ベルシュタイン家にて

 珍しく、という注釈をつけなければならない。
 明朗快活と表現されてことが多い青鈍色の瞳は、それを静かに注視していた。
 封筒の表書きをずっと見つめていた。
 もっとも、それを見ている者はいなかった。
 ペルシ・サルファー・ローザンブルグは、ただ一人でそれを長いことを見つめて、それから首筋に手を置いた。
 聖徴がチリチリと痛むようだった。
 まるで警戒をするように。
 だが、諦めてためいきをついた。
 そして、手紙の返事を書くためにペンを取った。

 それから明けて翌日。
 レインドルク伯爵公子はベルシュタイン侯爵の王都の屋敷に招かれたのだった。
 それは迅速に、と表現しなければならない。
 さすがに貴族の中でも名門中の名門。
 数々の政治家を輩出し、国の中心を支えているだけあった。
 辣腕家っぷりを肌で知りながらも、ペルシは人好きのする笑顔で浮かべた。
 何といっても婚約者であるガルヴィ嬢の実家なのだ。
 そう遠くない未来に、王宮に伺候することになっているのだ。
 顔を見ないという選択肢はない。
 本来は婚約するための挨拶にペルシ自身が王都に登らなければならなかった。
 一切合切をローザンブルグ公爵に任せてしまったしわ寄せがやってきただけだ。
 ということにしておこう、とペルシは心の中でこっそりと思っていた。
 ベルシュタイン侯爵は、末娘の婚約者を心からの笑顔で向かい入れた。
「初めましてレインドルク伯爵公子。娘からの手紙で知っていましたが、なかなかの好人物で安心しました。公爵の家よりは手座間ですが、我が家だと思ってくつろいでください」
「こちらこそ若輩者の身の上、お気遣い感謝いたします」
 ペルシは恭しく頭を下げた。
「そういえば王都の用事は、本を探しとか」
「ええ、そうなんですよ。
 本が好きなものなので、ローザンブルグの長い冬を越すために本の蒐集をしようと思っていまして」
「お若いのにご立派だ」
「いえ、単なる趣味です」
 ペルシはにこやかに断言した。
「古いながらもこちらにも、本は揃っています。
 王都に流通していないものもあります。
 よろしければ閲覧していかれますか?」
「門外不出の物を私のような者によろしいのですか?」
「娘が選んだ男です。
 かまいませんよ」
「そう言っていただけると、光栄ではありますが、お言葉に甘えていたださせていただくとしましょう。
 ありがとうございます」
 ペルシは再度、頭を下げた。
「お部屋にご案内させていただきましょう。
 その後、お茶でもどうでしょうか?」
 挨拶の締めくくりとしてベルシュタイン侯爵は言った。
「何から何からもお世話になります」
 ペルシは笑顔のままに言った。

 そこからはペルシにとって頭が痛くなるような事柄だった。
 確かに、門外不出な本は魅力的だった。
 写本したくなるようなものだった。
 後は、どちらかと言えば特段、特筆すべきなものではなかった。
 あくまでもペルシの基準からすれば、だったが。
 問題はベルシュタイン侯爵の長男と次男だろう。
 妹をくれてやるという審美眼で挑んできたのだ。
 どうやってはぐらかそうと思っても、真っ向勝負されると立場上、逃げるわけにはいかない。
 レインドルク伯爵家は、あくまでもローザンブルグ公爵家を補佐する立場。
 ましてやペルシは夢ばかり食べていると言われる家の中で、重責を負わされ続けてきたのだ。
 騎士中の騎士と呼ばれる銀の騎士とは別の意味で。
 長男は武でもって挑んできた。
 俗にいうところの一発殴らせろ、ということだ。
 騎士叙勲を受けていない、と理由では断れない。
 たしなむ程度には剣を扱えるだろう、と言われれば致し方なくペルシは用意された細剣を手にした。
 それは手にしてみると違和感なくしっくりときた。
 どうやって切り抜けようと思って、基本中の基本の型を構えた。
 剣筋がありありと視えた。
 それを一歩下がり、避ける。
 目線で誘導して、剣筋が変わったところをすらりと払う。
 父であるリークが銀の騎士に憧れ、徹底的に息子に覚えさせたためたの剣技だ。
 従弟である銀の騎士レフォールと比べてしまえば、まだまだ甘い。
 だから、なんなく軌道が読めてしまうのだ。
 自分から打っていかず、防戦一方だったが息を切れたのは長男が先だった。
 それを見ていたベルシュタイン侯爵が目を見張ったのも仕方がなかった。
 次男は神殿勤めの神官だった。
 聖典を掲げて、ペルシに話しかける。
 『エルノアールの大聖堂』と呼ばれるローザンブルグ一族にとっては基本中の基本。
 幼少の頃から慣れしたんだものだった。
 ましてや本が好きなペルシにとって、児戯にも等しかった。
 難しい古典語も、聞き慣れないはずの知識をすらすらと答えた。
 それがまずかった。

