1.ヴァレンタインデー



「ねえ、宗ちゃん!
 ヴァレンタインデーって、知ってる?」
 燈子が瞳をキラキラさせて尋ねてきた。

「キリスト教徒のお祝いだ。
 海外では恋人たちの記念日だが、日本ではお歳暮代わりのチョコレートが飛び交うらしい」
 宗一郎は答えた。
 春分が終わって、ようやく暖かい日が続き始めたある日のこと。
 縁側で、二人は並んで日向ぼっこをしていた。
 純白の光の粒子が降り注いでいた。
「好きな人にチョコをあげる日なんだって。
 美咲ちゃんが教えてくれたの!」
 燈子は元気良く言う。
 学校が楽しくて仕方がないらしい。
 無邪気に燈子は笑う。
「そうか」
 少年はうなずいた。
 この山上にはない風習だ。
 歳の近い男女が少ないのも、原因の一つだろう。
 分家なら、もう少し人数が増えるのだが、分家の人間が本家の人間に贈り物をする度胸があるとは思えない。
 どちらにしろ、宗一郎には無縁の行事だった。
「だから、今年はお父さんと宗ちゃんにチョコをあげるね!
 楽しみにしててね」
 燈子は言った。
 どうやら、義理チョコの概念も教えてもらったらしい。
 宗一郎は、同世代の同性の友人の必要性を再確認した。
 母の制止を振り切った苦労も報われる。
 燈子は閉塞的な環境で育ったせいもあり、世間知らずすぎた。
 こうやって、年頃の少女らしく過ごす時間は大切で尊いものに思える。
「では、お返しを用意しなくてはいけないな」
 真新しいことは、どんな類のものであっても面白い。
 少年は甘いものがあまり好きではなかったが、少女の笑顔を曇らせたくはなかった。
 甘党な少女がわざわざ自分の好きな物をくれる、と言うのだ。
 楽しみにしない男がいたら、それは人間の屑だ。 
 寡黙な少年はかすかに笑む。
「三倍返ししてね!
 ちゃんとしたチョコをあげるから」
 2月14日を心底楽しみにしている少女は、屈託なく笑う。
「ああ、そうだな」
 宗一郎は燈子の小さい頭をなでた。
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