私のヒカリ


「あなたの名前は光よ」
「光。素敵な名前をありがとう、マスター」
 名前を与えられたアンドロイド、光は優しく微笑んでみせた。



「マスター、あと10分と仰ってから10分が経過しました」
「え! 今何時?」
「午前7時3分23秒です」
「やばい遅刻する!」
 私は慌てて飛び起きた。あたふたと制服をひっつかみ、着替えようとしてふと手を止める。光の姿は……ない。ほっ、と息をついて私は着替えを続行する事にした。
 私の名前は七色 星(なないろ あかり)。高校1年生。
 光は科学者である両親が2ヶ月前にくれた誕生日プレゼントだ。まだ試作品だけど、スーパーコンピューターというヤツが入っていてとにかく賢いんだってママは言っていた。
 多忙を極め、留守がちの2人は今、渡米中。大きなプロジェクトを抱えているっていうし、今年の誕生日は独りかなと思ってたらママが帰ってきて一緒にお祝いしてくれた。おめでとうって直接言ってもらえたのが凄く嬉しかったなぁ。
「マスター、移動中に食べられる様におにぎりを作りました。開けても構いませんか?」
「はっ、そうだ浸ってる場合じゃない! ちょっと待ってすぐ着替えるから光はそのままそこにいて!」
「はいマスター」
 光はドアの向こうから無機質な声で返事をした。

 ☆

「おはよー星。間に合ったじゃん」
「何とかね」
 息を切らしながら教室に飛び込むと、私は勢い良く机に突っ伏した。今日は本当ダメかと思った。あのアンドロめ、私が言った事キッカリ守るんだもん。
「星、最近朝ギリギリだよね。テスト勉強?」
 友逹の花園 空音(はなぞの そらね)がこっちを覗きこむ。
「やってると思う?」
「まさか」
「でしょ」
 空音はアハハと楽しそうに笑う。と、そこでチャイムが鳴った。
「あ、みっちゃん来た!じゃあ後でね」
 廊下に担任の姿を見つけると、空音はさっさと席に戻っていった。彼女は中学時代からの友達で色々とお世話になっている。特に空音のママは私が家に独りでいる事が多いのを心配してくれていて、ご飯に招いてくれたり、多く作りすぎたと言っては、空音におかずを託して届けてくれたりもするとても素敵なママさんだ。
「おはよう。全員席につけー」
 教室に入るなりみっちゃん先生が声を張り上げる。私はむっくりと机から起きあがり姿勢を正す。
「出席取るから、いないヤツは返事しろよー」
 担任の発言に教室中から色んな声が上がる。みっちゃん。本名は<ruby>
火積 道紀(ほづみ みちのり)。うちの高校には珍しい20代の先生って事で、女子にも人気の先生だ。私は……良い先生だとは思うけど、カッコいいとは思わないかな。どちらかと言えば私の好みは家でお留守番中の光みたいなタイプだから。

 初めて彼と家で出会った時。私はその綺麗な髪と顔立ちに呆然としてしまった。まるで降り注ぐ陽の光をそのまま糸にして作り上げた髪。すっきりとした目元には長い睫毛が縁取られていて。通った鼻筋と厚すぎず薄すぎない、淡桃色の唇は雪の様な白い肌の上にバランス良くのっている。あまりにも整った外見に息をするのも忘れそうになるくらいだった。
「おはようございますマスター。私に名前をつけてください」
 起動後の第一声がそれ。彼の声は無機質なのになぜか心地よくて、耳によく馴染む声だった。おろおろする私にママは優しく笑って名前をつける様促した。私はあまり迷わずに彼に名前を与えた。
 ひかり、と。彼の髪の色だけでなく、その姿が私にとって太陽の光そのものに見えたから。

