子どもを助けたら勇者と呼ばれた件について

 いつもの通学路。
 俺は横断歩道を自転車で渡る。
 目の前で、ランドセルを背負った子どもが転んだ。
 ブレーキをかける。
 そこへ、信号無視をした自動車が突っ込んできた。
 俺は、自動車に愛車をぶつけた。
 自動車はよろよろと進路を変えて、電柱に派手にぶつかった。
 俺の体は自動車のボンネットに乗り、その後、道路に放り出された。
 体中が悲鳴を上げている。
 生まれてこの方、感じたことのない痛みが全身を駆けずり回る。
 最後の力を振り絞って、横断歩道を見る。
 ランドセルを背負った子どもと目があった。
 膝に擦り傷を作っただけで、無事に横断歩道を渡りきっていた。
 自分らしくないな、と思った。
 ここで俺の人生ってヤツは終わるのか。
 地獄よか天国に行きたいけど、日ごろの行いってヤツが悪いから無理だろうな。
 さっき助けた子どもの命と引き換えて、プラマイゼロにならないかな。
 白色の光で視界が染められていく。
 痛みが癒えていく。
 お迎えとやらがやってきたのだろう。
 次の世界は、そう悪いものではないらしい。
 俺は、眩しくて目をつぶる。
 全体を包む光にすべての感覚をゆだねた。

 目覚めたら、柔らかいベッドの上だった。
 天蓋つきのベッドはよくRPGで見るような造りだった。
 白い衣をまとった集団に囲まれていた。
 年齢はまちまちだったが、みな同じようなカッコウをしていた。
 いわゆる宗教集団みたいな姿だ。
「剣に選ばれた勇者よ、よくぞ目覚められた」
「はあ?」
 突拍子のない言葉に俺は起き上がった。
 痛みはなかった。
 学生服じゃなく、肌触りのいい服に着せ替えられていた。
 袖をめくって傷の有無を確かめる。
 あれだけの痛い思いをしたのに、かすり傷ひとつなかった。
 集団の奥から、静々と剣を捧げ持つように同い年ぐらいの可愛い女の子がやってきた。
「剣です。
 鞘を抜けますか?」
 惹かれるものがあって、思わず手を伸ばした。
 柄にふれると暖かい。
 美しい装飾が施された鞘を抜く。
 濡れるように光る刀身が現れた。
 昔から知っているような、そんな気がした。
 どよめきが起きる。
「勇者様、この世界を救ってください」
「魔王を倒してください!」
「神よ。我らを見捨てないでいてくださったのですね!」
 白い集団が口々に言う。
「魔王を倒せるのは、この剣のみです。
 そして、使いこなせるのは勇者だけです。
 普通の人間には鞘を抜くことはできません」
 剣を持ってきた女の子は言った。
 お約束過ぎる展開に、俺はためいきをついた。
 異世界にトリップしてきた客人は、チートのし放題ってヤツだ。
 退屈な学生生活とおさらばして、世界を救う勇者の誕生ってとこだろう。
「魔王あらわれし時、勇者もまたあらわれる」
 女の子は聖書でも読むように朗々と言った。
「あんたたちが信じている神様とやらに倒してもらえばいいじゃねーの?」
 平凡を絵に描いたような生活を送ってきたのだ。
 いきなり剣を貰ったところで、それを使いこなす技量はない。
 剣道も居合道も、かじったことすらなかった。
「神は現世に介入しません。巨大すぎる力は地上の律を狂わしてしまいますから」
 女の子は静かに告げる。
「さすが聖女様」
 集団は褒めたたえる。
 どうやら、この女の子は集団の中でも特別なのだろう。
「縁もゆかりもないところを救え、と言われても二つ返事はできないんだけど」
「元の世界に返りたいなら、魔王を倒さなければいけません。
 勇者と魔王は対です。
 どちらか一方だけでは存在出来ないのです」
「俺には何の力もないんだけど」
 テストの点数は関係ないだろうけど、体育の成績は関係あるだろう。
 ずば抜けて良い成績ではない。
 良くも悪くも平凡だった。
「そんなはずはありません。
 不老不死の肉体と剣があるではないですか」
 女の子は断言する。
「不老不死ってことは自殺も、出来ないってこと?」
「おそらくは」
「死ぬ自由もないって、けっこう残酷なことを言うんだな。
 俺は勇者になるしかないってこと?」
 勇者なんて職業は、ゲームの中だけで充分だ。
 他人の家に入ってタンスをあさったり、つぼを割ったりするのは現実的じゃない。
「基本的なことかもしれないけど、魔王ってなんか悪さをするの?」
 勝手に悪だと決めつけられているのなら、かわいそうだ。
 ゲームの中の魔王は居城で、引きこもっているだけだ。
 直接、人間に危害を加えたりはしない。
「魔王が誕生すると、妖魔が生まれます。
 妖魔は人間を食べます」
 聖女様は淡々と、冗談じゃないことを言う。
 こちらの世界では常識ってヤツなんだろうけど。
「なるほど。
 そりゃあ魔王を討伐しないと、って状況になるわなぁ」
 顔を見たこともなければ、殺すような因縁もない魔王を倒す。
 後味が悪いが、そうも言ってられない。
 一刻も早く妖魔を殲滅しなければならない。
「分かったよ。勇者様になってやる」
 成り行きだけど、俺なり決意した。

