Saint Valentine's Day

「はい、蒼ちゃん。
 ハッピーバレンタイン!」
 にこにこ笑顔で車に乗り込んできた少女が渡したもの。
 それは、ものすごく意外なものだった。
「……何だこれ?」
「なにって、チョコだよ。
 バレンタイン・チョコ」
 相変わらずの表情で、五月は言う。
 蒼太は、手の中にあるチョコをじっと見つめる。
 どこからどう見ても、明らかにチロルチョコだった。

 セントバレンタインデー。
 乙女の戦場、もとい恋人たちの祭典。
 記念すべき一日にデートの約束をしていた恋人。
 あとはラッピングされたチョコがあれば、完璧。
 の、はずだった。

 肩にかけていたカバンを膝に置いて、少女はシートベルトをしめる。
 いつもより少し大きめだと気がついたが、そんな場合じゃあなかった。
 今の問題は、目の前のチョコだった。
「本当にこれなのか?」
「うん。
 だめ?」
「いや、駄目とかじゃないけどさ」
「じゃあいいでしょ」
 嬉しそうな声で話す少女を見て、男は一つ溜息をもらした。
 
 世の中、バレンタインで大賑わい。
 デパートにも、スーパーにも。
 普段チョコなんて扱いそうにないところまで、チョコのお祭り。
 そんな中から選ばれたのが、チロルチョコ一粒。
 値段にして二十円。
 ポンと口に入れれば一口。
 確かに、「値段じゃない」なんていうけれど……。
 蒼太は絶句した。

「蒼ちゃん?」
「いや、何でもない。
 ありがとうな、これ」
 それでも何とかお礼を言って、チョコをそっとポケットにしまう。
 きっとこれには、愛情がたっぷりつまっているんだ。
 と、自分を少し励ました。

 瞬間。

「あははっ!
 やったー、蒼ちゃんひっかかった♪」
 恋人は、大きな声で笑い出した。
 思わず目をぱちくりさせてしまう。
 何が起こったのか、一瞬理解できなかった。
「ごめんね、蒼ちゃん。
 でも面白かった〜」
 えへへ、と笑いながら少女は持っていたカバンを開けた。
 ファスナーの音が耳に届く。
「はい。
 今度こそ、ハッピーバレンタイン」
 手提げカバンから出てきたものは、綺麗にラッピングされた箱だった。
 チロルチョコが二十個以上は入りそうな大きさの。
「あ、お前だましたな!」
「うん、ごめんね。
 でも蒼ちゃんの、色んな顔が見たかったんだもん」
「色んな顔?」
「うん。
 いつも蒼ちゃんて、『大人〜』って感じだから。
 たまには違う蒼ちゃんが見たかったの。
 ゆうちゃんに相談して良かった!」

 満足そうな表情をしている少女を見て、蒼太は息をついた。
 彼女がくれるチョコに一喜一憂する自分。
 その姿は、どれだけ子どもっぽく見えただろう?
 恋人は自分よりもだいぶ年下で。
 少し天然だし、お人よしだし。
 どんな時も守ってやらなきゃいけない。
 ずっとそう思っていた。
 そのせいなのだろうか、彼女をこんな風に思わせたのは?
 『罪悪感』というには、大げさかもしれない感情が芽生えてくる。
「ごめんな」
 聞こえないくらい小さな声で呟く。
 ちゃんと伝えたい気もしたけど、何となく恥ずかしかった。
「何か言った?」
「いや、何でもない」
 ゆっくりと首を横に振る。
 ほんわかとした空気が、二人の間に流れている。
 そんな気がした。
「あのね、無理はしないでね。
 蒼ちゃんだって、わたしに甘えてね。
 付き合うってそういうことだ、って」
「ああ、うん。
 そうだな」
 無邪気な声が心に響く。
 温かい何かに、蒼太は満たされていく。
 そう、思った。


 恋人たちの祭典、バレンタイン。
 甘い甘いチョコレートに包まれて、二人の愛は育まれていく。


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