チアキ・ハセガワは手紙を受け取った。
 そのことに大いに途惑ったのだ。
 ここは『惑星CA‐N』のチアキの営む小さな花屋だった。造花が主流の宇宙であっても、それなりに需要のある仕事だった。
 特に『地表主義』と呼ばれる人間にとっては特別な意味を持つ。
 冠婚葬祭の時に、やはり生花を小さなブーケでいいから用意したいと思うらしい。
 あるいは交際を申し込む時、プロポーズを申し込む時には男性諸君からチアキの花屋にメールが舞い込むことが多い。
 なので、この手紙という様式を珍しいを通り越していた。
 一応、チアキの店兼自宅には郵便ポストはある。
 筋金入りの『地表主義』のチアキはあまり不自然に思わなく用意したものだった。
 このポストが利用される時は家族からか、友人からだ。
 天国の青のような手紙には、綺麗な文字で『チアキ・ハセガワ様へ』と書かれていたのだ。
 見覚えのない筆跡であり、しかもわざわざ手書きをしたのだろう。美しい黒いインクで書かれていた。
 おそらくは万年筆と呼ばれる筆記用具を使った形跡があった。
 チアキですら手紙を出す時は、ボールペンですます。
 万年筆は亡くなった祖父が好んで使っていた筆記用具だ。
 チアキはますます混乱した。
 手紙を握りつぶさないように気をつけながら、自室に戻る。
 そしてテーブルの上にそっと置く。
 裏返して差出人の名前を確認する。
 『ショウ・ヨコヤマ』と書いてあった。
 手紙はご丁寧にシーリングワックスで封印されていた。
 ペーパーナイフなんて上等なものは持っていないチアキはカッターナイフで開封する。
 手紙からは、数枚の便せんが出てきた。
 それは白色で、やはり手書きだった。
 書き消した文字も、修正した箇所もなかった。
 季節の挨拶に始まり、近況報告が続き、用件が書かれていた。
 チアキは目を疑う。
 いわゆるデートのお誘いだろうか。
 空いている時間教えてほしい、一緒に見てほしいものがある、と書かれていた。
 19年間という人生で初めて異性からもらった手紙である。
 どちらかと言えば、ごく普通の女性たちと違って着飾ることをしてこなかったチアキだった。
 しかもこの宇宙時代である。
 『地表主義』はお荷物でしか過ぎない。
 恋愛対象から避けられがちになっていた。
 チアキ自身も、それでかまわないと思っていた。
 そのため、生まれた年齢と恋人がいない年齢が一緒という人生を歩んできたのだ。
 両親たちからは、それなりに心配されたが、同じような価値観を持つ男性とお見合い結婚でもすればいいのだと思っていた。
 たった一度しか会っていない。
 というよりもショウ・ヨコヤマにとっては仕事の一環だったはずだ。
 それなりに市民として大切に扱ってもらえたような気はしたが。
 ショウ・ヨコヤマが『惑星CA‐N』で働いていることは知っていた。
 二十代半ばのエリート公務員が、わざわざ辺境である『惑星CA‐N』に勤めていることが話題になったからだ。
 それもチアキの店で自宅用に花を一輪を買い求めるような女性たちが世間話の一環として語っていったから、嫌でも耳に入る。
 誰もが憧れる交際相手や将来の結婚相手なのだろう。
 そんな人物からの手紙だ。
 知られたら、どうなることになるのだろうか。
 とりあえず嫌な予感しかしない。
 ただ断るにしても穏便に断るしかないだろう。
 気を使って、手紙という形式で誘ってきたのだから。
 便せんを読み返して、やはりエリート公務員というのは優秀なのだろうか。
 チアキですらここまで整った文字で書くのは至難の業だった。
 引き出しから淡い水色のレーターセットを取り出して、ペン立てからブルーブラックのボールペンを引き抜くと返事をしたためる。
 仕事が立て込んでいるので、しばらくは自由な時間は取れそうにありません。
 お誘いいただきありがとうございます。
 と、簡潔に書いて手紙を出した。


   ◇◆◇◆◇


 数日後。
 チアキはぼんやりと店番をしていた。
 そこへ背の高い男性がやってきた。
「いらっしゃいませ」
 チアキは立ち上がり、声をかけた。
 黒一色なのは変わらない。
 ただスーツではなかった。
 ゆったりとした生地のシャツに、細身のデニム。かっちりとした革靴。
 腕時計は黒いベルトで文字盤だけが艶消しのシルバー。
「この後、閉店時間だと確認したのですが」
 ショウ・ヨコヤマが淡々と言った。
「はい。そうですね」
 チアキは驚きすぎて素直に答えてしまった。
「実は私も半休をいただいたので、できたらご一緒したいと思っていたのですが、よろしいでしょうか?」
