U・雨の城

Alles nur nach Gottes Willen


「我が娘のわがままも極めりだな」
 壮年の男性はためいきをついた。
 たまたま居合わせることになった明朗な青年は困ったように肩をすくめる。
「お疲れのようですね、レインドルク伯爵」
 レフォールは言った。
 父と年齢の変わらないはずの叔父は、とても年をとっているように見えた。
「どうしても結婚したくない、と言い張るんだよ。
 幼いころは、薄紅色のドレスを着て、我が城の礼拝堂で神に誓いを立てるのだ、と楽しげに語っていたのに。
 変われば変わるものだな」
 リークは深いためいきをつく。
「ああ、用件を忘れてしまうところだった。
 シブレット殿がこちらに滞在していると聞いたのだが」
「兄上なら絵を描き始めているから、誰にも会わないと思うよ」
 ペルシは言った。
「ああ、違う。
 顔を見に来たわけではない。
 見られれば嬉しいが、無理だろう。
 これも忘れるところだった。
 我が家に帰ってこない方がいいぞ」
 父は息子に言った。
「え?」
 青鈍色の瞳を見開いてペルシは父を見る。
「我が領地は、雲が厚く垂れ込め、雷が時折落ちるという有様。
 どうやら、私の不徳が神の怒りを買った模様だ」
「季節外れの嵐は大変そうですね」
 レフォールは言った。
「我が領民は慣れっこだ。
 それで願いとは、我が娘がこちらへ来たとき、シブレット殿を会わせてやってはくれまいか?」
 リークはためいき混じりに言った。
「よろしいのですか?」
 意外な気がして、レフォールは確認する。
 つい先日、口止めのお願いをされたばかりだ。
「成人してから、嵐を呼んだことなどなかった。
 あの娘なりに制御してきたのだろう。
 いつまで押さえが利くかはわからない。
 ラメリーノには頼るべき夫もいない。
 もしものとき、あの娘が頼るのはシブレット殿のような気がしてな」
 弱々しくリークは言った。
「こちらはかまいません」
 レフォールは答えた。
「ありがとう」
 壮年の男性は何度も頭を下げた。

「レインドルクは嵐か」
 窓の外を見つめながら、ペルシはつぶやいた。
 無意識にその手は首筋にふれている。
 ちょうど聖徴がある辺りだ。
「気になるか?」
「もちろんだとも!
 礼拝堂脇の林檎の樹がね」
 明るい笑顔を浮かべ、ペルシは振り返る。
「マイルークの林檎の樹も素晴らしいから、今年の林檎はマイルークのものにしよう。
 なんと言っても、ここには私の可愛い婚約者がいるからね。
 焼き林檎を半分ずつにする約束をしたんだよ」
 ニコニコと従兄は語る。
 簡単に割り切ることができない状況だろう。
 明るく振舞うことに慣れている、とレフォールは感心した。
「二人で美味しい焼き林檎を食べたら、二人分幸せになれるだろう?
 レフォール殿も、今度試してみるといい」
「……。
 私は、セルフィーユさまの好きな食べ物を知らないようだ」
 レフォールは苦笑した。
 神殿で育ったせいか、王女は好き嫌いをしない。
「白薔薇姫は、苺が好きだと聞いたよ」
「ガルヴィ嬢から?」
「本人からだよ。
 大神殿では苺を育てていて、春になるとそれを籠いっぱい摘むんだそうだよ。
 それからつくるジャムはとても甘くて、真っ白なパンに塗るときは特別なんだそうだ」
 ペルシは秘密を語るときのように、声を潜めて話す。
「初耳だ」
「うらやましい?」
「ああ、うらやましい」
 素直にレフォールは言った。
「人から羨望のまなざしを受けるのは、気持ちいいものだね。
 私は、口数の多さぐらいしか褒められる場所はないから。
 素晴らしい兄と姉は持つべきじゃないよ、まったく」
 青鈍色の瞳は、また窓の外へと向く。

