第六話 真紅の天竺葵(ゼラニウム)
 夜闇を嫌うかのように、室内は光であふれていた。
 煌々と輝く灯火の中、翔陽は本を読んでいた。
 夜は静かで好ましいと思う。
 昼の喧騒とは無縁だ。
 人々が夜を恐れる気持ちが不思議だった。
 寝台の上、ページをめくる。
 読書中、魂は自由になる。
 重たい体から解き放たれて、冒険の旅に出る。
 そこには心躍る世界が待っていた。
 ふいに灯火が大きく揺らめく。
 音も立てずに、蝋燭は役目を終えた。
 まるで限りのある命のように。
 真の闇が室内を支配する。
 翔陽はわずかばかりページが残った本にしおりを挟む。
 今日の冒険も終わりだ。
 皮の表紙を一撫でして枕元に置く。
 明日、続きが読めるだろうか。
 生きている間に、読みきってしまいたかった。
 翔陽にとって、明日というのは遥かすぎて存在しないものだった。
 今しかない。
 寝台から降りると、カーテンを開ける。
 窓ガラス越しに、月のない夜が広がっているのが見えた。
 星の光だけが微かに届く。
 それが真夜の瞳のようで綺麗だった。
 少年は手を伸ばした。
 冷たいガラスの感触が気持ちよかった。
 星空は美しく、その光を浴びていると息が自由に吐けるような気がした。
 こんなにも素晴らしいものを忌む気持ちがわからない。
 夜は真夜のように美しい。
 真夜。僕の宿命。
 朝という希望を連れてくる運命の娘。
 螺鈿細工が精緻なテーブルの上を目をくれる。
 花瓶には真紅のゼラニウムが活けられていた。
 真夜が摘んできてくれたものだった。
 想い花ではなかったけれども、その華やかさに心が癒された。
 翔陽は真紅のゼラニウムの花弁にふれる。
 星光を浴び、昼に見たよりも魅力的に見えた。
 真紅の色は小指にはめられた指輪を思い出させた。
 婚約の意味を深く知らなかった頃からはめている指輪だ。
 この国では婚約者同士は揃いの装身具を身に着けるしきたりがあった。
 揃いの物なら何でもいいのに、小指用にあつらえたそれは赤い糸を連想させた。
 赤瑪瑙をくりぬいて作られたそれは迷信すら信じたい気持ちが強かったのだろう。
 指輪を見る度に、ためいきが零れた。
 黒き娘として、自由な少女をしばりつけているような気がした。
 もし、繋がっているとしてもそれは赤い糸ではないだろう。
 赤だとしても、それはもっと沈んだ色。
 初めて貰った花を貰った時のように感じた血の色だ。
 赤い糸なんて可愛らしいものではない。
 翔陽の命が途絶えた時、真夜の命も奪われるだろう。
 王子を殺した悪魔として。
 あんなにも清らかなのに。
 いつでも笑顔で、翔陽を支えてくれる。
 真夜がいるから絶望には落ちない。
 夜空色の瞳が翔陽を見つめてくれる度に、少年は生を意識する。
 生き続けるというのは孤独な闘いだ。
 目を閉じるのが辛い。
 死への恐怖ではない。
 真夜に会えなくなるという事実が怖いのだ。
 少年は窓ガラスへと視線を転じた。
 物言わぬ星たちが煌いていた。
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