「本当にそう思ってる?」
 女神のように美しい女性が尋ねる。
 ヘーゼルの瞳はペーパーナイフよりも鋭い。
「俺の言葉はそんなに信用できない?」
「都合のいいことばかり並べられているような気がするの。
 誤魔化していない?
 私は機微がわからないから、情報が多いと混乱するのよ。
 どうしてシンプルでいられないのかしら?」
 独り言のように、シユイは零す。
「愛してるよ」
 ディエンは真っ直ぐにシユイを見つめる。
 視線をそらしたのはシユイが先だった。
 ヘーゼルの瞳は困惑したかのように宙をさまよう。
 どう対処していいのか、明晰な頭脳を持つがゆえに迷っているのだろう。
「愛してるよ、俺の女神様。
 出会う前から君が好きだったんだ。
 それが、今やこんな傍にいる」
 ディエンはシユイの手の甲を己の頬にふれさせる。
「夢の中にいるみたいだよ。
 できれば、君のほうからも好意を示す言葉を言ってほしいぐらいだね。
 これでも不安なんだよ。
 俺の想いが一方的じゃないかって」
 壊れないように手を握りしめる。
 瞳を閉じて静かに言葉を待つ。
 サイレント・ソングだけが沈黙を埋める。
 どれほど時が流れただろうか。
 少なくとも懐古主義の後輩の部屋の秒針が1周するぐらいは、時が流れた。
「好きよ、ディエン」
 聞き落としそうなぐらい儚く言葉がもれた。
 ディエンは真紅の瞳を開いた。
「これで、いいかしら?」
 ヘーゼルの瞳は楽しげな光が宿っていた。
「愛をささやくのって勇気がいることなのね。
 勉強になったわ」
「教材には書いてなかったのかい?」
「いまいち実感が湧かなかったの。
 自分から言うのって緊張するわね」
 シユイはにこやかに笑った。
「その緊張を乗り越えて、君にふれているんだ」
 ディエンは再び、手の甲に口づけた。
「あなたにキスされるの好きよ。
 とっても気持ちがいいのよ」
「不快じゃないなら、結構。
 俺も君にふれるのは好きだからね」
「スキンシップは重要よね。
 気持ちは確かめ合わなければ、いつの間にかすれ違ってしまうから。
 もう二度と離れたくないわ」
 ヘーゼルの瞳に捕らえられる。
 今も昔も変わらずに、キラキラと輝いている。
 その輝きに、いつだって振り回されてきた。
「もちろん、君が嫌になるまでずっと一緒だ」
 ディエンは微笑んだ。
 誰がなんと言おうとも、恋人たちが別れる理由はどちらかが嫌いになるまでだ。
 二度とめぐりあえないと思っていたから、別離の理由は周囲の意見だなんて御免だ。
「私があなたのことを嫌いになることなんてないから、ずっと一緒ね」
 まるでプロポーズのような言葉だったが、鵜呑みにはできない。
 写真たてに飾られた10年以上前と同じような口調なのだ。
 子どもたちが明日を約束するかのように重みはなかった。
 それがあまりにもシユイらしくて、ディエンの微笑みは微苦笑になる。
「ああ、ずっと一緒だ」
 ディエンは願うように言った。
 10年以上前からの想いは、簡単には捨てられない。
 ようやく望みが叶いそうなのだ。
 白い衣服に着替えて、真っ赤な絨毯の上で、永遠の愛を誓う。
 そんな瞬間を夢見ることができるようになったのだ。
 チャンスを逃さないようにしなければ、ならない。
「愛してるよ、シユイ」
 熱に浮かされたかのように、ディエンはささやいた。
「ありがとう。
 私、幸せ者ね。
 こんなに想ってくれる恋人がいるんですもの」
 無邪気にシユイは笑った。
 二人が見つめる未来は同じものであって欲しい。
 ディエンは、純粋すぎる恋人を優しく抱きしめた。
 幸せなのはこちらのほうだ、と思いながら。
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