15.一生分の勇気

 何度目だろう。
 こうして独りで惑星『薔薇真珠』に降り立つのは。
 今日も天気に恵まれて、花たちは生き生きと輝いている。
 船で数値を見たイールンはどう思うのだろうか。
 ヤナが独りで降り立ったことを快いと思うはずはない。
 青年はピンクの花にふれる。
 蕾だったそれはヤナの指先でほぐれていき、開花する。
 時間を早送りしたかのように、次々と咲いていく。
 『シンパシー』と呼ばれる能力の一つだ。
 ヤナのそれは植物と感情がシンクロするというものだ。
 太古の黄金惑星の血のみを有する人間に、稀に与えられる能力だった。
 青年は『純血主義』ではないが、地上出身のため、自分の希少性は少しはわかる。
 同等の能力を有する女性と子をなす。
 後の世にも『シンパシー』を持つ血族を残す。
 そんな役割を無言で押しつけられているのは知っていた。
 けれども、自分の気持ちに嘘はつけない。
 だから、告白した。
 一生分の勇気を使い果たした。
 あの時、そう思った。
 嫌悪はされていないけれど、好意を寄せられているか。
 考えてみてもわからなかった。
 だったら、当たって砕けろと本能が言った。
 彼女と自分では釣り合いが取れているとは思えない。
 慎重にチャンスをうかがった。
 『薔薇真珠』でイーリニアを摘みながら、何度もシュミレーションした。
 けれども、どうしても彼女の答えは想像できなかった。
 彼女は無表情なことが多いが偏光する瞳は宇宙のように感情豊かだ。
 一つ年上の先輩研究員の言葉を借りれば、歌っているようだった。
 ヤナとイールンは、長い人生の中ですれ違っただけ。
 本来であれば、出会うこともなかった二人だ。
 『上』の計画がなければ、名前すら知らなかっただろう。
 二人の研究しているものは同一ではなく、全くかけ離れている。
 だから、二人で作り上げた『薔薇真珠』のイーリニアに勇気をもらって恋人になってくれるように、懇願したのだ。
 それを彼女はすんなり受け入れてくれた。
 彼女の好きは、自分の好きと同じ重さなのだろうか。
 恋人同士になった今でも疑問に思う。
 名前を呼ぶ時、手を繋ぐ時、長い髪にふれる時。
 いつだってヤナの体中は『愛している』を告げる。
 もっと色んなことを知りたい。
 もっと一緒にいたい。
 同じ未来を見つめていたい。
 日ごと膨れ上がる欲求に、振り回されている。
 彼女の血筋は作られたものだ。
 人類が美しい夕焼けを見せるために作り出した人形。
 生体機械である彼女から見れば、自分は愛玩動物だろう。
 急速に老いて、短い寿命で、伏せがちになり、パッタリと亡くなる。
 イールンとヤナは、そんなにも違う存在だった。
 だから、疑問はついて回る。
 自分の気持ちは彼女の重荷になっていないか。
 彼女という逸材を縛りつける鎖になっていないか。
 真珠の研究院のトップだった、と聞く。
 それはイールンが研究院に入った年から譲られたことはなかった、とも聞く。
 そんな彼女の研究を捨てさせるほどの価値がこの惑星にはあるのだろうか。
 ヤナの中で不安と疑問が混ぜあわせられる。
 逃げ場所を探して、結局、始まりの場所まで来てしまう。
 ここに咲くバラ科の植物たちは、常に好意的だった。
 創造主に誠実なのも、『シンパシー』持ちに従順なのも当たり前だ。
 わかっている。
 ヤナはためいきをつく。

