18.結局そのまま

 薔薇の研究院は骨董趣味でできている。
 全体的に無駄が多い。
 初代の院長が懐古主義であったため、と聞く。
 透明樹脂の回廊をイールンは歩いていた。
 丸い管のような廊下は、全方位を見渡すことができる。
 研究のために造られたとは思えない代物で、こういうものに出会うたびに少女は困惑する。
 先を歩く2歳年上の青年は、それを気にしている様子もない。
 彼はこの研究院に研修生としてやってきて、それ以来、転向したこともなければ、移籍したこともない。
 スクールに上がる前は、地表で暮らしていたという。
 薔薇の研究院の不可思議さを肯定的に捉えているようだった。
 イールンは薔薇の研究院の個性に途惑っている。
 あまりに人間的で、あまりに前時代的だった。
 案内板もない透明樹脂の回廊をヤナは迷いもせずに歩いていく。
 二回右折して、一回左折した先は、見晴らしの良いテラスだった。
 人工の空に日が沈む。
 作り物めいたそれは、どの惑星の天空を映しているのだろうか。
 一説には『故郷たる楽園』の空だという。
 宇宙船の内部スクリーンの設計を担当した技師は寡黙であったために、明確な回答は示されていない。
 永遠の謎、となってしまった。
 どうして技師は回答しなかったのだろうか。
 イールンには理解できない事柄だった。
 テラスにもたれかかるようにして、空を見つめる。
「今日は雲が多いから、綺麗な夕焼けだね」
 ヤナは満足げにささやいた。
 このテラスで夕焼けを見ることが目的だったようだ。
 少女は確認する。
「もしかして、この美しい光景を見せるために、星は人を作ったのかもしれないね」
 夢見るようなことを年上の青年が言った。
 日没間際のこの瞬間。
 天空はめまぐるしく色を変える。
 昼と夜の間。
 それの切り替わりのために、起きる事象。
 毎日の光景だ。
 イールンが星を生み出すように、星はかつて人類を作り出した。
 その理由……。
 人類もまた『人類』を作り出した。
 人工生命体、生体機械、良き隣人――、様々な名称で呼ばれるイールンたちを。
 『楽園』を出たヒトは神の領域に足を踏み入れたのだ。
「では、あなたたちも私たちに見せたかったのですか?」
 ふいに口についた問いは意味のないものだった。
 青年は答えを持っていない。
「申し訳ありませんでした」
 イールンは謝罪する。
 親切な人物をまた困らせてしまう。
「だとしたら素敵だね」
 柔和な笑みを浮かべたままヤナは言う。
 その場限りの慰めではないことは、すぐにわかる。
 感応下に置かれた草花が一斉に歌う。
 夕焼けの中、花たちは蕾が開く。
 胸をすくような香りがふわりと立ち上る。
 世に稀な美質『シンパシー』。
「そんな理由でも良いと思うよ。
 人類がなぜ『良き隣人』を生み出したか、その理由ははっきりとわかっていない。
 どんな仮説でも立てられる」
 柔軟な思考を持つ後輩は言った。
 夕方特有の光線に縁取られて、オレンジ色に近い頭髪がキラキラと輝く。
「常識では考えられません」
「君たちを創った人たちは、常識的だったとは思えないよ。
 人間の限界を超えるために生み出された人工人類。
 どうしてこんなにも美しく創ったんだろうね」
 ヤナの手がイールンの髪にふれる。
 一束、握りこまれた。
「美しいですか?」
 少女は首をかしげる。
 遺伝子レベルで改良され、均一化されている容貌だ。
 イールンたちは、似たり寄ったりの姿かたちを持っている。
 生体機械には個性というものが必要ないためだ。
 美しいといわれても、ピンと来ない。
「綺麗だよ。
 とても」
 ヤナは優しく笑む。
「これは仮説にしか過ぎないよ」
 ヤナは髪を解放する。
 黒く長い髪はイールンの元へ戻ってくる。
 パラパラと。
 癖のない髪は、元通り。
「僕たちはやがて滅びる。
 種としての限界を迎えている」
「ヤナ?」
「公式の見解だよ。
 ちゃんと公表されたものだから、話しても大丈夫」
「いつからです」
 イールンは知らなかった。
 真珠の研究院のトップ研究員だというのに。
 専門分野以外にも興味を持つべきだと、肝に銘じる。
「僕が生まれる前からだよ。
 人工分娩に頼っても、種としての絶対数を確保できないそうだよ」
「そんな!」
「遺伝子異常を抱えて生まれてくる子どもが5割。
 うち生殖に関わる異常を持つ者が3割」
 淡々とヤナは語る。
 ヘイゼルの瞳は沈みいく太陽を見つめる。
「遺伝子治療すれば良いだけです」
「遺伝子治療した人間とそうでない人間の間には、自然に子どもが授かることがない。
 出産は人工分娩に頼るしかなくなる。
 自然環境で生殖ができない動物は滅ぶしかない」
「人間は文明に頼り、子を作ることができます。
 遺伝子異常の多さは、進化の局面を迎えただけなのでは、ありませんか?