「おーい七色星、いるかー」
「は、はい!」
 突然フルネームを呼ばれて私は勢いよく立ち上がった。
「いるなら一回で返事しろよ。それと、今日の放課後職員室来いよ。渡すものがあるからな」
「分かりました!」
 なぜかぴしっと敬礼を決めて、私は返事をする。その様子に教室中がどっと湧いた。私は顔が真っ赤になるのを感じつつ、そうっとイスに座った。
「……はあ」
 寝坊はするし、皆には笑われるし。何だか今日はツイてない気がする。私は大きなため息をついて朝と同様、机に突っ伏した。

 ☆

 放課後。私は職員室に向かった。嫌な予感しかしないし、何となく用件が分かっているだけに行きたくはなかったけれど。
「失礼します」
 ノックの後、ドアを開ける。担任はすぐこっちに気がつき、私を手招きした。
「来たな。ほいよ」
 渡された物はやはり、予感的中。三者面談のお知らせの手紙だった。私は手紙を受け取るとそれに視線を落としたまま、固まった。
「提出期限が1週間前だったのは知ってるな? 手紙なくした訳ではないんだろ?」
「……」
「親御さんには言ったのか?」
「…………」
「七色、返事くらいしてくれないか?」
 先生の声は怒ってはいなかったし、多分呆れてもいない。ただ少し困った様子だった。悪いな、と思いながらも私はただ俯く事しかできなかった。
「お前の親御さんが忙しいのは知っているさ。でもな、娘のためなら多少の時間をくれると思うぞ」
 ぽんぽん、と先生の大きな手が私の頭の上にのる。
 多分、先生は分かってる。
 私が両親にこの手紙の事を言っていないって事。
「何なら俺から連絡を取るぞ」
「そ、それはダメです! 私からちゃんと連絡します!」
 担任の申し出に私は顔を上げて思いっきり抗議した。先生からの連絡なんて、絶対に絶対に避けたい。
「……分かった。ただし今週中には返事をくれよ。それがタイムリミットだ」
「はい」
 仕方なく私は頷き、2通目の手紙を持ちながら職員室を去った。

