16.赤い糸

「葉誦(ようしょう)さん。
 『アカイツナ』って何ですか?」
 向かい側で本をめくっていた珠霞(しゅか)が顔を上げた。
 ピンクヴァイオレットの瞳が少年を捉える。
 『戦勝祭』が終わり、夏休みに入った中央図書館の学習室は二人きりの貸切だった。
 空調が程よく利いていて勉強には、おあつらえ向きだった。
 炎天の月はどこに行っても暑い。
 秋の到来が恋しくなる。
「アカイツナ?」
 葉誦は鸚鵡返しに尋ねる。
「ここです」
 珠霞は本を差し出して、白い指が問題の箇所を指す。
 運命の赤い糸という項目だった。
 佳華国(かかこく)でも古風な読み方だけあって、ピンと来なかったらしい。
 それに赤い綱は小指ではなく、足首に繋がっている。
「これで『赤い糸』と読むんだよ」
 葉誦は言った。
「そうなんですか。
 確か、運命の人と小指に繋がっている糸のことですよね」
 少女はメモを取る。
「加学でも勉強しているところじゃないかな?」
 寮の隣部屋の輪影(りんえい)が少し前までぼやきながら、レポートを書いていたのは記憶に新しい。
「さすが佳華国ですね。
 まだ習っていないところです。
 それとも『夕凪(ゆうなぎ)』のレベルが高いんでしょうか?」
 霧悟国(むごこく)からやってきた少女は感心した。
「糸の色は赤とは限らないんですね」
 珠霞はページをめくる。
 古びた紙特有の匂いが立ちこめる。
「色別に意味があるらしいね」
 葉誦は付け焼刃の知識を披露する。
 専門外だが魔術師の家系に生まれ育っている。
 それに輪影のレポートを見ている。
「詳しいんですね」
 珠霞は素直に驚く。
「聞きかじっただけだよ」
「加学では赤い糸は恋愛を指すだけじゃないみたいですね。
 情熱、運動、勇気もあらわすみたいです」
 珠霞は本からノートに書き写す。
 真っ白なノートに流麗な文字が躍る。
 霧悟国の文字だろう。
 葉誦には読めない文字だった。

「僕と君の間にあるのは、何色の糸なんだろうね」

 口が滑った。
 覆水盆に帰らず。
 二人は、ただの友だちだ。
 運命を感じているのは自分だけだ。
 肩にかからない長さのプリズムイエローの髪が揺れる。
「きっとサファイアグラスのような色合いだと思います」
 ピンクヴァイオレットの瞳が真剣に言った。

『サファイアグラスを蒔いたような美しい夕焼けではないか。サファイアグラスの中には夕焼けという事象の全てを閉じこめても、なお可能性が輝いている』

 古い魔術師の遺した言葉が脳裏によみがえる。
「なるほど」
 葉誦はうなずいた。
 糸にこめられたのは恋心だけではない。
 美しい夕焼けの中で出会った二人だ。
 それこそサファイヤグラスを撒いたような世界でめぐりあった。
「本当は、どんな色をしているか分からないのですけれど」
 珠霞は白状するように言う。
 少女は、本のページをめくる。
 意味合いが載っている箇所で手が止まる。
「赤い糸も素敵だと思いますが、青や緑の糸で結ばれているのも素晴らしいと思います」
 青は癒し。
 緑は分かち合う魂。
 二つとも、サファイヤグラスの中にある色合いだった。
 ふいに、葉誦は気がついた。
 少女は確かに「赤い糸も素敵だ」と言った。
 何もない友だち同士では、そんな発言は出ないだろう。
 少しは異性として意識してもらっているのだろうか。
 一方通行の想いではない。
 それを知って、少年の鼓動は早くなる。
「私、変なことを言いましたか?」
 一つ歳下の少女は不安げに訊いてきた。
「いや。
 とても素敵なことだと思ったんだ」
 葉誦は微笑みを浮かべた。
 それに釣られるように、珠霞も微笑んだ。
 女の子は笑っているほうが可愛いと再確認した。
 目には見えない運命の糸だったが、その色合いはサファイヤグラスよりも美しいだろう。
 それも、ただの赤い糸ではない。
 小指の先に繋がっている。
 そう信じられた。
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