#01

 あたしの名前は、アユ。
 ホントは『歩美』なんて時代遅れの名前なんだけど、そんなの親ぐらいしか呼ばないし。
 仲良いトモダチとかは、みんなアユって呼んでくれるから、あたしはアユって名前なわけ。
 あんま知らない人とかは『直井』って苗字で呼ぶしね。
 過去に、一人だけ『直井サン』って呼んだヤツがいて、そいつの話。

***

 彼、変わってた。
 あたしに寄ってくる男ってみんな変わってたけど、そいつ――セキはかなり変わってた。
 物覚えの悪いあたしが今でも覚えてるんだから、かなりきてた。
 セキは同じ学校で、同い年。タメってヤツ。
 高校で何していたかは、あたしは知らない。
 共通のトモダチに聞けばわかるかも知れないけど、興味なかったし。
 セキとあたしが一緒にいた時間って、2年ぐらい。
 周りなんかは付き合ってると思ってたらしい。
 彼氏彼女がするようなこと――キスとか、Hとか――全然しなかったし、セキは「付き合おう」って言わなかったし、あたしも言わなかった。
 だから、あたしたちは付き合ってなかったんだと思う。
 よくわかんないけどね。

***

 あたしとセキが出会ったのは、学校の授業。
 勉強するの好きじゃなかったんだけど、親がうるさいから大学に通ってた。
 大学行ってさえいれば、親はいくらでもおこづかいくれたし、けっこう遊べた。
 高校と違って、授業がスカスカなの。
 それに『自主休講』って言葉もあったしね。
 トモダチに代返頼んで、たいがい街で遊んでた。
 たまに、授業に出てたけど、寝てた。
 先生はおじいちゃんで、怒んなかったし。
 すっごい楽だった。
 で、その日もそんな感じだったんだ。
 いつもと違ったのは、チャイムが鳴って寝こけてるあたしを揺すった人間がいたことかな。
 それがセキ。

「邪魔なんだけど」

 それがセキの第一声め。
 めちゃくちゃ失礼なわけよ。
 せっかく気持ちよく寝てたところだしさ。

「はあ?
 そういうあんたこそ邪魔なんだけど」

 もちろん、あたしは言い返したよ。
 あたしの前に、真面目くんがいたわけ。
 学校にスーツ着てくる人種っているの。
 四年生とかだと、教育実習とか、就職活動とかあるから、結構いるんだけど、そいつはどう見ても、あたしと同じぐらい。
 成人式したんだか、怪しそうな。そんな年齢に見えた。

「その席さ。
 俺の席」

 真面目君が言うわけよ。

「いつからこれがあんたのものになったのよ。
 学校の備品でしょ」
「3時間目の語学は、学籍番号順。
 俺の代わりに、フランス語やっとく?」
「何それ」

 あたしとそいつが会話してると、また一人増えた。
 渋谷系のカッコした男。
 口が大きすぎるけど、マシなほうな顔してた。
 背が180センチぐらいありそうだし、テキトーに遊んでそうな感じ。
 あたし的には、ナンパされたら、飯おごってもらってもらって、カラオケ行っても悪くないってレベル。

「代返、女じゃバレるって。
 風邪引いた、とかいう話じゃないでしょ」

 背の高いほうが笑う。

「ってわけだ。
 どいてくれない?」

 真面目君が言う。
 まあ、そこであたしは寝すぎていたことに気がついたわけなんだけど。
 2時間目はいつの間にか終わってたみたい。
 あたしは3時間目にフランス語なんて、選択してないし。
 どかなきゃいけないのはわかってたんだけど、何となく気に入らなかった。

「ご飯おごってくれたら、どいてあげる」
「別に良いけど。
 名前は?」
「何で、あんたに教えなきゃいけないの?」
「名前も知らない他人を探すのは、面倒だからさ。
 嫌なら、まあ……おごれないわな」
「やめとけって。
 名前が名乗れないような恥ずかしい名前なんだよ。
 彼女はさ」

 真面目君の言葉に、背の高いほうが茶化す。

「あたしはアユ」
「へー、アユちゃんか。
 可愛いね。
 オレさ、戸田カズキ。
 カズって呼んでよ」

 馴れ馴れしくカズが言った。

「苗字は?
 アユなんて名前、いくらでもいるだろ」

 真面目君は言った。
 カチンと来たけど、ホントのことだったから。
 あたしはちゃんと答えた。
 名前ほど、苗字は嫌いじゃない。

「直井だけど?」
「直井サンね。了解」
「あんたの名前は?」

***

 セキは本名を名乗ったはずなんだけど、あたしはあんまり覚えてない。
 携帯電話のメモを確かめれば、ちゃんと名前わかるけど、必要ないし。
 あたしがアユみたいに、セキはセキだから。
 この後、セキはちゃんとご飯をおごってくれた。
 何故かカズも一緒で、気軽なフレンチだった。
 美味しかったから、ちゃんと覚えてる。
 小さくてホッとする『ル シエル』って名前のお店。
 あたしはこの日をきっかけに、常連さんになっちゃうわけだけど、それはまた別の話。
 後で聞いたら、『ル シエル』はカズのお気に入りの店で、セキは付き合っただけだったらしい。