      ‡ ‡ ‡ ‡

 聖女様との二人旅が始まった。
 不老不死の体というのは便利なもので起きると、どんな傷も癒えていた。
 それでも痛いのは勘弁して欲しいので、攻撃を受けない方法を実践から学ぶ。
 妖魔を斬り捨てる度に、強くなっていくのが分かる。
 勇者様専用の剣だけあって、振り回しているだけでも妖魔の弱点を斬り裂く。
 聖女様いわく、どんなものでも斬れないものはないらしい。
 チートもいいところだった。

「聖女様と敬われて俺なんかの世話して、あんた楽しいの?」
 野宿が続くある日、俺は切り出した。
 聖女様が今まで苦労をしてきてないのは、見れば分かった。
「それが定めですから」
 薪に火をつけながら聖女様は言った。
 諦めも気負いもなく、自然に口にする。
 勇者以上に、大変な役目なのかもしれない。
「魔王討伐が終わったら、あんたはどうなるんだ?」
 疑問をぶつけた。
「神殿で祈りの日々に戻るだけです」
 聖女様は簡易的なかまどを作ると、鍋を置く。
 水を張った鍋に摘んできた草や種子を入れる。
「へー、あんたの平穏を守るためにも、俺は魔王を倒さなきゃなんないのか」
「申し訳ありません」
 聖女様はペコリと頭を下げた。
「いや、気にしなくてもいいよ!
 ちょっとした興味で訊いただけだから。
 あんたには本当に世話になっているから、幸せになって欲しいと思ったんだ」
 俺は慌てて言った。
「幸せですか?
 こうして、勇者様のお世話ができて、私は幸せです」
 聖女様は花がほころぶように微笑んだ。
 空に瞬く星も負けるほど、きれいだった。
 白状すると、俺はこの聖女様を好きになっていた。
 だから、心臓が景気良く跳ねた。
「私は歴代の聖女の中でも出来損ないらしく、勇者様を召喚するのに八日もかかりました。
 その間に、妖魔が世界中にはびこることになってしまいました」
 聖女様は鍋をかき混ぜながら、言った。
 横顔は憂いをたたえて、抱きしめたいと思うほど悲しげだった。
 だが、いかんせん度胸が足りなかった。
「出来損ない同士、一緒に頑張ろうぜ」
 俺は笑顔を作る。
 薄っぺらい言葉に、聖女様は微かに笑った。
「勇者様は立派ですわ。
 何も分からないところに呼び出されて、使命を全うしているではありませんか」
 手放しの褒め言葉に、俺はくらりとする。
 こういう無垢な部分に弱いんだよなぁ。
 健気過ぎる。
 ほんと、いちいち可愛すぎる。
 俺の周囲にはいないタイプの女の子だった。
 もし、お持ち帰りができるのなら、この聖女様をテイクアウトしたい。
 自分が元の世界に帰れるのか、まだ分からないというのに、舞い上がってしまう。
 もうちょっと二人旅を続けたいな、と思ってしまう。
 妖魔を殲滅して、魔王を倒さなければならない。
 そんな使命を忘れかけそうになる。
 好きな女の子と一緒にいられる、なんて特別な時間すぎる。
「どうぞ」
 お椀が差し出される。
 その辺の草と種子を香辛料で味付けされたスープにも慣れた。
 熱々のスープに息を吹きかけながら食べる。
 いわゆる体に良さそうな味がした。
「美味しいよ」
 俺は感謝の気持ちをこめて言った。
 自分ひとりだったら、野宿ひとつ出来なかっただろう。
 不老不死ということは餓死すら出来ない。
 空腹を抱えながら、影すらも見えない魔王を探していただろう。
「勇者様は優しいのですね。
 宿に泊まれればいいのですが、妖魔たちのおかげでどの宿も閉まっていて。
 余所者が入れないように閉ざす村も多く、これからはもっと過酷になります。
 本当に申し訳ありません」
 聖女様は泣きそうな顔で言う。
 それがあまりに切なくって、俺は返答に詰まる。
 色々なことが頭に浮かび上がっては、消える。
 慰める言葉が思いつかない。
 スープを掻きこむように食べる。
「おかわり」
 俺は聖女様にお椀を突きつける。
「はい」
 聖女様は嬉しそうな顔になる。
 それを見て俺はホッとした。

