最低のクリスマス・イブ
12月24日。
クリスマス・イブである。
しかも思いっきり日曜日だった。
冬休み中であれば、登校する生徒なんているはずもない。
そんな中、古賀春晏は図書当番をしていた。
年齢と恋人がいない年齢が一緒という、由々しき事態が今日という日を招いた。
もちろん帰宅すればケーキとクリームシチューとフライドチキンが待っているだろう。
いくら私立明智学院の高等部に通うとはいえ、両親は最低限のお祝いをしてくれる。
若干、彼氏ができないことを心配はされるけれども。
どっぷりと暮れた夜の世界を眺めながら、春晏はぼんやりとしていた。
推薦入試を見事に勝ち取り、気が緩んでいるのも確かだった。
来年は大学部に通う。
あまり実感が湧かないけれども、将来の夢へと一歩近づいたのだ。
司書教諭。
それが春晏の目指している夢だ。
四年間通って、きちんと資格が取れるだろうか。
今と変わらない生活の気もするが、明智学院の高等部に合格できなければ夢に描くこともできなかっただろう。
卒業後にOGとしてのコネクションを最大限に活かして、私立明智学院の司書教諭に就職する。
それができたら、どれだけ素晴らしいことだろう。
春晏の唇が自然とほころぶ。
それを打ち破るような例外はいるものだった。
まさかと思ったが、勢いよく図書室のドアが開かれたのだ。
春晏は乱入者を冷たい視線で見た。
「何しに来たの?」
春晏はカウンターに座ったまま、乱入者を見た。
外は寒かったのだろう。
学校指定の濃紺のピーコートに学年カラーのマフラーを適当に巻いていた。
一年生の岡崎灯影が上機嫌でカウンターの前まで椅子を引いてくる。
「シュン先輩に会いに。
さすがにクリスマス・イブだね。
学校に、これだけ人がいないって凄くない?」
マフラーを解き、コートを脱ぐ。
着崩しているものの制服を着ていた。
「本を借りに来たの?」
春晏はためいき混じりに尋ねた。
「だから、シュン先輩に会いに来たんだって」
椅子に座ると灯影は言った。
「わざわざクリスマス・イブに?」
「クリスマス・イブだからだよ。
それとも『口実』にしてみる? 先輩たちみたいに」
しれっと灯影は言った。
春晏が当時、一年生であったころの話だ。
図書委員の三年生の四恩好貴先輩がクリスマス・イブだというのに図書当番をしてくれた。
付き合っていた生徒会役員の畠山楽瑠先輩が、その図書室に訪れた。
どんな場所であっても、二人きりで過ごすのだから『デート』だと言ったのだ。
それが見事に新聞部にすっぱ抜かれて、あっという間に話題になった。
もちろん生徒会役員を務めるだけあって家柄も良ければ、人当たりもいい先輩だったから、羨ましがる女子生徒も多かった。
春晏とて、そんな彼氏がいたら素敵だろうな、と思った。
極度の恥ずかしがり屋で、人見知りも激しければ、初対面の人間に対して、緊張のあまり冷たく対処してしまうぐらいの自覚はある。
そんな春晏でも畠山先輩のような相手なら、全部を受け止めてもらえそうな気がしたのだ。
「よくそんな話を知っているわね」
春晏は言った。
「生徒会役員だからね。
それに有名すぎるよ。
こう見えても明智学院に幼稚園舎からいるんだし。
一応は畠山先輩とは知り合い? みたいだよ。
顔ぐらいは何回か合わせたことあるし」
灯影はなんでもなさそうに言った。
やっぱり岡崎灯影という人間は、生粋のお金持ちの子なのだろう。
『黄昏の君』というあだ名をつけられた畠山先輩の父親は、代議士なのだ。
現在も衆議院議員をしている。
「まあ、畠山先輩は父親が嫌いみたいだけど。
俺にはよくわからない感情だけど、いわゆる反抗期ってヤツなんだろうね」
灯影はさらりと言った。
春晏は驚き、わがままな後輩を見た。
父親がいない、ということを自然に言ったのだ。