 そんなわけで、セキとカズとあたしで遊ぶ日が、これからちょこちょこと増えた。
 二人は気分を良くさせる天才で、女の子をお姫様にしてくれる。
 金払いの良い男って他にもいたし、おこづかいくれるパパもいたけど、何か二人は違ってた。
 気が合ったってヤツかな。

 それまで遊んでたコたちには「趣味変わったね」とか「アユがそんなタイプだとは思わなかった」とか言われた。
 あたしも趣味が変わったと思うし、こんなタイプだったなんて思わなかったけど。
 それで遊ばなくなったコたちも、たくさんいた。
 ケータイのアドレスの半分ぐらい、必要なくなちゃった。
 二人に会って半年でケータイの機種変更したんだけど、そんときに掛けなくなった番号削除して、すっごい減って驚いた。
 カズは笑ってて、セキはどうでもいいような顔してた。

***

 出会って半年後。
 暇だったし、ちょうどカレシと別れたばっかりだから訊いたんだ。
 珍しくカズがいなくて、バイトだったのかな?
 とにかくセキと二人っきりで、夕方の教室にいた。
 高校と違って掃除する必要ないから、大学の夕方って閑散としてる。
 水曜日の3時間目が終わった後って、使われない教室だった。
 セキは夕焼けを見るのが好きだったから、空き教室でぼんやりしてることが多かった。
 あたしはそれを知っていたから、その教室に行ったんだけど。
 セキは夕焼けを見てるから楽しんだろうけど、あたしは暇だった。
 興味がなかったから。
 だから、訊いたの。

「Hしない?」

 セキは、大げさにためいきをついた。

「ただでやらせてあげるよ。
 お世話になってるから」
「本気で言ってるのか?」
「冗談って苦手なんだけど」

 あたしはセキにしなだれかかる。
 腕に絡ませて、胸を押し当てる。
 けっこう大きいほうだからさ、こうすると男の人が喜ぶの知ってたし。
 セキだったら、悪くないかなって思ったし。

「煙草を吸う女とはキスしない主義」
「有害だから?」
「ヤニ臭くて嫌いなんだよ」

 キスできそうな距離で、セキは言う。

「じゃあ、一回は経験あるんだ。
 元カノ?」
「……忘れた」

 本当に忘れたって感じで、セキは言う。

「もう一回ぐらいしてもいいんじゃない?」
「女はキスが好きだから、一回じゃすまないだろ?」

 優しくセキはあたしの体を遠ざけた。
 紳士って感じの仕草で、ね。
 まあ、それでも傷ついたんだけど。

「H嫌いなの?」
「面倒なのが嫌い」
「その割りに、かまってくれるじゃん」
「セックスすると、女は重くなる。
 カノジョ面されても、困るしな」
「別に一回ぐらいじゃしないけど?
 セキは、真面目なコしか付き合ったことないわけ?
 お試しにどう?」
「寂しいときに、どうでもいい男とセックスすると虚しさが増すぞ」
「欲求不満なの。
 一人でするより、二人のほうが楽しいし、気持ち良いでしょ」
「プロに頼め」

 にべもない、ってセキのためにある言葉だと思う。

「セキはあたしが嫌い?」
「女のそういうセリフが嫌い。
 試そうとしてるのは、卑怯だ。
 直井サンがしたくても、俺はしたくないの」
 
 わかる? って小ばかにした感じで聞き返される。
 セキは学校の先生になると良いと思う。

 ここであたしがセキを襲っちゃうと、逆レイプなわけで。
 男を襲っちゃうほど飢えてる女って称号は、いくらあたしでも嫌だった。
 だから、あたしは大人しく諦めた。

***

 後にも先にも一人っきり。
 あたしが「Hしない?」って訊いて、Hしなかった男って。
 だから、セキのことは良く覚えてる。
 この後も何だかんだとあったんだけど、今日のところはおしまい。

 はじめに一緒にいた時間が2年っていうのは、セキとあたしが付き合ってると勘違いされた期間のこと。
 あたしにカレシじゃなくて『恋人』ができるまでの間のこと。

 恋人ができてからもセキとトモダチは続けた。
 むしろ、現在進行形?
 セキは『直井サン』って呼ばなくなった。
 今は『歩美サン』って呼んでる。
 ホントは『アユ』が良いんだけど、セキのこだわりの部分だから変えないって言ってた。
 セキに呼ばれる度に自分の本名を思い出す。
 あんまり好きじゃないけど、慣れた。

 やっぱりケータイで確かめようと思う。
 セキの本当の名前を。

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