 …………」
 イールンはハッと気がつき、口をつぐむ。
 「進化」するという単語を良い意味で捉えていた。
 研究において、進化樹の完成は偉大なる目標だった。
 全ての生物を進化させ、最終形態を特定する。
 それは……このとき、残酷な現実を突きつけるのと同じだった。
 進化は、その種が限界を迎えたときに起こる。
 環境に適応できるように、体を変化させていくのだ。
 全体の数%が進化して、新たな種になる。
 新しい種は、まったく違う能力を手にしている。
 人類であれば、その脳の容量からして大きな差がつく。
 90%以上の人類は、適応しきれずに死滅する。
 命のリレーは、おおよそ30年。
 30年で世代が大きく変化をする。
「過渡期なんだろうね。
 僕たちは消えいく定めの旧人類だ」
 シンパシー持ちの青年の横顔は寂しげだ。
 イールンはその感情に同調することはできない。
 生体機械は……ヒトではない。
 遺伝子レベルでプログラムされているから、ヤナの感情を「感傷」と位置づける。
 その場限りの嘘や慰めを言うことができない。
「だから、君たちを創ったんだ。
 覚えていて欲しかったから。
 どんな風に笑い、泣いて、暮らしたか」
「それは進化した人類ではできないのでしょうか?
 データに当たってみなければなりませんが、新人類の脳の記憶視野は格段と上がるのではないのですか?」
 人類の脳の半分は眠りについている。
 イールンたちですら2割のブラックボックスがある。
「歳を取ると、そこまで気長なことができなくなるらしい。
 僕たちの寿命は80年しかない」
 人類の種としての限界寿命は120年ではあるが、平均寿命は80年前後だった。
 それは宇宙に出る前とさほど変わらない数字である。
 引き換え『良き隣人』たちの平均寿命は120年。
 成長は人類よりも早熟で、長い青年期があり、老化は緩やかだった。
 機械が役目を終えるように、ぷっつりと亡くなる。
 その直前まで問題なく働いていて、エネルギー切れのように、死を迎えるのだ。
「だから待ちきれなかったんだよ。
 寂しいって、夕焼けはこんなに綺麗だって。
 話したくてしかたがなかったんだよ」
 ヤナは微笑んだ。
 言葉が出てこなかった。
 結局そのまま、イールンは夕焼けを見つめた。
 二人の間には透明な壁がある。
 樹脂よりも堅い、それ。
 ヤナと言葉を交わすたびに、ヒトではないことを意識する。
 それが格別に辛いと感じる。
 どうすることもできないモノの前で、イールンは途方にくれてしまう。
 意味のない仮定を心の中でしてしまうのだ。
 自分の遺伝子がヤナと似ていれば、彼と気持ちを共有することができたのだろうか。
 そんなことを考えてしまうのだった。
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