 苺ジャムを白パンに塗るのが特別か……。
 レフォールは食事風景を思い出す。
 王女とは数度、食事を一緒にしたけれど、苺ジャムと白パンという組み合わせはなかった。
 だから、気がつかなかったのだろう。
 図書館で今日も王女は本を探していた。
 頼りげなく本の林を歩く背を青年は追いかける。
 声をかける前に少女が気がつき、立ち止まる。
「レフォールさま」
 セルフィーユは本を抱えたまま会釈する。
 厚い本の表紙のタイトルを見て、青年は笑みを深くする。
 エレノアール王国の歴史をまとめた本だった。
 少女が王族であることを厭い、王家の話を頑なに拒んだのは、過去になりつつあった。
「何か良いことがあったんですか?」
 セルフィーユは問う。
「これからその本を読むのですか?」
「え。
 あ……はい。
 この間、系図を見せていただいたときに、疑問をもったものですから。
 王家に嫁いだのは聖王妃さまだけなのに、その逆はたくさんありました。
 どこの貴族もそうなのかと思ったんですが……違うようです」
 勉強家の王女は小首をかしげる。
「ローザンブルグ本家は、宮仕えが好きではなかったようです。
 聖徴を守ることを第一としていましたから、称号を得ることに熱心ではなかったようです」
 本家であれば、聖徴ははっきりと出る。
 服で隠せるような場所であればごまかしようがあるが、目につく場所へ出た場合、伺候などもっての外だ。
 分家であっても、目につく場所へ聖徴が出た場合、爵位を継がない場合もある。
 幸いなことに、聖徴が目立たない場所に出たレフォールは、王宮へ伺候し、騎士叙勲を受け、銀の騎士に任命された。
 それは、幸運なことだった。
 銀の騎士でなければ、王女の内面を知らないままだっただろう。
「それで、……子爵」
「親類の方が高い位を持っていて、宮廷での立場が領地と違ってしまって、大変だったようです。
 ローザンブルグ本家が公爵に叙されたとき、分家は安堵したそうです」
 レフォールは説明する。
「身分というものは、不便なものですね。
 神は、人の子を等しく愛されていらっしゃいます」
 セルフィーユは微笑んだ。
「そうですね」
 果たしてそうなのだろうか、と思いながらレフォールはうなずいた。

 ◇◆◇◆◇

 一度絵を見てほしいと、シブレットに言われ、ガルヴィとペルシはその部屋を訪れた。
 画家が好む北向きの窓の部屋は、物が少ないのに散乱している印象があった。
 絵の具とキャンバスと散らばるスケッチ。
 部屋の中央には、大きなキャンバスがイーゼルで立てられていた。
 軽く絵の具を乗せただけのそれは、荒々しい。
「受難ですか?」
 見慣れた構図にガルヴィは尋ねた。
 聖リコリウスが神から天啓を受ける場面だった。
 悩む深き聖リコリウスは、神聖なものを意味する『青』をまとっている。
 空には、白百合を持つ天使が描かれている。
「どちらをモデルにしようか悩んだんだけれど、ペルシの方が絵になると思ってね」
 シブレットは筆の手入れをしながら言った。
「レフォール殿をモデルにした方がいいと思うんだけどな」
 ペルシは苦笑する。
「聖リコリウスをマイルーク子爵で描くのは、ありきたりだろう。
 どこの礼拝堂もそうだから、違ったことをしたくなったんだよ」
 シブレットは言う。
「まあ、そうなんですか?」
 ガルヴィは驚いた。
 聖リコリウスの子孫が実在しているのだから、それをモデルにする機会は多そうだった。
 それで似ていると思ったのだ、と納得する。
 王女にお教えしたら、どんなにお喜びになるだろう。
「明確な決まりごとではないが……と」
 シブレットの手から筆が転がり落ちる。
 足元まで転がってきた筆を乙女は手に取った。
 間近で息を呑む音を聞いて、ガルヴィは不思議に思う。
「どうぞ」
 筆を渡そうとすると、鉛色の瞳は見開かれていた。
 失礼なことをしてしまったんだろうか。
 還俗してまだ間もない乙女は、知識を総ざらえする。
「兄上。
 彼女は、ローザンブルグ娘ではないんですよ」
「ああ、そうか。
 ありがとう、ガルヴィ嬢」
 シブレットは右手を差し出す。
 その手のひらには、王女と同じ赤痣があった。
 ローザンブルグ一族が神から授かった印、とガルヴィは聞いた。
「どういたしまして」
 ガルヴィは筆を手渡した。
「受難画は、聖リコリウスをマイルーク子爵を描き、告知の天使をその夫人で描くことが多い。
 でも、厳密な決まりごとではない。
 レフォール殿は、受難画のように深刻な表情をしてくれなさそうだから」
 シブレットは穏やかに微笑んだ。
 ガルヴィはクスッと笑みをこぼした。
「この絵を気に入っていただけただろうか?」
「ええ、もちろんですわ」
 ガルヴィはうなずいた。
「では、描き上がったら差し上げよう」
 シブレットは筆を箱の中にしまいながら言う。
「そんな!
 こんな立派なもの、いただけません」
「兄上は、描き上がった絵に執着がないんだ。
 もらっておかないと、押し問答が続く」
 ペルシが言う。
「そうなんですか?」
「身軽な方が好きなんだ。
 絵を描く道具と、スケッチブックぐらいかな、持ち歩くのは……。
 あとは、この描きかけ絵だ」
 シブレットは光避けの布に包まれているキャンバスを指す。
 普通のキャンバスよりも小ぶりだろうか。
 持ち運べないサイズではなかった。
「まだ描き上がらないんですか?」
 青年は従兄に尋ねる。
「描き足すところがないように思えるときもあるんだが。
 どうにも、完成だと思えることがなくて。
 一緒に旅をしているよ」
「完成すると良いですね」
 ガルヴィは心から言った。
「私もその日が待ち遠しい」
 シブレットはうなずいた。

