こなゆき



 そこには、何もなかった。
 ただ、白く白く、白く。
 クレシェンドのように、力強く白く。
 それは、大地に染みこみ、すべての色を根こそぎ奪っていく。
 冬の到来だった。
 形あるものたちは、白く染まる。
 それゆえに、この場所には何もなかった。
 色と呼べるものがなかった。
 吐いた息さえ白い。
 やがて、産み落とされた青。
 混じりけのない青は、天上の青。
 雲の上に広がるキリッとした青だった。
 サチ国の王女、サーリャ姫。
 年のころは、16。
 近隣諸国の王子たちが胸をときめかせる甘い風貌。
 姫と呼ばれる高貴な女性は少なくないが、名を知らない者がいないほどの有名人だった。
 青空色のリボンを髪に巻きつけて、青空色の外套をまとい、雪の中を歩いていく。
 サチ国王が何より愛するのは、その双眸。
 青空色の瞳。
 窓辺に立たずむ者がいたら、感心するだろう。
 女神が用意した雪のおくるみに、逆らう青がある、と。
 なるほど、サーリャ姫だ、と。
 粉雪ちらつく中、どこかに出て行くのは、この姫さまぐらいだろう、と。

 ◇◆◇◆◇

「寒いわ!」
「他人んちに来て、いきなりなんですか?」
 ためいき混じりに、小柄な男が言う。
 窓を閉め切っているために、ランタンの灯りだけが頼りの部屋。
 薄暗い室内にお似合いの貧相な少年だった。
 年齢は、サーリャ姫とそう変わらないのだろうが、身長は指二本分は低い。
 身の丈に合わないダボダボのローブから、かすかに香るのは薄荷の香り。
「また、ケガしたの?」
「うわぁ!
 急に引っ張らないでくださいよぉ」
 バランスを崩して、小柄な男――イハンはどてっと床に膝をつく。
「あら、ごめんあそばせ」
 王女はお上品に、笑ってみせる。
「青空姫、何の用ですか?」
「イハンが悪いのよ。
 だって、あなたったら、ちっとも会いにきてくれないじゃない」
「用がありませんから」
「用は作るものよ」
 サーリャは無骨な椅子に腰をかける。
「あ」
 イハンは複雑な表情をした。
「何よ?」
「いいえ、何でもないです。
 それで何の用ですか?」
 イハンは、困ったように微笑み、暖炉に薪を足すために、立ち上がる。
「あなたに会いにきたの」