 滞在時間、一週間目にはベルシュタイン侯爵の個人的な書斎に通されてしまった。
 そして、並べられた書類に青鈍色の瞳は沈黙を保つ。
 ペルシは冷静な目でそれを見た。
 いわゆる身辺調査表だった。
 そこに並べられたのは親心とは、かけ離れていた。
 政治的な駆け引きが繰り広げられていた。
「貴殿に聞きたいことがある」
 ベルシュタイン侯爵は重々しく言った。
 ペルシは軽く微笑んだまま
「沈黙の誓いを破らない程度でしたらいくらでも」
 言った。
 息を飲んだ音を聞いた。
「意外でしょうか?」
 ペルシは肩をすくめてみせた。
「レインドルク伯爵家は継承問題で揉めていると聞いた」
「事実です」
「廃嫡の危険性もあるとか?」
「どんな結果が出ようとも、それでも伺候するのは私でしょうからお気遣いなく。
 それに廃嫡されるではなく、元に戻るだけですよ」
「質問を変えよう。
 ローザンブルグ公爵家を継ぐ順位は何番目だ?」
「ローザンブルグ公爵家を継ぐのは従弟のレフォール殿ですよ。
 何といっても現マイルーク子爵ですから。
 次期公爵です」
 ペルシはにっこりと笑う。
「貴殿が何位か尋ねているのだ」
「三位です」
「では」
「聖アネット王妃さまを曾祖母に持つので末席ながらも王位継承権も与えられております」
 ペルシは気負いもせずに答えた。
 本気で調べれば出てくる事柄だった。
「では、それだけの資質を持ちながら政治に参画しない」
「我がレインドルク伯爵家の意義はローザンブルグ公爵家の補佐です」
 ペルシはきっぱりと断言した。
 幼い頃から叩き込まれた絶対の律だった。
 ローザンブルグ一族は聖リコリウスの聖徴を守るために存在しているといっても過言ではない。
 それは公爵家に近く生まれれば生まれるほど顕著になる。
 直系男子はみな聖徴を持って生まれてくるのだから。
「私にはわからない」
 ベルシュタイン侯爵はためいきをついた。
「それほど難しく考えることのほどではないと思いますよ」
 ペルシは笑顔を崩さずに言った。
「実際のところ、何カ国語ほど話せる?」
「隣国の古典ぐらいまでは。
 あとは聖典でしたらおそらく王国創成時代の物ならば読めるでしょうね。
 ですが、あくまでも私だからできるではなく、レフォール殿でも同程度かそれ以上のことはできると思いますよ」
 従弟殿は優秀ですから、と付け足した。
 青鈍色の瞳は静かにベルンシュタイン侯爵を見つめた。
 それは一瞬だった。
 いつものように柔らかい光が宿る。
「何故、末娘を選んだ?」
「それは侯爵閣下の勘違いですよ。
 あくまでもガルヴィ令嬢が私を選んでくれたのです」
「納得がいかない」
「それは見解の違いでしょうね。
 私が彼女に求婚したのです。
 それを快諾していただいたのです」
 ペルシはぼんやりとローザンブルグの夏の終わりを思い出す。
 あれは大騒動だった。
「外見だけではなく、心まで美しい方だと思いますよ」
 清らかな心を持つ、涙もろい乙女。
 死を覚悟してすら美しかった。
 まるで信仰の炎の前に立つガラス。
 あれほどの透明な心の持ち主は、どれほどいるのだろうか。
「質問は終わりでしょうか?」
 ペルシは微笑んだまま尋ねた。
「宝の持ち腐れだと思わないか?
 まったく勿体ない」
「そこまで言っていただけると光栄ですね。
 本が集まるまでは、こちらは滞在させていただきます。
 その間に、もう少し溝を埋めていきましょう」
 ペルシはにこやかに言った。
 ここで禍根を残してはいけない。
 縁戚になるのだから。
 それにこれ以上にローザンブルグ公爵家に迷惑をかけてはいけない。
 ふと今頃、会議はどうなっているのだろうかと思案した。
 きっと未来は予想通りなのだろう、と諦めた。
 物わかりの良いレインドルク伯爵公子という立場に慣れすぎたようだった。
 いくつか条件をつけなければやっていけないな、と素早く算段した。
 ペルシの青鈍色はいつも通り。
 その色の意味を裏切って、人好きのする光が宿っていた。





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