七草粥
「お願い!」
 北斗射那は中学からの親友、四恩好貴に頭を下げた。
「改まって何?」
 好貴はためいきをついた。
「今度、奢るから!」
 射那は言った。
 チタンフレームの奥の瞳は真剣だった。
 二人は北風に負けて、コーヒーショップに寄り道をした。
 温かい物を飲みたいはずだったが、注文したのはアイスカフェオレ。
 暖房が効いた店内にグラスには水滴がつきはじめた。
「今度は何に困ってるの?」
 期末テストも終わり、冬休みに浮かれた学生たちの姿がちらほら見えた。
 クリスマスの予定でも立てているのだろうか。
 そんな初々しいカップルを横目で見ながら、好貴はカフェオレを飲む。
 今年のクリスマスは、図書室でぼんやりと過ごしているだろう。
 借りに来る生徒もいないだろうが、図書委員会は通常どうりだ。
「七草粥の作り方を教えて!」
 親友は言った。
「は?」
 クリスマスムードを通り越して、一気に正月モードに入ってしまった。
「藪から棒に」
「だって、作ったことがないだもん。
 料理研究部、期待のホープなら美味しい七草粥の作り方を知っていると思って」
「そりゃあ、知ってるけど。
 突然、どうしたの?」
「和歩君、七草粥を食べたことがないんだって。
 だから作ってあげたいな、と思って」
 射那はカバンからメモとペンを取り出した。
「まず土鍋があるの?」
「独り暮らしの和歩君の家にあると思う?」
「じゃあ、寸胴は?」
「寸胴?」
「スパゲティを茹でる時とかに使う大きな鍋は?」
「和歩君、家で料理しないみたいだから、あるかなぁ?」
 射那は首をかしげる。
「炊飯器で炊いたご飯に水を入れてレンジでチン」
「それって美味しい?」
「だってお粥を作れそうな感じがしないもの。
 射那が作ったものなら、何でも美味しいと食べてくれると思うわよ」
 好貴は呆れながら言った。
 どこまでも他人と関わるのを嫌う緒方和歩が、射那だけを特別扱いしているのは丸わかりだった。
 気がつかないのは色恋沙汰に鈍い親友だけだろう。
「それじゃあ、意味がないの!
 和歩君に家庭的な喜びを感じて欲しいの!」
「調味料はあるの?
 そもそも包丁とまな板が存在しているの?」
 好貴はストローでカフェオレを混ぜる。
「この前、遊びに行った時にはあった」
 自信満々に射那は言う。
「まずは神奈川県産って書いてある七草粥キットを買う。
 フリーズドライは草っぽい味がするから、アウト」
「キットを使うなんて手抜きっぽくない?」
「その辺に生えてる草を使うよりも、安全よ。
 それに作り方が書いてあるから、それの通りに作れば大丈夫」
「えー。
 コツとかないの?」
「前日の晩から作ると、当日の朝、美味しく食べられるわよ。
 灰汁がけっこう出るから、丁寧にすくうといいわ。
 あと塩茹でした七草は、完成間近に入れること。
 米1合で4人前ぐらいできるから、量は調節が必要ね
 個人的な好みだけど、米1に対して水10ぐらいのお粥がいいわね
 弱火で60分煮たのが美味しいわ」
 好貴は言った。
 射那はメモを取る。
「じゃあ、前日に作って、当日に鍋で温めなおせばいいのかな?」
「それが無難だと思うわ」
「他には?」
「ごま油やめんつゆをかけると味が変わって、飽きがこないわね。
 検索すればいくらでもレシピが出てくるわよ」
「たくさんありすぎたから好貴に訊いたんじゃない」
「なるほど」
 自力で作ることも考えていたのか。
 台所に立つのは最小限な親友の心を動かすほど、緒方和歩という存在は重要らしい。
「自分の家で作って、タッパーで持って行ったら?」
「うん、そうする」
 射那は、すっかり氷が溶けたアイスコーヒーをすする。
「相談に乗ってくれてありがとう!」
「美味しくできたか、結果を聞かせてくれたら充分よ」
「好貴って欲がないよね。
 次は、何でも奢るよ」
 射那はニッコリと笑う。
 大人びた雰囲気のある親友にはアンバランスな笑顔だった。
 それに少しだけ羨ましく思った。
 好きな人のために作る料理は楽しいだろう。
 そんな特別にめぐりあえるのは幸運だ。