 ☆

 帰り道、ずっと手紙の事を考えていたけど答えは見つからなかった。
 いつもの倍くらい時間をかけて家までたどり着くと私はドアを開けた。
「お帰りなさいマスター」
 そこには、光がいた。見慣れた顔と聞き慣れた声に、私は思わず涙が出そうになった。光はいつも必ずこうして玄関で出迎えてくれる。何で分かるのか知らないけど、私がドアを開けた瞬間、いつだって目の前に立っていて一番にお帰り、と言ってくれる。それがとても暖かく感じられて涙腺が緩みそうになる。
「うん、ただいま」
 私は努めていつもと同じ様に振る舞う。笑おうとして、口の端を上げた。その瞬間。
「……マスターから異常値を感知しました」
「え?」
 突然の光の発言に、私はぎょっとした。
「表情筋の動きが普段と異なります。眉尻が0,2ミリ下がりました。口角の上がり方が0,1ミリ足りません」
「ああ、えーっとこれは……」
 何とかごまかそうと言葉を探していると光は一度瞳を閉じた。
「情報を分析。マニュアルからこの事象に対する対処法を検索しています」
 静かに、実に機械的に光は言う。ああ、変なスイッチ入れてしまった……。私は自分の迂闊さを後悔した。
「検索完了。該当有。今から作戦No.007を実行します。マスターはソファで待機していてください」
「え、あ、うん」
 言われた通り私はソファに座る事にした。
「……」
 着替えもせず、私はただソファに体を沈めていた。作戦実行中の光は、台所でとても小気味良い音を立てて何かを作っている。バターの香りが部屋に広がるとぐうっとお腹が鳴った。
 光は炊事機能に関しても抜群のセンスを持っている。ママがレシピを登録したらしいんだけど、かなり本格的な料理まで作れるらしい。本当は私が作ってあげたいのだけど、と誕生日の日にママは少し寂しそうに笑っていた。
「マスター、あと1分で完成します。席についてお待ち下さい」
「はーい」
 ピーという小さな電子音が台所から聞こえた気がしたが、私は気にせずイスに座る。と、目の前にお皿が置かれた。
「え……!」
 私は驚いて思わずパッと顔を上げた。光は優しい微笑みを浮かべていた。
「さあどうぞ。今日は特別仕様よ」
 発せられた声は明らかに光のものとは違った。そう、間違いなくママの声だった。
「ママ……?」
「どうしたの、早く食べなさい。冷めるわよ」
 その声、その微笑み。全部全部ママだった。
「うん、うん」
 私はただ、返事しかできなかった。お皿の上にあったのは、オムライス。しかも、ふわふわオムレツの特別バージョン。玉子の上にはケチャップで「ハート」が描かれている。小さい頃、ママもパパも今より忙しくなくて、一緒にいる時間が多かった頃。私が落ち込んだり、元気がなくなった時にママが作ってくれた特別仕様のオムライス。
 普段の薄焼き玉子のと違って、ふわっふわの玉子とハートマークが嬉しくて。食べ終わる頃にはいつも笑顔を取り戻していた。
「……いただき、ます」
 スプーンでひと匙オムライスをすくう。口の前でふーふーと吹けば立ち上る湯気が形を変える。口の中に運ぶとバターのコク、ケチャップの酸味、柔らかな玉子が口いっぱいに広がっていく。もう何年も食べてなかったけど舌は覚えていた。見た目だけじゃない。味もそのまま、ママが作ってくれた「特別オムライス」だって。
「おいしい?」
 目の前に座り頬杖をついて私を覗く光。その癖はママのものだった。
「うん、おいしい」
 言った途端、私の目から堪えきれなくなったものがこぼれ落ちた。水滴が頬をたくさん伝っていくけれど、拭う事ができない。泣いたって、何の解決にもならない。ずっと自分に言い聞かせてきた言葉を胸の中で繰り返すのに、止まる気配がない。
 光はずるい。機械なのに突然ママになっちゃうんだもん。こんな機能、聞いていない。卑怯だ、酷い。本当に……ずるい。
「……!」
 声にならない声が漏れる。私の頭を、光の手が撫でる。機械とは思えないほど優しい感触と温もりに、私の心の中にあった何かがとけていく。バターがフライパンの上でとろけるみたいにじんわりと、心の中に広がっていく。
 ああ、思い出した。やっと分かった。光の声。ずっと馴染みのある声だと思っていたけど、ママの声とトーンが似ていたんだ。
 そして今私を撫でるこの手はパパ。パパと同じ、大きくてあったかい手だった。
 科学者として成功したママとパパ。今じゃTVや雑誌でも良く顔を見かける2人。そんな両親が自慢で、でも寂しくもあった。だんだん家を空ける事が増えて、本当は一緒にいて欲しいって何度も思った。
