たった一人の天使

 「おはよう」の一言が、ぼくにとってのエネルギーになる。

 8時00分。
 校門の前。
 ぼくこと松田清(まつだ きよし)は、いつも通りそこに立っていた。
 ランドセルの取っ手をギュッとにぎりしめ、汗も一緒ににぎりながら、彼女を待っていた。
 次々と登校してくる児童(小学生はセイトじゃないらしい)たちの中から、ぼくはたった一人の天使をさがす。
 大げさかもしれないけど、彼女はぼくの天使!
 かわいくて、キヨラカで、見ているだけで心臓がきゅーってしめつけられる。
 女神さまって言ってもいいくらい、ステキなんだ。
 校門の前ににょきっと生えた時計は、8時3分を指す。
 よし、あと少しで来る……!
 ぼくの胸は緊張でドキドキし始める。
 顔からは変な汗が出てくる。
 毎朝のことだけど、なれそうにはない。
 100メートル先。
 ちょうど自動販売機の前で、スカートのはじっこがひらりと見えた。

 いた、彼女だ!

 ぼくの心臓はいよいよ大きな音をたて始める。
 ちょうど、クレシェンドのようなイキオイだ。
 一歩、二歩、三歩。
 彼女は軽やかに近づいてくる。
 キョリはだんだん近くなっていく。
 10メートル、9メートル、8メートル。
 もう、ぼくの心臓はこわれそうな音をかき鳴らしていた。

「お、おはよう、いおりちゃん!」
 声がひっくりがえったけど、そんなことどうだっていい。
 今は彼女に「おはよう」を言う。
 それが一番大事なんだ。
「おはよう、きよくん」
 ふわりって音がした。
 いおりちゃんは、いつもと同じように笑ってくれた。
 どんな花よりもかわいく、ママよりも優しく微笑んでくれた。
 ぼくの心は羽が生えて、雲をつきぬけて飛んでいきそうになる。
「先に教室に行ってるね」
「う、うん!」
 バイバイ、と彼女は手を振って、校舎の中に入っていった。
 その後ろ姿を見つめながら、ぼくは心がダンスするカンカクを味わっていた。
 ヒップホップっていうよりは、ぼくのママが大好きなワルツみたいだ。
 ゆっくり。でも、確実に楽しそうに、心はくるくると回る。
「幸せだぁ」
 ぼくは一人、ヨインにひたる。
 この朝の一瞬のためにぼくは生きている。
 「おはよう」って言葉を聞くために、ぼくは早寝早起きをしちゃうんだ。
 ニコニコ笑顔のまま、ぼくはたくさんの人にまぎれながら昇降口に向かう。
 今日一日も、きっと良い日になる。
 ぼくは確信しながら、彼女のいる教室を目指した。

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