 丁寧な物腰だったが有無を言わせない圧力を感じた。
 チアキはうなずいた。
「実のところ、独立で生計を立てているとはいえ未成年の女性に対してアポイントメントを取らずに訪問するのはどうか、と思ったていたのですが、どうしても知的好奇心が勝ちましたね。
 この機会を逃すと、次はしばらくは無理そうだと判断して、本日訪れることにしたのです」
 ショウは言った。
「はあ、そうなんですか」
 チアキは相槌を打つ。
 二人は『地表主義』が好むような舗装された道を歩いていた。
 違和感はかなりあった。
「ヨコヤマさんでも、そんな恰好をするのですね」
 チアキはちらりと見た。
 たぶん二十代前半の男性ならばよくある格好なのだろう。
 機能性重視のチアキとは違って、それなりに華のある格好だともいえる。
 チアキは、洗いざらしの木綿のシャツに、インディゴのジーンズ。スニーカーも歩きやすさ重視の選択だ。
 化粧っ気もなれば、香水なんて洒落たものもしていない。
「休日はこんな感じですよ。
 さすがにスーツ姿だと『惑星CA‐N』では目立ってしまいますからね。
 意外に顔が売れているようです」
 ショウは言った。
「でしょうね。
 ヨコヤマさんは人気者みたいですよ」
 チアキはためいきをかみ殺しながら答えた。
「別段、変わったことはしていないのですが、そのようですね。
 私には理解が越えることです」
 ショウは淡々と言った。
 突っ込みたいところはたくさんあったが、チアキは黙った。
 名誉職である公務員。しかも二十代半で就いているとなるとエリート中のエリートだ。
 しかも結婚しているわけでもなく、特定の女性と付き合っているわけでもない。
 かといって、公務員だけあって、不特定多数の女性と親睦を深めているわけでもないらしい。
 そんな人物と一緒に、歩いていることを知られたらどうなることか。
 好奇心という針の筵に投げ込まれるようなものだ。
「ご足労をおかけして申し訳ないと思っていますが、もうしばらくはお付き合いいただけないでしょうか?」
 ショウは言った。
「はい」
 チアキは緊張しながら、うなずいた。
 なにせ生まれて初めて、親族以外の異性と一緒に歩いているのだ。
 学生時代に強制的に班行動を取らされたこともなかったわけではないが、まずもって二人きりになるような展開はなかった。
 それぐらい保守的な場所で生まれ育ったのだ。
 居住区の空は、それそろ夕方だろうか。
 今日も人工的とはいえ美しい夕暮れが見られることだろう。
 天気は決定されているのだから不必要な場所で、雨が降ることはない。
 もっとも『惑星CA‐N』は『地表主義』が好む惑星だけあって、無駄に雨を降らすことはある。
 きちんと故郷星のように四季が巡るのだ。
 どれだけ歩いたことだろうか。
 異質な場所に辿りついた。
 天上から地上まで白色のプレーンな壁があるのだ。
「……あの、ここは?」
 チアキは途惑いながら尋ねた。
「ハセガワさんには珍しい場所でしょう。
 シェルターの最深部です。
 ここからは『惑星CA‐N』の外になります」
 ショウは淡々と言った。
「え?」
 チアキは目を瞬かせる。
「どうして『地表主義』のあなた方、この惑星を『カナン』と名付けたのか。
 その明確な回答を得られないまま、別れてしまいましたからね。
 心残りだったのです。
 何度もシミュレーションをしたのですが満足いく回答を出ませんでした」
 手際よくプレーンの壁にショウはタッチしていく。
 細長い指先が迷いもなく叩いた場所が人工的に光る。
 いくつかのパスワードを解除しているのだろう。
 見ていて良いものではないだろうと、判断してチアキは視線を逸らした。
 もしや、これは職権乱用というものではないのだろうか。
 そんな考えもチアキの頭によぎる。
 電子音がしたと思ったら、眼前に広がったのはマゼンダ色の空だった。
 荒涼としていて何もない。
 草木一つも生えていないし、砂と岩だらけの地表だった。
「この辺りはまだ重力も空気も安定しているので、徒歩で1時間ぐらいなら歩いても健康的な被害はない。
 という結論が出ています。
 もっとも『地表主義』の方に限りますが。
 ハセガワさんなら、大丈夫でしょう」
 ショウの言葉に促されるようにチアキは一歩を踏み出した。
 生命を拒絶するかのような、鮮やかなマゼンダ色の空だった。
 あまりの美しさにチアキは息を飲みこんだ。
 まるで故郷星のエリアJ-Hで見たようなおわん型の空だった。
 これならば、毎日が朝焼けで夕焼けだろう。
「何もないんですね」
 想像と違った世界だったのでチアキはつぶやいた。