 ◇◆◇◆◇

 秋の日。
 レインドルクには、今日も雨が降る。
 季節外れの雨、今年の収穫は期待できないだろう。
 それでも、娘を恨むことなどできなかった。
 ローザンブルグ娘は、かわいそうな存在だった。
「兄さまがマイルークにいるというのは、本当なのですか!?」
 真っ赤な流行の最先端のドレスをまとい、着飾る娘が痛々しかった。
 結婚式には薄紅色のドレスをまとうの。と、言っていたのはもう遠い日だ。
 淡い色彩を持つ娘には、柔らかな色が良く似合う。
 だが、リークは言わなかった。
「そうだ」
 ローザンブルグ娘は神の娘。
 嘘をつくのは不敬だ。
「どうして……?」
 ラメリーノはつぶやく。
 こぼれた言葉が何にかかるか、父であるリークにもわからなかった。
「マイルーク城で絵を描いているそうだ。
 会っても無駄だ。
 シブレット殿は現実を生きていない。
 兄のように、夢の中で暮らしている」
 レインドルク伯爵は苦笑した。
「マイルーク城」
「私たちは現実を生きていかなければならない。
 ラメリーノ、わかるだろう?
 シブレット殿の元へ行き、それで何が変わるんだい?」
 娘を止めることができないのは、知っていた。
 ただただ娘がかわいそうだった。
 数年前の自分を見ているような気がする。
 兄を現実に引き戻そうと、無駄な努力ばかりしていた。
 そんな過去の自分と重なるのだ。
「兄さまに会ってまいりますわ」
 ラメリーノは宣言した。
 リークはちらりと窓の外を見る。
 雨が降り続いていた。
 答えなど決まりきっていた。
「シブレット殿は、お前の結婚を引き止めてはくれない」
 父は言った。
 淡い色の瞳は「傷ついた」と言っていた。
「聞いてみなければわかりませんわ!」
 勝気な娘は叫んだ。
 それに合わせるように、一筋の雷が落ちた。

 ◇◆◇◆◇

 平穏なマイルークに嵐がやってきた。
 ラメリーノを追って、雲まで流れてきたのだった。
 制御できていない力に、ラメリーノは「これが最後よ」と言い訳する。
 もう隠し通すことなどできない。
 誰かを頼らなければならない。
 別れを決定的なものにしたかったのかもしれない。
 北向きの窓の部屋は、懐かしい。
 絵筆を動かす背を見て、涙がこみあげてきた。
 これが最後。そう言い聞かせる。
「兄さま、お久しぶりですわ」
 声の震えを気取られないように、ラメリーノは細心の注意を払う。
 絵筆は休まらない。
 宗教画を描くその手は動き続けている。
「私、結婚しますのよ」
 ラメリーノは言った。
「おめでとう」
 5歳年上の従兄は絵筆を止め、言う。
 十分な答えだった。
「失礼しますわ!」
 ラメリーノはその場から逃げ出した。