入学してからの付き合いになるが、家族の話を一切しない後輩だった。
いつだって一人で、自由に過ごしている。
春晏以上に、友だち関係も狭ければ、特定の女子生徒と仲良くなるわけでもない。
かといって、生徒会役員に多い、あるいは幼稚園舎がいるからいるような良家の子女に多い、悪癖に流されることもない。
図書室の中でしか接点のない後輩だった。
春晏が図書当番をしている時にだけ、本を借りにきて、後輩の独り暮らしをしているマンションの近くまで送っていく。
それだけしか、知らないのだ。
担任の先生から、くれぐれも頼むと念押しされている相手だから、関係性が成り立っているだけの後輩だ。
「どうしたの、シュン先輩?」
灯影は不思議そうに尋ねる。
「わざわざ二学年も上の先輩とクリスマス・イブに『デート』をしなくても、いいと思っただけよ」
春晏はぎこちなく笑った。
「帰りに駅前のクリスマス・ツリーを見に行こうよ。
イルミネーションされているんだって。
今年は青と白のELDが点灯されているらしいよ」
灯影は言った。
「青と白が好きなの?」
「それは美澪。
俺は赤の方が好きだけど。
キリスト教では主が流した血の色。
犠牲なんでしょ?」
何でもないことのように灯影は言った。
「ええ、そうね。
緑が永遠の命であり、神の永遠の愛って言うわね」
本で知りえた知識を春晏は言った。
「シュン先輩が好きそうだと思って。
だから『デート』のお誘いにきたんだ。
絶対に、俺の家まで送ってくれるでしょ?
駅前だったら、通り道だからさ。
シュン先輩は優しいからさ、わがままに付き合ってくれると思ったから」
灯影は微笑んだまま言う。
「そんな理由で、冬休みだというのに学校に来たの?」
「好きな女の子を一秒でも長く独占したいじゃん。
いくら隣とはいえ、来年は大学部に進学しちゃうわけだし。
シュン先輩の制服姿を見られるのって、確実に減っていくし。
スカート姿って貴重そうだし」
「まだ一年生なんだから、いくらでも制服姿の女子生徒は見られると思うんだけど?」
春晏はためいき混じりに言った。
制服フェチなのだろうか。
このわがままな後輩が甚だしく『少女趣味』だということは良く知っている。
やたらと『ロリータ』系のファッションを春晏に勧めてくるのだ。
「シュン先輩のスカート姿が見ていたいんだ。
大学部に進学したら、絶対にパンツスタイルにすると思うんだよね」
自信満々に灯影は断言した。
当たっているだけに、春晏は黙るしかなかった。
可愛らしいスカートを買うぐらいなら、それの半分以下の値段で買えるデニムを履くだろう。
実際のところ、学校に通学する以外では、そんな恰好をしている。
「それはそれで魅力的かもしれなけれどさ。
シュン先輩には膝丈のワンピースとか似合うと思うよ。
色はオフホワイトとか、アイボリーとか。
スノーホワイトでもいいけどね」
夢見るような眼差しで灯影は言った。
「全部、白じゃない。
そんな汚れが目立つ服を着るわけないでしょ?」
春晏は頭が痛くなった。
「確かに、白だけど、全然違うよ。
シュン先輩は、もうちょっと自分の魅力に気がついた方がいいと思うよ。
ほんのわずかでも色って違って見えるんだから。
特に初対面の時って、第一印象がモノを言うんだよ。
相手を判断する時は絶対に、服や腕時計や鞄や靴をチェックするよね」
灯影は微笑みながら言う。
異性に対する第一印象を語っているようには見えなかった。
自分と関係性を持つのにふさわしいか、値踏みをするような冷徹な言い方だった。
「その割には、灯影くんがまともな恰好をしているところを見たことがないんだけど?
いつだって制服を着崩しているじゃない」
春晏は話題を逸らすように言った。
「これ? 手本通りに制服を着用するのは美澪だけで充分だよ。
これぐらいで幻滅されるぐらいなら、ちょうど良くない?