「ためいきの数だけ、幸せは逃げていくと聞きました」

 機械的な平坦な声が言った。
 振り返られなくても、誰だか知っている。
 足音に気がつかないなんて、だいぶ考え事に熱中していたようだった。
「それ、ディエン先輩の受け売り?」
「はい。以前、お会いした時に聞きました」
 軽い足音が煉瓦道を鳴らす。
 イールンはヤナの傍まで歩いてくると立ち止まる。
 青年は咲く花から、少女に視線を移す。
「じゃあ。たくさん幸せが逃げちゃったね」
 ヤナは微笑んだ。
 日光の中では偏光しない瞳が、大きく見開かれる。
「私でよければ悩み事を打ち明けてください。
 口は堅いほうです。
 誰にも言いません」
 イールンは真剣に言う。
 なおさら、口に出してはいけないような感じがした。
 彼女を傷つけてしまう。
 いや傷ついたことすら気がつかないかもしれない。
「ダメですか?
 私ではお役に立てないのですね」
 イールンはうつむいた。
 絹のような黒髪がさらりと肩から流れ落ちた。
 それすら一枚の絵のように美しく、ヤナはためいきを喉で殺した。
 イールンは、一生懸命だ。
 雑念というものがない。
 どこまでも純粋で、無垢だった。
 醜い感情を抱えている自分にまで応えようとしてくれている。
 ヤナは咲き誇るピンクの薔薇を摘む。
 大柄な花弁とは裏腹に棘はなく、香りも薄い。
 この惑星で一番初めに見つけられた品種。
 少女の名前がついている薔薇を、その黒髪に挿す。
 咲いているよりも、黒髪で飾られているほうが美しい。
 そう思うのは、彼女が好きだからだろうか。
 どうして自分は『シンパシー』なんて余計なものまで持ってしまったのだろう。
「ありがとうございます」
 イールンは顔を上げる。
 白い手が恐る恐る、薔薇にふれる。
 少女の表情が明るくなる。
「ためいきをつくような案件は解消されましたか?」
 イールンはハキハキと尋ねてくる。
「心配かけたみたいだけど、もう大丈夫」
 ヤナは強がりを言った。
 突風が吹き、薔薇の花弁が散り急ぐ。
 ハラハラと宙を舞いながら、薔薇の花弁が零れ落ちてくる。
 まるで夢のような世界だった。
「嘘ですね」
 深い青の瞳がひたりと見据える。
「ちょっとだけだよ」
「私にはわかりません。
 すぐに気づく嘘をつく理由は何ですか?
 もしかして私に気を使っているのでしたら、けっこうです。
 私たちは恋人同士です。
 嘘は時に、恋のスパイスかもしれませんが。
 これはシユイの教本に書いてあったことです。
 私には賛同しかねるエピソードでした」
 イールンはキッパリと断言した。
 二人の間に、薔薇の花弁が降り積もる。
 ヤナはそっと手を伸ばす。
 黒絹のような髪に落ちた花弁を拾う。
 薔薇の女王の冠のように、少女の髪に落ちた花弁を一枚一枚、丁寧に煉瓦道に落としていく。
 まるで何かの儀式のように。
 ためいきの代わりのように。
 ヤナは花弁を取り去る。
 青年が挿した一輪だけは散らずに、咲き誇っていた。
 絡まった長い黒髪を指先で梳く。
「これで、元通りだね」
 ヤナは微笑んだ。
「ありがとうございます」
 イールンは丁寧に頭を下げた。
 薔薇の花弁が積もった煉瓦道を長い髪が掃く。
「汚れるよ」
「毎日、洗髪しています。
 それに『薔薇真珠』には細菌及びウィルスは見つかっていません」
「そうかもしれないけど……。
 見ていて気持ちのいいものではないよ」
「そんなに気になりますか?
 シユイも同じことをくりかえし言います。
 断髪したほうがいいのでしょうか?」
「ダメだよ!
 もったいない!」
 ヤナは慌てて止めに入る。
 一回決めたら、即実行するような少女だ。
 年単位で伸ばしている髪を切らせたくない。
「そうですか。
 了解しました」
 イールンの淡々と言った。
「それでヤナの悩みは何ですか?」
「忘れていて欲しかったけど、無理だよね」
「私には忘れるという機能はありません」
 日光の下では深い青の瞳に見えるが、人工光の中では偏光する瞳がヤナを見上げる。
「ずっと、僕と君のことを考えていたんだ」
 ヤナは言葉を選びながら吐き出す。
「どうしてこんなにも違うのだろうって。
 違うけど、もっと一緒にいたい。
 まだ見たことのない景色を一緒に見ていたい」
 息を吸いこむ。
 ためいきをつくためではなく。
 勘違いされないように。
 一生分の勇気を総動員して。
 『踊り場』で告白した時よりも、ずっと緊張する。 

「僕は君を愛してる」

 ヤナはイールンを見つめた。
 少女の白い頬は、段々と赤みが差していく。
「独りで抱えこまないでください。
 私たちのケースは、前代未聞です。
 これからも障害は山積みだと思います。
 それでも、あなたが私を愛してくださっている限り乗り越えられないものではありません」
 少女は青年に抱きついた。
「信じていただけないかもしれませんが。
 私もずっと前からあなただけを想ってきました。
 それを『愛』と呼んでもいいでしょうか?」
 イールンは言った。
「相思相愛だね」
 ヤナはイールンの細い腰に腕を回した。
「ためいきで失った数だけ、幸せにならなきゃダメです」
「一緒に探してくれる?」
「はい」
「とても心強いよ」
 ヤナは微笑んだ。
 独りで抱えこんでいた悩みがちっぽけだった。
 ついたためいきが馬鹿らしかった。
 『薔薇真珠』を造った時からわかっていたはずだ。
 どんな困難でも二人なら乗り越えていける。
 答えはずっと前から出ていた。
 ここは恋人たちに惑星。
 訪れた人々に幸せを運ぶ星。
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