いびつ

 何となく、生きてきた。
 死ぬ理由がなかったから、生きてきた。



 男はふらりと路地裏で立ち止まる。
 ゆらりと、振り仰ぐ。
 狭い空を。
 青とは到底呼べない、白い空。

 汚い白だ。

 灰色の空がビルに歪に切り取られて、男の上にあった。

 手を伸ばせば、届くだろうか。

 益体もつかないことを考えて、手を伸ばしかけて、男はやめた。

 届かないに決まっている。
 わかっている、はずだ。

 男は自嘲した。

 ……歩かなければ。
 いけない?
 生きていかなければ、いけない……?
 そう、死ぬ理由がないのだから。
 死ぬ勇気がないのだから、生きていかなかければいけない。

 男は歩きだした。
 地面を見ながら、黙々と裏路地を歩き出した。
 綺麗ではない道だ。
 散らかった、ゴミ溜めなような空間が横に、永遠と思えるほど続いているのが、小気味良い。
 遠くで、悲鳴が聞こえた。
 表通りで、人が落ちたのだろう。
 ここでは良く、人がビルから飛び降りる。
 人生に疲れて、道化師が舞台から降りるかのように、ぽんと降りる。

 空を飛ぶのだ。
 あの、青くもない灰色の空に向って、飛び立つ。
 それとも、あのビルの天辺から見たならば、空は青く見えるのだろうか。

 どちらにしろ、あのビルに登ったことのない男には、わからない光景である。
 ほんの少し、羨ましい、と思う。
 が、彼らほど、男には度胸がなかった。
 だから男は、歩みを止めなかった。
 歩き続けた。

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