第十二話


 レティシアは病人が眠る寝室だというのに、無言で通してもらえた。
 名前も家名も言わなかったのに。
 エマが先導してくれたおかげだった。
 落ち着いた香りがする部屋だった。
 これらは全部、病魔を軽くするための薬草の一種なのだったのだろう。
 庭園の香りに酷似していた。
 眠るティデットさまのベッドの横に、女官のエマが椅子が用意してくれた。
 一刻後。
 ティデットさまは目を開いた。
 片色違いの瞳がレティシアを見て、驚いたように見開かれた。
「夢の続きかな?」
 かすれた声が尋ねた。
「現実です」
 レティシアはそう答えるのでせいいっぱいだった。
 色々な言葉を用意してきたのに、涙がぽろぽろと零れてしまったのだ。
 熱を帯びた白く長い指先がレティシアの頬に、まなじりにふれる。
 涙を確かめるように。
「確かに、あたたかいね」
 ティデットさまは微苦笑した。
 ゆっくりを腕はベッドに力なく下ろされた。
 これから何度も、この姿を見ることになるのだろう。
 王国のために生命を削ることを余儀なくされた『王子』のために。
「私はティデットさまの左目が何色だと愛しています。
 たとえ『王子』と呼ばれる身分でなくても。
 お傍においてください」
 嗚咽混じりにレティシアは言った。
 きちんと返事をしたのだった。
「一緒に本を読んでくれるかな?」
「たまには満天の星空の下を散策しましょう」
 ぎこちなくなるのがわかるけれども、レティシアは微笑んだ。
「やっぱり女官たちはおしゃべりだ」
 ティデットさまは微苦笑した。
「本の結末をたくさん変えましょう。
 たまにはハッピーエンドで終わる魔法のような物語があってもいいと思います」
「楽しそうな可能性だ。
 貴女の家族に青緑のリボンを見せて、視たと言えば叶うかな?」
「反対されても、お傍におります」
 レティシアはハッキリと告げた。
「やはり貴女は花よりも美しい。
 私の唯ひとりの妃として生命が尽きるまで傍にいてくれますか?」
 ティデットさまは微笑んだ。
「器量が良くなく、ダンスも上手に踊れずに、本ばかり読んでいてネズミ姫と領民から言われるような変わり者の姫で良ければ」
「充分です。
 私の目には貴女が一番美しく見えますから」
 ティデットさまの言葉に、レティシアは再び涙を零してしまう。
 幼い頃から夢中になって読んできた恋愛物語のような結末だった。
 きっとこれ以上、素敵な物語はないだろう。
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