 ガランッ

 イハンは薪を取り落とす。
「そんなことを気軽に言うと、悪い噂が立ちますよ」
 取り繕うように、イハンは薪を拾う。
「例えば?」
「サチ国の至宝が詐欺師にだまされている、とか」
「詐欺師って、イハンのこと?」
 サーリャは尋ねる。
 イハンは答えずに言葉を続ける。
「あるいは、悪い魔法使いに魔法をかけられている、とか」
「そんな魔法があるの?」
「ありますよ。
 人の心に介入するのは禁忌ですけど……。
 何でも言うことをきくように、って」
 イハンは薪を暖炉にくべる。
「あら、素敵な魔法ね」
「怖くないんですか?」
 薄茶色の瞳が、サーリャをマジマジと見た。
「かけて欲しいぐらいだわ」
「そんなことを言うのは、青空姫ぐらいですよ。
 怖いもの知らずですね。
 残念ながら、僕は習得していません」
 イハンは苦笑した。
「私、その魔法を覚えられないかしら?」
 サーリャは訊いた。
「難しいですよ」
「努力しだいでは、覚えられるってことね」
「……青空姫でしたら、覚えられるかもしれませんね。
 でも、覚えてどうするんですか?
 禁忌魔法を使用したら、もう二度と魔法を使えなくなりますよ」
「一生に一度の魔法なのね」
「人生を棒に振ってしまいますよ。
 ああでも、王女でしたら関係ないですね」
 イハンは暖炉にかけあった陶製の鍋から、木杓子で湯をすくう。
 不ぞろいの陶製のコップに、果実の皮やら、香草の粉末やらが入って、湯が注がれる。
 手慣れた手つきでくりかえされる、それこそが魔法のようだ、とサーリャは思う。
 最後に秘蔵の蜂蜜が、マシな形の方のコップに落とされる。
 ほんの一さじが、王宮で出される飴細工よりも、美しい。
「ありがとう」
 サーリャは蜂蜜入りのコップを受け取る。
「もし、これに悪いものが入っていたら、どうするんですか?」
「イハンは嘘をつくのが下手よね」
 王女はニヤリと笑う。
 湯気の立つそれを気をつけて、一口飲む。
 甘くて、ほっとする味がした。
「もし毒入りだとしても、飲む前に言ったら意味がなくなるわ。
 飲まずに捨てちゃうでしょう」
「そうですね」
 イハンは傷だらけのテーブルをはさんで、向こう側の椅子に腰掛ける。
「それでどうすれば、覚えられるの?」
「?」
「さっきの話の続き」
「長い修行の成果がたったの一回で、淡雪のように消えてしまうんですよ」
「あら、長いって言っても、10年ぐらい?
 イハンが修行したのって。
 短いわよ。
 私なんて、生まれたときから王女修行をしているのよ」
 サーリャは朗らかに笑う。
「覚えてどうするんですか?
 国王を操るんですか?」
「どうして、父様を操るのよ」
「王女は、後継になれませんよね。
 政権を確保しようと思ったら、一番の近道になります。
 10年の価値はあると思いますよ」
 淡々とイハンは言う。
「イハンは王様になりたいの?」
「まさか。
 でも、一度は憧れるらしいですよ」
「私は憧れたことないわよ。
 むしろ、早く結婚して、王族を辞めたいぐらいよ」
「貴族も大変らしいですよ」
 イハンは小さく笑う。
「話がずれたわ。
 それで、その魔法はどうやって習得するの?」
「使い道を教えていただけないことには、こちらも……」
「使い道?
 簡単よ。
 それでイハンに魔法をかけるの」
 サーリャはきっぱりと言った。
 しばしの沈黙がただよい、薪が燃える音だけが室内に響く。
「魔法使いに魔法をかければ、その魔法使いが死ぬまで……。
 いいえ、その魔法使いが死ぬ前に、さらに禁忌魔法をかけさせれば、永遠性を保持することも可能ですね」
 イハンは言った。
 薄茶の瞳は瞬きも忘れて、サーリャを見つめる。
「本気で言ってるの?」
「青空姫は、スケールが違いますね。
 常人では思いつかないような発想です」
 イハンは、きっちりと誤解をしたようだった。
「思いついたのはイハンでしょ。
 私が考えていたことは、もっと単純なことよ」
 サーリャは呆れながら、蜂蜜湯で喉を潤す。
「つまり。
 簡単に言うと、イハンと恋をしたいの」
「……本気で言ってるんですか?」
 今度はイハンが呆れる番だった。
「私はイハンと同じぐらいに、嘘をつくのが下手よ」
「ご好意は嬉しいのですが、僕には重荷です。
 他国の王子を蹴散らしてまで、サチ国の至宝の恋人にはなれません。
 ……友だちという立場でも、分不相応なんですよ」
「恋人が嫌なら、結婚しましょう。
 私は王族が辞められて、幸せ。
 あなたは国一番の美姫を手に入れられて、幸せ」
「自分で美姫って言うんですね」
「って噂ね。
 まあ、二目と見られないほどの不細工じゃなければ、たいがい美姫ってことになるわね。
 で、嫌なの?」
「あの、ですから。
 身分違いです」
「じゃあ、イハンが適当な大臣の養子に一度なればいいのよ。
 そうすれば貴族よ。
 貴族は、王族並みに面倒みたいだけど、イハンと一緒なら苦労してもいいわよ」
 サーリャはニコッと笑う。
「誰がそんなことを納得するんですか?」
「我慢比べは得意よ。
 イハンも、我慢は嫌いじゃないわよね」
「きっとみんな反対しますよ」
「当然でしょ。
 あなたは、この国の至宝って呼ばれるものを手に入れるんですもの。
 ちょっと手ごわいぐらいが楽しいわよ」
「僕は、まだ『うん』とは言ってません」
「大丈夫。
 答えは決まってるから」
「どっから、その自信が出てくるんですか?」
「イハンの瞳よ。
 私のことが『好き』だって書いてあるわ」
「…………。
 この国のみんなが言ってます。
 なるほど、サーリャ姫だって。
 普通の人間にはできないことをやってのけるって。
 例えば、雪が降ってきたのに、出かけるとか。
 僕も、そう思います」
 イハンはそこで言葉を切る。
 ゆっくりと言葉を捜して、ためいきをついて。
「僕は、あなたが好きです」
 イハンは泣きそうな顔をして、言った。
「じゃあ、善は急げよ。
 父様に報告しましょう!」
 サーリャは立ち上がり、イハンの手をつかんだ。
「え?」
「こういうのは早いほうがいいわ」

 ◇◆◇◆◇

 粉雪降り積もる中、青は自慢げに歩くのだった。
 それを見た者たちは、やはりサーリャ姫は『さすが』だ、と呟いた。




2005冬企画「こなゆき」
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