「移住区以外は手をつけない、銀河標準法の法律があります。
 私たちはすでに『神』の領域に手を出してしまいましたから、同じ過ちを犯してはいけないという戒めのようなものですね。
 法律の下でしか守られていない約束です」
 ショウは淡々と言う。
 どこか後悔するような響きがしたのは、どうしてなのだろうか。
 チアキは不信に思って、背の高い男性を見上げた。
 ショウはどこまでも真っ直ぐにマゼンダ色の空を見つめていた。
「それは『地球保全法』ですか?」
 チアキは尋ねてしまった。
 ショウの黒に近い深い焦げ茶色の瞳がチアキを見た。
 故郷星で、ヨコヤマの姓を名乗る以上、ありきたりな色の瞳だろう。
 チアキとて似たり寄ったりの黒髪茶色の目だ。
 Jから始まる場所では、市民番号と同様、チアキの瞳は珍しい部類に入るかもしれない。
 俗にブラウン・アイと呼ばれように、ほんの少しばかり虹彩が淡いのだ。
 広い故郷星では目立たない部類の色だろう。
「私個人的には話してもかまわない類のものだと思いますが、『地表主義』のハセガワさんは知らない方が良い話でしょう。
 宇宙の外に出ていけば知るような知識ですが、この『惑星CA‐N』から一生出るつもりがないなら負担になるだけの話です」
 ショウは静かに言った。
 いわゆる『好奇心は猫を殺す』という類の話だろうか。
「それが嫌でヨコヤマさんは『惑星CA‐N』に配属希望を出したのですか?」
 チアキは尋ねた。
 ショウはしばらく考えて
「やはりあなた方は天国に程近い。
 普通は、他者にそこまで思いやれません」
 口を開いた。
「立ち入ったことを尋ねて、すみません」
 チアキは謝った。
 プライベートなことに踏み込んでしまった。
「褒めたつもりだったのですが、言葉足らずだったようですね。
 あなた方は、そのままでいてください。
 『地表主義』のみなさんは、聖域です。
 それが人類の総意でしょう。
 ハセガワさんの言ったとおりに、私はすべてから逃げ出したかったのかもしれませんね。
 東の方〈エデン〉に辿りつけば答えが出ると信じたかったのでしょう」
 ショウは空に視線を戻した。
「ここは楽園ですか?」
 『カナン』同様に古い言葉だ。
 〈キャスケット〉に入る前の会話が気になって、その後、チアキが単独で調べた結果だった。
 両親にも友人にも話してはいない。
「『惑星CA‐N』の通称の『カナン』は、神が約束した地と同じ意味です。
 きっとあなた方のために、神が用意されたのでしょう」
 ショウは事務的に言った。
 チアキが答えなくても、男性の中ではすでに答えは出ているようだった。
 ならば、どうしてショウはここにチアキを連れてきたのだろうか。
「ヨコヤマさんは宗教的なのですね」
 シャトルの中では哲学的だと言ったけれども、それが充分な答えだった。
「職場では無神論者で通っていますよ。
 全知全能の『神』がおられるのならば、どうしてこのような不完全なヒトを作ったのか疑問に持ちますから」
 ショウは気負いなく答えた。
 特定の宗教を持たない『地表主義』のハセガワ家だったから、無宗教と言われていた。無神論者とは少々異なる。
 特定に宗教を持たないからこそ、どの宗教も受け入れていた。年二回の墓参りには花を携えて、七夕になれば短冊を飾り、秋になれば十五夜を見上げ、クリスマスにケーキを食べれば、正月には神社にお参りに行く、結婚式にはきっと純白のウェディングドレスを着るだろう。もっとも近いのは宗教を上げるのならば、神道なのだろうか。それぐらい節操がなかった。よくある『地表主義』の家庭でチアキは19年間生きてきたのだ。
「すべての事象には霊的なものが存在している。たとえば、この夕暮れの中にも。
 どんな事柄であっても、神さまが用意してくださったものだと信じています。
 連れて来てくださって、ありがとうございました。
 きっと一人じゃ、この光景は寂しかったと思います」
 チアキは背の高い男性を通り越して、マゼンダ色の空を見上げた。
 移住区と違って、永遠に続く朝焼けであり、夕焼けだった。
 『惑星CA‐N』の空は時間に合わせて変わることはないのだろう。
 チアキの名前は『千明』と書く。立ち上がる、明けない夜がない、という意味を持つ。
 後悔を引きずる性質なチアキにとって、少々荷が重い名前だった。
「そう言っていただけると意義があったようですね。
 私のわがままにお付き合いいただきありがとうございました」
 ショウは振り返った。
 無表情に近かっただけども、どことなく微笑んでいるように見えた。
「帰りに花を一輪、持っていってもらえませんか?
