最終話 瑠璃唐綿(ブルースター)
 太陽が復活してから一ヶ月。
 佳き日を選んで、滞っていた成人の儀がとりおこなわれた。
 王宮前の広場で剣を授けられた王子は典雅な魅力であふれていた。
 この一月、熱を出していないようだった。
 太陽のように眩しく輝いて見える。
 真夜は群集に混ざりながら、儀式を見守った。
 王子は剣を受け取り、立ち上がる。
 寿ぎに参った民たちに答えるように手を振った。
 すっかり健康な体を手に入れた王子は太陽そのものだった。
 真夜は小指にはめられた指輪をいじる。
 赤いバラを届けて以来、王子と言葉を交わしていなかった。
 真夜の日課は終わったのだから会う口実がない。
 もう庭園で花を摘むことはない。
 重たい役目から解放されて、安堵していた。
 それと同時に寂しさを感じていた。
 こんなにも長いこと、離れているのは初めてのことだった。
 昼空色の瞳が恋しかった。
 少し甘えたように祝福をねだる姿が過去になってしまったのが切なかった。
 儀式は無事、終わった。
 真夜は王宮の与えられた一室に戻る。
 ネズミのように縮こまって、一人静かに過ごす。
 用済みになった黒き娘はどうなるのだろうか。
 順当にいって婚約破棄だろうか。
 黒髪黒眼の不吉な娘が、将来の正妃になるのは難しいだろう。
 またあの隠れ屋敷に戻るのだろうか。
 悪魔と罵られて暮らすのだろうか。
 実の親にも見捨てられた娘にはお似合いな末路だろう。
 窓ガラス越しに神さまの光を浴びながら、つらつらと考えているとノック音がした。
 いぶかしがりながら、扉を開けた。
 大きな荷物を抱えた侍女が、室内に入ってくる。
「王太子さまからのお届け物です」
 侍女は箱を開ける。
 そこには、淡いブルーのドレスが詰まっていた。
 レースをふんだんに使ったシフォンドレスは、かつて王子が望んだ物だった。
 恐る恐る手を伸ばす。
 絹の生地が着心地良さそうだった。
「では、失礼します」
 侍女は慇懃に一礼をすると扉を閉めていった。
 ドレスには封書が添えられていた。
 ブルーブラックの墨で宛名が書いてあった。
 少女は自分の名前をなぞる。
 太陽の加護を受けた少年が名づけてくれた名前だった。
 くりかえし呼んでくれた名前だった。
 呼ばれる度に、幸福な気分になった名前だった。
 王子の直筆の封書からは良い香りがした。
 震える手で封書を開けると、便箋が一枚入っていた。
 それは日時だけを指定されていた。
 華美なことはいっさい書いてなかった。
 真夜は用件のみ伝えられた封書をじっと見つめた。


 真夜はドレスに袖を通して、庭園に向かう。
 わずか一月ではあったものの、花たちは様変わりしていた。
 春から初夏にかけて花たちは咲き競う。
 まさに百花繚乱。
 甘い香りの中、真夜は歩を進める。
 神さまの光も眩しい昼下がりだった。
 純金色の髪が輝しかく、泣きたいほど懐かしい光に満ちていた。
「やあ、真夜。
 会いたかったよ」
 翔陽は真夜に気づき、微笑んだ。
 少女はすぐさまわずかな違和感に気がつく。
 ほんの少し離れている間に、少年の背が伸びたのだ。
 指二本分は違うだろうか。
 同じぐらいの背丈だったのに、今は見上げなければ昼空の色の瞳を見られない。
「真夜も同じ気持ちだったら、嬉しいのだけれど。
 どうだった?」
「忙しい中、時間を作ってくださったことを感謝します」
 つい硬い言葉がでてきた。
 会いたかった、と素直に口にすることができなかった。
「僕のためだから気にしないで。
 やっぱり真夜には淡い色が似合う」
 翔陽は嬉しそうに言う。
「僕としたことが、誕生日プレゼントを貰い損なっていた。
 だから、一月遅れだけど、今日が誕生日だよ」
 あまりの眩しさに、少女は指輪に視線を落とす。
 赤瑪瑙をくりぬいた指は婚約者の証だ。
 二人を赤い糸のように繋げている大切な宝物だ。
 翔陽はブルースターを手折る。
 それを真夜の髪に挿した。
「真夜の全部が欲しい」
 ささやくように抑えた口調で翔陽は言った。
「わたしは王子のものです」
 初めて出会ったその日からずっとそうだった。
 王子のために存在してきた。
「名前で呼んで、真夜」
「もったいなくてできません」
 少女は指輪をいじる。
「真夜は頑固だなぁ。
 本当に、昔から変わらない。
 でも、そんな君を一生大切にするよ」
 翔陽の言葉に真夜の鼓動は早くなる。
 望まれていることが信じられなかった。
 占があったから、婚約者になったのだと思っていた。
「真夜以外に妃を迎える気はないよ。
 実は不安になっていた?」
「わたしの役目は終わりました」
 王子は成人を迎えた。
 順調に王家は繁栄していくだろう。
 不吉な黒き娘は舞台から退場していくのが相応しいだろう。
「だから、改めてプロポーズを申し込んでいるんだ。
 僕の気持ちを受け入れてくれるよね」
 自信にあふれた口調で翔陽は言う。
「わたしなんかでいいんですか?」
 昼空色の瞳を見上げる。
 そこには何の迷いがなかった。
「僕には、真夜しか考えられない。
 答えをくれないか?」
 童話の中の主人公になった気分になる。
 物語の最後は、いつでもハッピーエンドだ。
「喜んで」
 途惑いながら真夜は答えた。
 夢を見ているような気持ちだった。
 現実味がわかない。
「ずっと一緒だよ」
 翔陽は真夜の長い髪を一房からめとるとくちづけを落とした。
 少女の心臓はうるさいぐらい早く鳴る。
「約束だ」
「はい」
 熱に浮かされるようにうなずいた。
「冬が楽しみだよ。
 成人の儀が待ちきれない」
 昼空色の瞳が、真夜を見つめる。
 胸がいっぱいになって上手く言葉をつむげない。
 真っ直ぐに見つめ返す。
 これからも離れなくてもいいと思うと、とても嬉しかった。
 望まれて、望んで、将来を約束する。
 そんなとてつもない幸福に真夜は酔う。
 黒髪黒眼を持って生まれてきて良かったと初めて思えた。
「僕の真夜。
 忘れないで欲しい。
 僕は君に生かされているんだよ」
 翔陽の手が真夜の頬をなでる。
「これからもずっと愛してる。
 君がいるから、僕は明日を信じられるようになったよ」
 百花繚乱の花も色あせて見えるほど美しい微笑みで言う。

「少し未来の話をしよう」
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