 ◇◆◇◆◇

 若きマイルーク子爵はためいきをついた。
 平然としている従弟に、ペルシは恨みがましい視線を送ってしまう。
「何度見ても、やっぱり慣れない」
 神の御印をかたどった首飾りを握り、レインドルク伯爵公子は言う。
「ローザンブルグ娘の力は、強大だな」
 賛美するようにレフォールは言う。
「それを母に持ち、これから妻にも持とうというんだから、君はすごいよ」
 ペルシの言葉に
「王女の力は、愛らしいものだ。
 雷を呼んだりはしなかった」
 レフォールは微かに笑む。
「雷の音は苦手だ。
 ああ、もうままよ。
 兄上に頼んでこよう!」
 ペルシは立ち上がった。
「大丈夫なのか?」
「大切な林檎の樹のためだ。
 なけなしの勇気をすべて支払うさ」
 蒲公英色の髪の青年は気弱な笑みを浮かべた。


 ノックをしても反応はない。
 ペルシはドアノブをまわす。
 従兄は黙々と筆を動かしていた。
 外の嵐を気にせず……、本当に気がついていないのだろう。
「兄上。
 お願いがあります」
 ペルシはシブレットの横に立つ。
 絵筆は動き続ける。
「姉上のことなんですが」
 ピタと筆が止まり、鉛色の瞳がペルシを見た。
「外は嵐です」
「……いつの間に」
 シブレットは、ぼんやりと言う。
「姉上が呼びました。
 兄上とお話してから、嵐はひどくなったんです」
「気がつかなかった。
 話すといっても、結婚すると聞いただけなのだが……」
「それで、兄上はなんとおしゃったんですか!?」
「ごく一般的に『おめでとう』と言ったよ。
 あの子は、幼いころから結婚に憧れていてね。
 まだ髪を結べないぐらいのころから、言っていたんだよ。
 ローザンブルグの一番綺麗な季節に、レインドルクの礼拝堂で、薄紅のドレスを着て、愛する男性と結婚するんだと。
 次の夏には、美しい姿が見られるかと思うと嬉しいよ」
 のんきに従兄は言った。
「状況は刻々と変化をしているんです!
 今の姉上は、結婚嫌いなんです」
「それは初めて聞いた」
「きっと、姉上は兄上に引き止めてほしかったんです。
 第一、姉上には相手がおりません。
 婚約してないのに、いきなり花嫁になれますか?」
「ラメリーノならできそうだ」
「確かに突拍子もない茨姫ですけど……。
 空を見てください」
 ペルシはカーテンを乱暴に開ける。
 雷雲が真昼のように外を照らす。
 青年はギュッと首飾りを握りしめる。
 城の中にいれば平気だとわかっていても、恐ろしい。
 次の瞬間に雷が落ちる音。
 ペルシは身をすくませた。
「ラメリーノはどこに?」
 シブレットは立ち上がった。
「物見の塔です」

 ◇◆◇◆◇

 シブレットは螺旋階段を上る。
 どこの物見の塔も形状は変わらない。
「ラメリーノ」
 探し人はすぐに見つかる。
 途惑ったような瞳と出会う。
 ハラハラと伝う涙は、小さなころと変わらなかった。
「ずいぶんと大きくなったね」
 シブレットはゆっくりと従妹に近づく。
 驚かせて、窓から飛び降りられたら厄介だ。
「結婚が嫌いになっていたとは知らなかった。
 気がつかなかった。
 泣くほどに、嫌なことをする必要はない。
 叔父上に私からも話そう。
 だから、ラメリーノ」
 青年は一気に距離を詰めて、従妹の体を抱き寄せる。
 首元にある薄紅の聖徴にふれる。
 聖徴と聖徴がピタリと重なり、力が流動する。
「今はお休み」
 シブレットはささやく。
 何の抵抗もなく、乙女の体は崩れる。
 瞳が伏せられた顔には、不安も悲しみもなかった。
 雷雲は急速に立ち去り、太陽が顔を出す。
 出現した天使のはしごに、シブレットは見とれる。