 そのままドライフラワーにできる花なので、特に花瓶とか用意しなくて大丈夫なものです。
 今日の記念に」
 チアキは必死になって言った。
 自分でも、どうしてこんなおせっかいなことに首を突っ込んだのかわからない。
 届いた手紙が天国の青だったのが悪かったのかもしれない。
 セレスティアル・ブルー。『神のいます至高の天空』だ。
「感謝いたします。
 またお礼を考えなければいけませんね」
 ショウは言った。
「そんな大したものじゃないので、お気遣いなく」
 チアキは困ったように笑った。
 二人は来た道を戻る。
 シェルターの外にいた時間よりも、そこまでの道のりの方が長いぐらいだった。
 特には言葉はなく、足跡だけが沈黙を彩った。
 移住区は、夕方の時間は過ぎ去っていて、一人ぼっちにされないだけマシだということに気がついた。
 一応、故郷星にいた頃と同じように店を構えたものの、さほど移住歴が長いわけではない。
 治安のいい場所だし、両親が住んでいる場所とも近い。
 街灯もきちんと定期的に配置されており、不審者が出てくるような場所でもない。
 むしろ故郷星にいた頃よりも恵まれているだろう。
 ショウを待たせるのも悪いと思って、店に戻ったチアキは一輪の紫色のスターチスを引き抜く。
 周年出回る花で、簡単にドライフラワーにでき、乾燥させても色あせないことから『変わらぬ心』や『途絶えぬ記憶』や『永久不変』という花言葉を持つ。
 銀河標準言語では『remembrance(記憶)』、『success(成功)』、『sympathy(共鳴)』という意味も持つ。
「どうぞ、お持ちください」
 チアキは一輪の花を差し出した。
「だいぶ、ご心配をおかけしたようですね。
 この花が枯れる前に、また来てもよろしいでしょうか?
 今度はきちんと客として」
 ショウは受け取りながら尋ねる。
 花言葉を察したのだろう。
「ご来店をお待ちしています」
 チアキは答えた。
 接客の一環だったのか、心からの言葉だったのか、チアキ自身も答えを持たなかった。


   ◇◆◇◆◇


 以来、休日の日にショウが花を一輪を買い求めるようになった。
 もちろんスーツ姿ではなかったが、若い男性だ。
 それが常連のように買いに来れば、目立つ。
 誰か贈り主がいるのだろうか。
 そんなことをチアキに尋ねる女性たちも多かった。
 友人である度し難い懐古趣味の格好をしたハルカ・モリヤにすら、尋ねられた。
 できるだけ目立たない生活を送りたかったチアキにとって、かなり痛手な日々は続く。
 地球から人類が立ち去って、墓標になって、3年後。
 銀河標準暦130年12月31日。
 ショウが真っ白なカスミソウだけの花束を抱えてくるまで続いたのだ。
 カスミソウはドライフラワーにしやすい花であり、開花時期もあるものの通年手に入りやすい花だった。
 普通は何かの花を組み合わせて使うことが多いが、ボリュームのある花だ。
 さほど本数がなくても大きな花束になる上に、バラや他の花に比べて手にした時に軽い。
 そのためにプロポーズに使う男性も少なくない。
 花言葉は『感謝』、『清らかな心』、『無邪気』、『親切』、『幸福』。
 銀河標準言語では『everlasting love(永遠の愛)』、『purity of heart(清らかな心)』、『innocence(純潔)』の意味を持つ。
 特に言葉にされことはなかった。
 特に気持ちを確かめ合ったことはなかった。
 ただ休日に花を一輪だけ買い求める客とその店主という3年間を過ごしたのだ。
 大いに途惑いながら、チアキはその花束を受け取ったのだった。
 初めて手紙を受け取った時のように。
 花束には天国の青のリボンが結ばれていた。
 故郷星の空のような、もっと深い意味のあるような色合いのリボンだった。
 ショウが楽園を見つけたように、チアキも帰る場所を見つけたような気がした。