「私も恋がしたいわ」
 好貴は呟いた。
「私と和歩君はそんな関係じゃないって!」
「クリスマス、デートするんでしょ?」
「どこから、そんなこと聞いたの!?」
 射那は立ち上がる。
 テーブルがガタンッと揺れた。
 店内中の視線が集まった。
「校内で約束すれば誰かしらが見てるわよ。
 緒方君、生徒会役員だし。
 ファンクラブもあるぐらいなんだから」
 好貴は呆れた口調で言った。
 二人を引き裂こうとするような生徒がいないのが幸いだった。
「本当にそんな関係じゃないのよ」
 射那はスカートを直して、椅子に座る。
 弱々しい口ぶりに疑問符が湧いた。
「何かあったの?」
 好貴は聞いた。
「何もない」
「告白したら?」
 他人から見れば二人は立派な両想いだ。
 だから、邪魔をしようとする生徒がいない。
 むしろ祝福すらしている人物もいる。
 好貴もその中の一人だ。
「それができたら、悩んでない!」
「クリスマスが勝負ね。
 素敵な誕生日になるといいわね」
 好貴は残りのカフェオレを飲みきる。
「外はもう真っ暗だから帰りましょう」
 うながされて射那もアイスコーヒーを勢いよく飲む。
「他人事だと思ってー」
 射那は唇を尖らせる。
「お似合いだと思うけど」
「だーかーら、そんな関係じゃないって言ってるでしょ」
 お互いにトレイを持って立ち上がる。
 返却口に置くと「ありがとうございました」と店員の輪唱が追いかけてくる。
 風は強まったようだ。
 イルミネーションが北風に揺らされている。
 白や青のELDは寒さを強調する。
 好貴も冬生まれだが、寒さには弱い。
「寒いわね」
 仕舞ってあったマフラーを取り出して首に巻きつける。
 射那は颯爽と歩いている。
「冬はこれぐらいでちょうど良いと思うけど?」
 ブレザー姿の親友は言う。
 コートを出してくれば良かった、と好貴は後悔する。
 セーターが幾分か寒さを軽減してくれるとはいえ、頬をなでる風は刺すように冷たい。
 電車に乗れば、暖房が効いているだろう。
 それまでの我慢だと思い、急ぎ足で駅まで向かう。
「そう思うのは射那ぐらいよ」
「好貴は寒がりね」
「射那の代謝が異常なのよ」
 指先をこすり合わせながら言った。
 お子様代謝な射那は、年柄年中薄着だった。
 その分、好貴が着こんでいるような気がした。
 ちょうどよく滑りこんできた電車に乗って、二人は帰路に着く。
 二年次以降の進路調査や期末テストの結果と話題は尽きない。
「頑張るのよ」
 別れ道で好貴は言った。
「美味しい七草粥、作れそう。
 今日はありがとう!」
 元気よく手を振った親友に苦笑する。
 そういう意味で言ったわけではないのだけれども、彼女らしい。
「クリスマスかー」
 家族とケーキを食べるぐらいしかイベントのない好貴は、ためいきをついた。
 息は白く残って、夜空を彩った。
 冬休み明けには結果が出ているだろう。
 二人がどんな顔をして、登校してくるのか楽しみだった。
 極力、こちらからは連絡をとらない。
 不器用な彼女がせいいっぱい作った七草粥を食べる彼を想像するだけで面白い。
 郵便受けから夕刊を取り出すと、好貴は玄関をくぐる。
「ただいまー」
 ダイニングに夕刊を置くと
「遅かったわねー」
 と料理中の母が言う。
「今日の晩ご飯、なあに?」
「寄り道する時は、前もって言いなさいって何度言えばわかるの?」
 母のお小言に好貴は首をすくめる。
「射那に四恩家特製七草粥レシピを教えていたの」
「あら、そう。
 特製っていうほど、特別なことはしてないけれど」
「お母さんの作るお粥は美味しいもの」
 機嫌を損ねないうちに、好貴は自室に戻った。
 いつか自分も七草粥を作って、あげたくなるような人に出会えるのだろうか。
 美味しいと言ってもらえるために、今から励まなければ。
「意外に近くにいたりしてね」
 好貴は独り言を口にした。
 まだまだ先の未来だ。
 暖かな家庭が築けるといいな、とぼんやりと輪郭を描く。
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