8.雨合羽



 学校の昇降口。
 少女は困った。
 天気予報外の雨が降り出していた。
 少女――燈子は、傘を持ってきていなかった。
 いや、それ以前に傘なんて、燈子は持っていないのだ。
 理由は、明解。
 燈子は学生カバンから、レインコートを取り出して、着込む。
 傘を差すよりも、レインコートの方が歩くときは楽なんだけど。
 燈子はフードを被ると、外を出て行こうとした。

「燈子ちゃん、今帰り?」

 振り返れば、同じクラスの大船美咲がいた。
「うん」
「私もこれから帰るんだ。
 一緒に帰ろう」
 途中転入のクラスメイトはとても朗らかだ。
「今日も、川上に行くの」
 燈子がそう告げると、
「じゃあ、バスも一緒だね」
 美咲は器用に折り畳み傘を片手で開く。
「うん♪」
 燈子は全開の笑顔を浮かべる。


 バス停でバス待ち。
 ちょっと遅い放課後だから生徒の姿はなく、二人の少女だけだった。
「最近、村上君とクラスでも話さないのね」
 美咲が言った。
 学年でも、村上の苗字を持つ男子生徒は数人いるのだけれど、そちらは名前で呼ぶ。
 苗字で呼ぶのは一人きりだ。
 それで、意味が通じる。
「うん。
 お母さんが、泣いちゃうから」
 大きな瞳を潤ませて、燈子は言った。
「……二人、とても仲が良かったから。
 何だか、他の人まで心配しているみたいね」
 美咲は事実をオブラートに包んで言う。
 公立高校だからか、この高校はとても閉鎖的だった。
 小学校から顔なじみが、生徒の8割。
 美咲のように途中からの転入は珍しい。
 そういえば、パパも苦労してたよね。と、美咲は喫茶店を始めたばかりの父親を思い出した。
「そうなの?」
 燈子はきょとんと不思議そうにこちらを見る。
「うん。
 燈子ちゃんと口を利かないのが気になるみたい」
 露骨なほどの好奇心で、ここ一ヶ月視線が集中している。
 鋼鉄の心臓で出来ている美咲にもげんなりとする日々だった。
 みんな事実を知りたいのに、絶対に燈子には訊かないのだ。
 宗一郎に尋ねるのは、もってのほか。
 それがここの学校。
「あれ?
 燈子ちゃん、お友だち?」
 気さくな笑顔で会話に乱入してきたのは、元生徒会長の寺島先輩である。
 美咲は会釈した。
「こんにちは」
 芸能界からスカウトが来そうな先輩は、惜しみなく笑顔を振りまきつつ、自分の傘を燈子の頭の上にスライドさせる。
 とても、自然に。
「一緒に来る?
 このバスに乗るって事は、家は川上の方でしょ?
 燈子ちゃん、一人だと寂しいだろうし」
 ニコニコ笑顔は強制的に美咲を誘った。
「いいの?」
 素直な燈子は嬉しそうに尋ねる。
 大きな瞳は期待に輝いている。
 この状態で誘いを断れる人間は、鬼だ。
「もちろんだよ。
 ボロ家だけど、広さだけはあるから。
 お友だち、何人呼んでも大丈夫」
 ニコニコ笑顔は念押しする。
 ……何となく、断りたい気がする。
 たいした面識がないのに、この先輩はヤバそうだ。と、美咲は思った。
 しかし、親友の期待は裏切れなかった。
 美咲はぎこちなくうなずいた。


 鬱蒼とした森になりかけの杉林。
 川の上流にある川上は……お化け屋敷より不吉で、おどおどしかった。
 まず、街灯がない。
 いや、電線があるのか、怪しい。
 テレビ映らなさそうというより、電気通ってなさそう。
 それが美咲の感想だった。
 むしろ、首都圏にこんな場所が残っていて良いのだろうか?
 役所に小一時間、訊いてみたい。
 この街育ちの二人は当然、気になるはずなく、ごく普通に歩いているのが恨めしい。
 陰気な舗道されていない道を美咲は無言で歩く。

 バサバサッ!!

 鳥が羽ばたく音が間近で起こる。
 雨が降っているのに、鳥が飛ぶなんて。
 美咲はギョッとした。
「最近、多いね」
 ポツリと寺島先輩は言った。
「ああでも大丈夫。
 鳥居は越えられないから」
 ニッコリと笑顔で付け足す。
 どこに『大丈夫』がかかるのかわからない。と美咲は困惑の笑顔を浮かべる。


 そんなこんなで美咲は招待されてしまったのだった。
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