恋人たちに祝福を
「あとはラッピングするだけね」
 好貴は冷蔵庫からバットを取り出す。
 金属製のバットにはチョコレートが並んでいる。
「溶けやすいから気をつけてね」
 好貴は言った。
「何度ぐらいで溶けるの?」
 射那が目を大きくして尋ねる。
「暖房に直接、当てなければ大丈夫だと思うけど」
「つまり何度?」
 射那は被りつくように訊く。
 せっかく綺麗にできたチョコレートだ。
 万全の状態で食べてもらいたい。
 そんな恋する乙女の願望が全面に押し出されていた。
「たぶん平均的な室温までは大丈夫だと」
 好貴はたじたじになって答える。
 市販の品とは違い、一概には答えられない。
 言葉はどうしても弱々しいものになる。
「本当?」
「たぶんよ。
 それに外は寒いんだし、溶ける心配はないんじゃない?」
「すぐに食べてもらわなきゃ」
 真剣な表情で射那は言った。
 まるで毒薬か媚薬を盛るような人物の顔をする。
 あながち間違いではないかもしれない、と好貴は思った。
 チョコレートが媚薬として取り扱われた歴史もある。
「好貴、ありがとう!
 一人じゃ、絶対に作れなかった」
 射那が好貴の手を握る。
 あたたかい温もりに、知歩くんも救われているのだろうか、と考えてしまった。
 すべてを知っているわけではないけれども、その人生は平坦ではないようだ。
 まだ高校生なのに、諦観したような色の瞳をすることがある。
 それは楽瑠も同じだ。
 時折、人生に飽いたような瞳をする。
 そんな瞳を見る度に、好貴の胸はチクリと痛む。
 知歩くんにとって射那が救いなように、楽瑠にも救いがあればいいと思う。
「好貴は楽瑠くんに渡すんでしょ?」
「まあ、一応」
 付き合っているのだから当然だ。
 あちらの方が料理上手だから、お返しの手作り菓子が待っていそうだったが。
 柿色のボックスにチョコレートを詰めていく。
「きっと喜んでくれるよ!
 なんといっても、素敵な恋人が用意してくれたチョコレートだもん」
 射那は好貴の背中を叩く。
 表面上は喜んでくれるだろう。
 たとえ、塩と砂糖が間違っていたとしても。
 料理研究部の部長だから、そんな初歩的なミスはしていないけれども。
 たくさん貰うチョコレートの中に埋没してしまうのではないか。
 そんな不安はある。
 苔色のリボンを結んで完成だ。
 自信たっぷりの射那が羨ましいと思った。
 愛されているということを疑ったことはないのだろう。
 他人に興味がなさそうな知歩くんが射那にだけは固執する。
 伊達眼鏡の奥の瞳はずっと射那だけを見ていた。
 誰から見てもわかりやすい恋だった。
 それに比べて、自分たちの関係はあやふやだ。
 告白はされた。
 普通の恋人同士のように手を繋いで帰る日もある。
 それでも楽瑠は踏みこませてはくれない。
 痛みも、悲しみも、苦しみも。
 何もないように微笑んで見せる。
 誰にでも平等に優しくて、その性格は温厚だ。
 楽瑠が怒鳴り声をあげていることなんて……あった。
 二年生の一学期、顔を合わせる度に口論になっていた。
 それが、今では付き合っている。
 運命なのだろうか。
 過去を振り返ってみれば不思議だった。
 どんな巡り会わせで、二人の赤い糸が繋がっていたのだろう。
「今年は手作りだから喜んでくれるかな?」
 射那は白いギフトボックスに、青いリボンをかけた。
「去年は喜んでくれなかったの?」
「んー、それがいまだに冷凍庫に眠っているんだよね。
 この前、知歩の家に上がったら残っていた」
 射那は思い出すように答える。
 好貴は失笑した。
 大切にしすぎだろう。
「市販品だったのが悪かったのかなぁって思って。
 ほら、手作りだったら保存できないじゃない。
 すぐに食べてもらいたいから」
 射那は言った。
 そういう問題ではない、と好貴は思ったが言わずにすませた。
 今日は恋人たちの祭典だ。
 渡して、受け取るだけでもお祭り騒ぎだ。
 誰の元にも喜びが舞い降りますように、と好貴は願った。
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