内面の方が重要なんて社交辞令だし」
灯影は言った。
つまりわざと着崩している、ということが春晏にもわかった。
きちんとした着用をしろ、といったところで無駄だろう。
むしろ、内面を知っていて欲しい、と言っているのだろう。
自分のことを何ひとつ語ろうとしないのに、その内面を評価しろなんて無理な話だ。
このわがままな後輩の将来が心配になってくる。
「普段はどんな格好をしているの?」
春晏は訊いた。
「俺のことを岡崎って呼ぶような人の前では、それなりに?
っていうか、高等部に入学するまでは、そんなもんだと思いこんでいたし。
シュン先輩に出会ってから、価値観が変わったんだ。
おかげで美澪とかに、すっごく注意されることが増えたのは最悪。
学校の中ならともかく休みの日に、ばったり出くわせても文句をつけてくるんだけど」
「そんなに橘くんと仲が良いのね。
一緒に遊べばいいんじゃない?」
春晏は言った。
「ありえないね。
あっちだって必要最低限しか、関わり合いたくないだろうし」
灯影はあっさりと言った。
どんな関係なのだろうか。
生徒会役員が仲が悪い話を聞いたことがないわけではない。
ランダムに選ばれるとはいえ、その中に本人の特性以外にも家柄も入っている。
一般的な家庭で育ったという生徒がいないわけでもないが、それでもごく少数だ。
そのごく少数も、それなりの性質が求められていてる。
私立明智学院は『真に国際的な人材を』という安在グループが作り上げた絹の檻。
生徒会役員ともなれば顕著なる。
春晏はためいきをつきそうになり、唇をかみしめた。
「どうしたの? シュン先輩?
もしかして俺の交友関係が気になったとか?
別に心配しなくても、それなりにやっていっているつもりだけど。
そりゃあシュン先輩みたいな家庭から見たら、ちょっとおかしいかもしれないけど、良くある話だよ。
特に幼稚園舎から通っているような連中だったらね。
生徒会役員の卒業していった先輩たちに比べたらマシだし。
……本当にシュン先輩って優しいんだね。
ちょっと同情的すぎない?
悪い男に餌食にされちゃうよ」
灯影は微笑みながら言う。
「すでにあんたみたいなわがままな後輩の餌食になっているわよ」
春晏は絞り出すように言った。
そうしなければ涙が零れてしまいそうだったからだ。
自分の涙は嫌いだ。
すぐさまに零れてしまう涙なんて、大嫌いだ。
春晏はこぶしを握って、涙をこらえる。
「じゃあ、一生餌食になっていてよ。
そしたら、俺がちゃんと責任取るからさ」
灯影は微笑みながら言った。
わがままなクセに礼儀正しい後輩は、こんな時でもさわったりはしないのだ。
ちゃんとわきまえている。
泣き出しそうな女の子がいても、むやみにふれないのだ。
いつだって寄り道をする後輩の手を引くのは春晏の方で、馴れ馴れしく手を繋いでくることはない。
出会った時に、前髪にキスされて以来、距離を一定に置いている。
春晏は我慢できずに、涙をぽたぽたと零してしまう。
歯を食いしばってもダメだった。
次から次へと涙があふれかえってしまう。
まだ15年しか生きていない後輩の目の前で、みっともなく涙を零した。
春晏はうつむいて泣き続けた。
女の涙なんて、面倒なものだろう。
それもいきなり泣かれたら、悪者扱いだ。
ふいに森林浴でもしているような香りに包まれた。
あたたかいそれが、学校指定の濃紺のピーコートだとわかった。
「シュン先輩、男の目の前で泣かない方がいいよ。
つけこまれるから」
艶のある声が降ってくる。
それは限りなく優しいものだった。
ピーコート並に、あたたかいものだった。
だから余計に、春晏の涙は止まらないものになってしまった。
手を握られる代わりに、涙を拭ってもらう代わりに、抱きしめられる代わりに、ピーコートは包みこんでくれた。
図書当番の仕事が終わりを告げる鐘が鳴るまで、春晏は泣き続けた。
その間、灯影は何も言わずに、立ち去ることもなく、ずっと傍にいた。
春晏にとって最低のクリスマス・イブになった。