    ‡ ‡ ‡ ‡

 ようやく終着地点が見えてきた。
 満身創痍になりながら、俺は走る。
 右手には剣。左手には聖女様。
 うごめく妖魔を斬り捨てながら玉座を目指す。
 魔王に相応しい漆黒の城の長い階段を踏破する。
 階段の踊り場にいた妖魔を斬り、俺は顔を上げた。
 そこには見覚えのある顔があった。
「自転車のおにいちゃん」
 魔王は人懐こい笑顔で言った。
 俺の思考回路は停止する。
 忘れようがない。
 ランドセルを背負った子どもだ。
 嘘だろ。
 神様、人選ミスもいいところだ。
 冗談にしては出来が悪すぎる。
「勇者様? どうなさいましたか?」
 聖女様の言葉もノイズになった。
 一度は救った生命だ。
 それをむしりとらなければ、ならないのか。
 俺はそんなことのために、ここまで旅してきたのか。
「魔王ですよ。悪の権化です」
 聖女様は動かなくなった俺の腕をゆする。
「……殺さなきゃいけないのか?」
 俺の呟きに
「魔王がいる限り、妖魔が生まれるんです。
 ほら、あそこにも卵が孵化しようとしています」
 聖女様は魔王の隣を指す。
「自転車のおにいちゃん。
 ケガしたの? 血がたくさん。
 治してあげられなくてゴメンね」
 魔王は、すまなそうに言った。
 良く考えろ、俺。
 勇者と魔王は対なのだ。
 どちらか一方では存在できない。
 聖女様も言ってたじゃないか。
「勇者様の剣でしか、魔王を倒すことは出来ないんですよ。
 妖魔のいない今なら、確実に倒すことが出来るはずです。
 この世界をお救いください」
 俺には、聖女様の懇願を叶えられそうになかった。
 顔も知らない相手なら、斬れたかもしれない。
 けれども、このキャスティングは神様ってヤツを呪う。
 俺は左手を離した。
 それから、勇者専用の剣を首筋に当てた。
 対だというなら、勇者が消えれば魔王も消える。
 これは賭けだった。
 もし見当違いだったら、ピエロもいいところだ。
 他に世界を救う方法が見つからない。
 一瞬、剣を冷たさを感じたが、炎のような熱さが襲ってきた。
 気合を入れて首を掻っ切る。
 痛かったが柄を持つ手に力をこめる。
 自殺なんてガラじゃないけど、仕方ない。
 死ぬほど痛かったが、魔王を斬り捨てるなんて出来ない。
「勇者様!」
 聖女様の悲鳴を聞きながら、俺の世界は暗転した。

    ‡ ‡ ‡ ‡

 いつもの通学路。
 俺は横断歩道を自転車で渡る。
 目の前で、ランドセルを背負った子どもが転んだ。
 ブレーキをかける。
 元の時間軸に戻ってきたようだった。
 前と違うところがあるとしたら、この先の記憶があることだ。
 俺は自転車から投げ降りると、泣く子どもを横抱きする。
 横断歩道を渡りきる前に自動車が突っ込んでくる。
 置き去りにされた自転車に、自動車は乗り上げて路肩にぶつかった。
 自動車は減速して、止まった。
「大丈夫か?」
 子どもを道路に下ろして、尋ねる。
「おにいちゃんの自転車、壊れちゃったよ」
 子どもは手の甲で涙をぬぐいながら言う。
「いいんだ。これで」
 俺は笑った。
「ありがとう!」
 子どもは大きく手を振り、走り出した。
 元気そうな姿にホッとする。
「気をつけて、学校に行くんだぞ!」
 小さくなっていく背を見送りながら俺は言った。
 自動車から人影が降りてくる。
「ゴメンなさい。
 今、警察を呼ぶから待ってもらえるかしら?」
 運転手は言った。
 不慣れな手つきでスマホをいじる。
「あら、あなた。
 どこかでお会いしたことがあるのかしら?」
「通学路だから、顔を合わせたこともあるかもしれませんね」
 俺は言った。
「そう?
 ケガはないかしら?
 救急車、呼ばなくても大丈夫?」
 可愛らしい感じがする女性は不安げに言う。
 その声もパトカーのサイレンの音に掻き消された。
 八年経ったら、こんな感じなのかな。
 俺は聖女様の面影を女性に重ねた。

 子どもを救った、ということで感謝状が届いた。
 学校で発表されたものだから、しばらく勇者というあだなをつけられてしまった。
 運命は無事に変わった。
 俺は退屈だけど貴重な平凡な学生生活に戻った。
 かくして物語りはめでたしめでたしで終わる。
 もちろん運転手の女性の電話番号とLINEのIDはゲットした。
 今度こそ、上手く立ち回る。
 なんせ、年上の女性だからね。
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