 それから一晩、ラメリーノは寝込んだ。
 部屋の外を出るようになったのは、その3日後。
 シブレットの元へやってきたのは、5日後だった。
 そのころには、受難画は完成しており、シブレットの借りた部屋は整然としていた。
「ご迷惑をおかけしました」
 ラメリーノは言った。
 若葉色のドレスは乙女に良く似合っていた。
「あまり寝込まなくて良かった。
 乱暴なことをしてしまった」
 シブレットは申し訳なく思った。
 本家に次いで、神の恩寵が深いレインドルクは数々の異能を抱えることで知られている。
 男性に顕著に現れるそれらは、ローザンブルグ娘の心身に影響を与える。
 ペルシの歌であったり、シブレットの力であったり。
「いえ、感謝していますわ。
 兄さまが止めてくださらなかったら、私は大災害を起こしていました。
 でも、これで最後です」
 ラメリーノは薄く笑った。
「結婚します」
「花嫁になる人は、そんな悲しい顔で笑ったりはしないものだよ」
 シブレットは言った。
「これ以上、ご迷惑をおかけするわけにいきませんわ。
 帰ったら、すぐにでもお父さまに頼んで、相手を見つけます。
 それで、結婚しますわ」
「そうか。
 ……約束の品がここにある。
 どうしてもこれ以上、筆が入れられなくてね。
 完成ではないんだけど」
 シブレットはイーゼルにキャンバスを載せる。
 光避けの布を取ると、そこには世界がある。
 初夏のレインドルク。
 美しく花が咲き誇り、白亜の城を飾り立てる。
 古典的な礼拝堂で結婚式を上げたばかりの花嫁。
 薄紅のドレスをまとって、幸せな笑顔を浮かべている。
「この世界で一番美しいものを探して、私は城を出た。
 きっとこれ以上に美しい光景はない。
 今では、そう確信しているんだよ」
 シブレットは言った。
「これで、未完成?」
「花嫁の隣に、花婿を描こうと思っていた。
 今も思っている。
 でも、どうしても花婿が描けないんだ」
「それは……どうしてですの?」
「ラメリーノの愛する男性は、いったいどんな姿をしているのか。
 ずっと考えている。
 まったく思いつかないんだ。
 だから、描くことができない」
 シブレットは真剣に言った。
 ラメリーノは小さく笑う。
「鏡を見て描けばよろしいんじゃなくて?」
 5歳年下の従妹は言う。
 青年はたっぷりと考える。
「私は何も持っていないよ。
 爵位も称号も名誉も、何も持っていない」
 口を開き、重々しく言った。
 乙女は青年の右手を取る。
「このように目立つところに聖徴が出ては、仕方がありませんわ」
「2代続けてローザンブルグ娘が出るかもしれない」
「マイルーク子爵家も、そうなりそうですわ」
「ああ、そういえば聖王女だそうだね」
 シブレットは思い出す。
「ローザンブルグ娘は、迷惑ですの?」
「いや、そんなことはない。
 私の最愛の女性もローザンブルグ娘だからね」
 シブレットは言った。
 ローザンブルグ一族にしては淡い色の瞳が青年を見上げる。
「ラメリーノを迷惑だと思ったことはないよ」
「それでも、求婚はしてくださらないの?」
 ラメリーノは言う。
「私の妻になってほしい」
 シブレットは言った。
「はい、喜んで」
 乙女は幸せそうな笑顔で答える。
 青年が描いた絵の中の花嫁と同じ笑顔だった。
 それを見て、シブレットは満足そうに微笑んだ。


 レインドルク城の礼拝堂の絵に、花婿が描き足されたのは、それからすぐのこと。
 その礼拝堂で、結婚式が挙げられたのは初夏のころ。
 薄紅色のドレス姿の花嫁は、幼いころの夢のままだった。
 レインドルク伯爵家は、夢ばかりを紡いでいる。
 そう領民たちは噂した。





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