記録ではなく記憶で
 長い冬を越えて、春めいた季節になった。
 今年は凍てつく冬が長かった分、心が浮き立つ。
 射那の足も軽くなるものだ。
 今日は恋人の誕生日プレゼントを買いに、ショッピングモールに行く。
 そう、恋人。
 生まれて初めてできた、自分以上に大切な存在だった。
 あまり物欲のない恋人だけにプレゼントを選ぶのは難航した。
 だから、デートを兼ねて好きな物を選んでもらおうと考えついた。
 ショッピングモールなら、何かしら心惹かれるものがあるだろう。
 気に入った物があれば一番なんだけど。
 それに誕生日にデートをしたということは、記録ではなく記憶が残るだろう。
 そうだったらいいなぁ、と思う。
 写真記憶ではなく、胸に残る記憶になったら、どんなに素敵だろう。
 予算の方は大丈夫だ。
 この日のために、お小遣いを貯めてきた。
 もうすぐ待ち合わせ場所につく。
 雑踏の中から一目でわかった。
 世界が一変した気分になる。
 伊達眼鏡をした恋人が待ち合わせ時間の前にやってきていた。
 これでも待ち合わせ時間の十分前につくように、家を出たのに。
 いつから知歩は待っていたのだろうか。
 それだけ楽しみにしていてくれたのなら嬉しいな、と射那は思った。
 作り物じみた目が射那をとらえた。
「お待たせ」
 と射那が言うと、少しだけ知歩の表情が和らいだ。
 特別なようで幸福な気持ちでいっぱいになる。
「誕生日おめでとう」
 淡々と知歩は言った。
「誕生日なのは知歩でしょう?」
 射那は小首を傾げる。
 クリスマス生まれの射那の誕生日は、すでに祝ってもらっている。
「君に会えたことが最大の誕生日プレゼントだよ」
 気障で歯が浮くような言葉も知歩が言うと真剣みに溢れているような気がする。
 たった一つの真実のような気持ちがするのだ。
 普段から嘘や偽りを口にしないだけに、射那の心を真っ直ぐに届く。

「会わずに言えなかった分だけ、君におめでとうを言いたい」

 雑踏の中だというのに、はっきりと聴こえた。
 それだけ想いがこもっているのだろう。
 射那の心臓は駆け足のように、ドキドキする。
 恋人の誕生日だというのに、自分ばかりが幸せになっていくような気がする。
 それでいいのだろうか。
「ありがとう」
 少女は照れながら言葉を紡いだ。
 誕生日を祝ってくれた時も嬉しかったけれども、こうして言葉にしてくれたことも嬉しい。
 心臓がトクントクンと刻まれていく。
「君に会えて幸せなんだ」
 抑揚のない声が告げる。
「私も知歩に会えて、幸せだよ」
「同じ気持ちだとしたら、嬉しいな」
 知歩は言った。
 それは微かに切ない響きを宿していた。
 どんなに想っても、同一になれない。
 そのことを知っているような呟きだった。
 射那は、どうすれば知歩が幸せになれるのか、そのことを考えた。
「とりあえず、ショップを覗こうか」
 手を差し出した。
 知歩はその手を優しく握り返してくれた。
 今日は一日、幸せになってもらうと射那は心の中で固く誓った。
 だって、今日は誕生日だ。
 生まれてきてくれて、出会ってくれて『ありがとう』を伝える日だ。
 どんな人でも笑顔になってほしい。
 それが、恋人なのだ。
 幸せになってもらいたいに決まっている。
 繋いだ手はあたたかく、生きていることを伝える。
 生まれてきたことに幸いあれ。
 好きをたくさん握り締めて、お返しをしたい。
 聖夜にもらった誕生日プレゼントよりも、もっと。
 射那は微笑み、知歩を見る。
 知歩も僅かに笑顔を浮かべていた。
 それがわかって射那の気持ちも弾む。
 知歩は繋いだ手から喜びを教えてくれた。
 記憶に残るような誕生日になりそうだった。
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