 授業参観。私が頑張っても褒めてくれるのは先生だけって事も多かった。それでも私は我慢したし、自分の気持ちを無理矢理閉じこめた。仕事をしている時のママとパパは、とても輝いていたから。そんな2人が大好きだったから。私は自分の気持ちなんて、なかった事にした。もうずっと何年も、そうやって奥深いところに押しやっていた感情が今、涙ごと全て出てきてしまった。
「何があったのか教えてくれる?」
 私の涙が落ち着いた頃、光がママの声で言った。私は頷くとポツポツと話し始めた。
「実は、今度三者面談があってね。本当は希望日の提出日が先週までだったの。でも、ママもパパも忙しいだろうし、今大切なプロジェクトに参加してるって言ってたし、迷惑かけたくなかったから。だから、ずっと言えなくて……。今日、みっちゃん先生に返事を急かされちゃって、それでどうしようって」
「そう……だったの。私たちの事、考えてくれたのね」
「お仕事してるママとパパが私、凄く好きなんだよ。だから、私のためだけに帰ってくるなんて、仕事の邪魔になっちゃうだろうしって思って」
 私は言いながら、俯いてしまった。自分がいない方が、良いんじゃないかってどこかでずっと考えていた。その方がママもパパも楽なんじゃないかって。いつだって、2人とも私に優しくしてくれた。たとえ一緒にいなくても、電話やメール、手紙は折々にくれた。学校行事も入学式や卒業式はどっちかが来てくれてた。今までの面談だって、TV電話を通しての時もあったけどちゃんと来てくれていた。でもそれも、無理をしているんじゃないかって心配になった。特に今回は大事な仕事を抱えている時期だって聞いていた。だからこそ、迷惑にも負担にも思って欲しくなくて言えなかった。私のために帰ってきて、なんて。
「自分の子どもを邪魔だなんて思う親がどこにいますか。あなたは、私達が愛してやまないたった1人の娘なのよ。パパもママも、あなたという光を失ったら生きていけないわ」
「ひかり……?」
 ママの言葉に驚いて、私は顔を上げる。
「そう、私たちにとって、星は一筋の光。星がいてくれるから、私たちは希望を捨てずに研究に取り組めるの。あなたの笑顔を見たい一心で、ね」
「本当?」
 信じられない言葉に私は疑問符を投げる。鼓動が、どんどん早くなっていくのが分かる。
「まだ星が小さかった頃。私たちが作った小さなおもちゃで、楽しそうに笑いながら遊ぶあなたを見て、私たちは決めたのよ。この子が喜んでくれるものを、たくさん作ろうって」
 ママの声が胸に響く。初めて聴く事に、私の心が中々ついてきてくれない。知らなかった。ママが、パパが。そんな風に私の事を思ってくれていたなんて。
「ごめんなさいね、寂しかったわよね。三者面談の事も、言いづらい環境を作ってしまったわね。でも今こうして話してくれて嬉しかったわ」
 光がママみたいな顔で微笑んだ。その笑顔はとてもとても綺麗だった。
「さてと、じゃあ即仕事を片づけなきゃね」
 ママのやる気に満ちた声に、私はふと我に返った。
「……あ、れ?」
 目の前にいるのは確かにママではなく、アンドロイドの光だ。そのはずなのに何かおかしい。
「あの、これって……」
 私が感じた違和感を確認しようとすると、光が口を開く。
「ふふ、光を通じて直接話しているのよ。異常信号をキャッチすると、そっちの様子をモニタリングできる様にしてあるの。こちらで操作して会話の切り替えも出来るし、仕草や表情も今の私と同期させてあるの。パパも隣で聞いてたけど、パパとも話す?」
「いや、ううん、いいです」
 そう私が言った瞬間、光の口から「すぐに帰るからなあかりー!」というパパの声が聞こえてきた。あああ、やってしまった。つい油断して全部ぶちまけてしまった。私は思わずため息をもらす。
 優秀なアンドロイドと言っても、光には感情がない。ママの口調や声、動作ができる様にプログラミングされていたとしても、あんなに会話が成り立つはずがないんだ。さっき聞こえた電子音は会話を切り替えた合図だったのかもしれない。
 気づけなかった事への後悔とか、恥ずかしさがぐるぐる巡って、今にも頭はショートしそうだった。
「せっかく作ったオムライス、冷めちゃったわね。レンジで温める?」
 ママはにこにこと、どこか嬉しそうに言う。うう、やっぱり何か恥ずかしい。
「大丈夫、このままでいいよ。いただきます」
 もう一度、私はオムライスを口に運ぶ。冷えてしまったオムライスは、冷たくてもやっぱり特別だった。


 その後私はなぜか四者面談になり、両親はまた仕事に戻って行った。
 光は今日も私の隣にいる。両親と共にそれこそ太陽の様に、私を見守ってくれているのだった。

素材【Egg*Station