エイプリルフール
 二人は、できたばかりのカフェに足を運んだ。
 落ち着いた雰囲気のあるカフェで、座り心地の良いソファ席に春晏は満足していた。
 灯影と向かい合って座っていると
「シュン、愛している」
 灯影はさらりと言った。
 ホットティーがなかなか冷めなくて困っている春晏は、顔を上げた。
 灯影の表情はいつも通り。
 典雅な顔は悪戯を思いついたような顔をしていた。
「気軽に言うもんじゃないわ。
 言えば言うほど『軽くなる』と言うでしょ」
 と春晏は年下の恋人に忠告した。
 それに恥ずかしかった。
 カフェは賑わっていて、聞き耳を立てるような人物はいなさそうだったけれども。
「『嘘』でもいいの?」
 灯影はつまらなさそうに尋ねた。
 やっぱり悪戯だったのだ、と春晏は確信した。
 少しぬるくなった紅茶の香りを楽しんでから、一口含む。
「冗談だったら悲しいでしょ」
「シュンに冗談なんて言わないよ。
 残念だな。
 シュンに信じてもらえないなんて」
 灯影はブレンドコーヒーに砂糖を一さじ滑りこませる。
 イチゴポッキーが大好き、と公言する恋人は思ったよりも甘党だ。
 コーヒーにミルクポーションも入れる。
 せっかくのブレンドなのに、と春晏は思った。
 そんな春晏のホットティーは無糖だ。
 せっかくの紅茶の味わいに砂糖の甘さが邪魔するような気がするのだ。
 早く冷めないかな、とティーカップの中をスプーンでかき混ぜる。
「今日、何日だか覚えている?」
 灯影が訊いてきた。
 春休みに入ってからというもの日付感覚が曖昧だ。
 春晏は小首を傾げる。
 二人の記念日ではなかったはずだ。
 灯影の誕生日は過ぎている。
 春晏の誕生日はまだ先だ。

「4月1日だよ」

 声を潜めて灯影は言った。
 カチャン。
 春晏はスプーンを取り落とした。
「本当に『嘘』でもいいの?」
 灯影は楽し気な口調で言った。
「こんなところで言う言葉じゃないでしょ」
 春晏は心を落ち着けようとするが、鼓動は正直だ。
 指先まで血が巡っていることを教えられる。
「だって、出会ってからずっと、いつでも想っているんだ」
 灯影はどこか寂しそうな表情を浮かべた。
 それほどまでに想われているのは果報者だろう。
 春晏の手が震える。
 少し欠けたところのある恋人を満月のように、満たしてあげることができるのだろうか。
 そんなことは無理だと春晏の心音が告げる。
「シュンに出会えて良かった。
 それを愛しているって言葉じゃ、軽いの?」
 灯影は春晏を真剣な眼差しで見つめた。
「せめて日付を選んでほしいと思うわ」
 春晏はできるだけ冷静に言った。
「シュンは俺のこと、どう思っているの?
 シュンの言葉を聞かせてほしいな」
 と灯影は迷いなく言った。
 春晏は恥ずかしくなって俯いてしまった。
 こんなたくさんの人がいる前では言えない。
 誰が聞いているか分からないのだ。
 でも寂しそうにしている恋人に、少しでもいいから労わりたいと思ってしまう。
 今日が4月1日じゃなければ、カフェじゃなければ、もっと素直に言うことができただろう。
 顔が熱くなるのが分かる。
「俺ひとりの気持ちでもいいんだ。
 シュンを愛している。
 それは揺らがないから。
 でも、拒絶だけはしないでほしい」
 灯影は切ないくらいの声で言う。
「『嘘』じゃ嫌」
 春晏は小さく呟いた。
 エイプリルフールの嘘に便乗されたものだったら、悲しい。
 それぐらいには好きなのだ。
「ホントに?」
 灯影の声が弾んでいた。
 きっと赤くなった頬を冷やすように、春晏は手を頬に置く。
 ほんの少し、手は冷たかった。
「ありがとう、シュン」
 灯影は言った。
 そろそろと顔を上げた。
 灯影は整った顔がクシャリと崩れた笑顔を浮かべていた。
 4月馬鹿も悪くないと春晏は思ってしまった。
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