クランブルは東の離宮から王都へと帰ってきてから、すぐさま国王の私室に通された。
 いつものことだったので、気にせずに向かった。
 国一番の学者である《黄金の眼鏡》の意見ではなく、個人的な話がしたいということだろう。
 一つだけ年上の若き国王は難しい顔をしていた。
 テーブルに肘をつき、怜悧な容貌には深い悩みがあるようだ。
 ラズベリー色の瞳の視線の先には、一通の手紙があった。
 読み終えたのだろう。
 開封されて、また元に戻された微妙なしわがあった。


「どう思った?」
 パルフェは主語を省いて尋ねる。
「なかなか、可愛らしい方だと思ったよ。
 君の話とは大違いだった」
 クランブルは第一王女の感想を率直に述べた。
「がっかりしたか?」
「いや、可憐な姫君だと思った。
 君が甘やかすのも当然かな。
 私にも妹がいたらあんな感じなのかな。
 なにせ一人っ子だからね。
 十二分に得難い感覚だった」
 クランブルは、アップルグリーンの瞳を和ませて言った。
 収穫祭で社交界デビューを果たしたら、さぞかし異性を釘づけにすることだろう。
 苺ケーキのような可憐で甘い容貌の美少女だった。
「……妻としては?」
 パルフェは重々しく言った。
 それにはさすがに、クランブルは驚いた。
 銀縁フレームの奥のアップルグリーンの瞳を瞬かせた。
「本気かい?」
「外国に出す気はない。
 なにせ、可愛い妹だからね」
 ラズベリー色の瞳は真剣だった。
「嫁ぎ先はいくらでもあるだろう?」
 第一王女は、まだまだ恋に憧れる成人する前の子どもだ。
 東の離宮育ちのせいか、俗世に染まらずに年よりも幼く夢見がちだった。
 成人してすぐさま夫を持つ必要はないだろう。
 そう、クランブルは感じていた。
「身分が足りないことはないだろう?」
 パルフェはテーブルを見つめたまま言った。
「政略結婚はいただけない」
 クランブルは断言した。
「《黄金の眼鏡》としてか?」
「古い友人としてだよ。
 成人したら、王族として知る権利があると私は思っている。
 それに自由な姫君なのだろう?
 恋ぐらい夢を見させてあげるても良いと思う」
 そこでクランブルは一呼吸を置く。
 パルフェはようやくクランブルを見た。
「彼女の願いは『称号ではなく、名前を呼んでもらう』それだけだった」
 クランブルはハッキリと告げた。
「お前は、心惹かれなかったのか?」
「絶大な信頼は嬉しいけれども《黄金の眼鏡》を求められただけだよ。
 千の知識の一つ、としてね」
「可愛い妹の話をしているのではない。
 お前の気持ちを訊いているのだよ」
 パルフェは尋ねる。
「成人したての少女を手練手管で嵌めろっていうのかい?
 情緒の欠片もない」
 クランブルはためいきをついた。
「その程度には、心を動かされたということか。
 安心したよ」
「私の結婚問題よりも、国王陛下の妃問題の方を早急に片付けてほしいと思うのだけれどね。
 これは家臣一同、思っていることです」
 クランブルは優し気に微笑んだ。
「《黄金の眼鏡》としての意見か?」
「いつまでも独身を貫かれては困るからね。
 国王なのだから、血統の保持は最優先の義務だ。
 ルセット王国が望んでいるのは健康的な直系男子の誕生だ。
 傍系ではないよ」
 クランブルは銀縁フレームを押し上げて、若い国王を見る。
 家臣一同がやきもきしている問題を突きつけた。
「話題をすり替えられては困る」
 パルフェは冷静に言った。
「事実だよ。
 そろそろ身を固めてもらいたい。
 いくら何でも《黄金の眼鏡》とて神の御手の内の事象を動かせないからね。
 辞書には、君の未来の伴侶は描かれていない。
 せいぜい、血統が途絶えないことしかわからない」
「それがお前の役目でも良いだろう?」
「そんなに国王陛下という立場は居心地が悪い?」
 クランブルは切り返した。
 生まれ落ちた時から帝王学を叩きこまれているはずだ。
 それなりに覚悟をしていたことだろう。
 当人が想像していたよりも、玉座に就くのは早すぎたかもしれないけれども。
「ちょうど良い頃合いだと思っただけだ。
 それだけだよ」
 パルフェは息を吐きだした。
「きっとフレジェ姫は、私に恋をしたりはしないよ。
 外面だけしか知らないからね」
 クランブルはにっこりと笑った。
「それこそ国務大臣の家に生まれた腕の見せ所だろう?
 可愛い妹を任せるには、うってつけだ。
 誰も文句は言わないだろうな。
 《黄金の眼鏡》としての称号もあるし、十四年間という実務能力の高さも示している。
 降嫁したところで反対意見が出るとは思えない」
 パルフェは淡々と言った。
「つまり、可愛い妹が心配だと。
 唯一の肉親だからかい?
 気持ちはわかるけど、あまりにも残酷だ」
 クランブルとて天涯孤独の身の上だ。
 肉親と呼べる者はすでにいない。
 まったく親戚がいないわけではないが、そういうものは四才で《黄金の眼鏡》という称号を得てから疎遠になってしまった。
「その辺の貴族と縁組するよりも、想われて嫁ぐなら幸せだろう」
 ラズベリー色の瞳はひたりとクランブルを見た。
 為政者といよりも、可愛い妹の行く末を案じているようだった。
 それをずっと悩んでいたのだろうか。
「じゃあ、一つ賭けをしよう。
 フレジェ姫が《黄金の眼鏡》の選定の百の秘密を知って、なおかつ私がその名を呼んで、好意を持って私に接してくれたら、求婚しよう」
 クランブルは提案した。
「悪くはない、賭けだな」
 パルフェは柔らかく微笑んだ。
 どうやら、この賭けの命運は一つ年上の友人の方が分が良いようだった。
 これからの困難なことを考えると頭が痛くなるような気がするが、心を惹かれた者の運命だろう。
 諦めるしかない。
「収穫祭が楽しみだよ」
 パルフェは言った。
「こちらとしてはあまり来てほしくない事柄だけどね」 
 さぞかしやっかみを言われて、針の筵にされるだろう。
 国王陛下のお気に入りの家臣。
 それだけで可憐で愛らしい第一王女の降嫁が決まるのだから。
 肝心のフレジェ姫が、クランブルの内面を知っても、恋に落ちてくれるだろうか。
 《黄金の眼鏡》という称号を抜き、ただ十八才の青年クランブルに。
 前途多難な気がしてきた。
 クランブルは、ためいきになりかけた空気を飲みこんだ。
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