大輪の華


 春麗らかな日。
 花々は我こそはと咲き、風は清かにそれらを揺らす。
 官渡城は、暖かな陽射しに包まれ、人々の心も春の陽気のせいか浮かれていた。
 女官たちの声も、僅かだが甲高い気がする。
 そんな鮮やかな色彩の中、城主の次子、袁煕は盛大な溜息を吐く。

 「ふう……」

 空を仰ぎ、雲を見つめる。
 どこまでも流れ行く、自由な雲が羨ましい。

 「どうかなさいましたの?」

 いつの間にか隣には美女がいた。
 「洛。
  そなたは天からの召使いなのか?
  一体いつの間に私の元に飛んできたのかな」
 自分の愛しい妻、甄洛に微笑む。 
 「あら、私はいつもあなたの傍にいますわ」 
 至高の声が甘美なことを言う。 
 嫌なことなど全て忘れて、天女にこの身を預けてしまいたくなる。 
 「それで、どうなさいましたの?」 
 甘い夢は無残にも崩れ去る。 
 先程の溜息の理由を問われてしまう。
 聡明な彼女に、言い訳やはぐらかしなどは通用しない。
 分かっているのに、口から出たのはそれだった。
 「いや、なんでもないよ」
 無理に笑って見せる。
 彼女を見れば見る程思う。
 自分には勿体ない程の美貌を持った女人だと。
 「袁家」という家名が無ければ、自分の元になど決して嫁いで来なかったであろう。
 そんなことをつい考えてしまう。
 甄洛は、心配そうにこちらを見つめる。
 「本当に?」
 曇りなく澄んだ瞳に、やはり嘘はつけない。
 「洛に嘘はつけないな」
 諦めたように微笑みを返す。
 結局、敵わない自分が情けなくも感じるが、同時に甄洛の魅力を再確認でき、嬉しく思う瞬間でもある。

 「実は……」 

 事の顛末を話し始める。
 また、兄と弟の橋渡しをしなければならない話。 
 いつものことすぎて、聞き飽きているだろうに、
 彼女は話の間相づちを欠かすことは無かった。
 身を入れて聴いてくれているのが良く分かる。 

 「顕奕さまの、お心のままになされば良いと思いますわ」 

 柔らかな笑みを浮かべ、洛は助言をくれた。 
 その笑みは、庭の花々すら色褪せてしまいそうな程美しく。 
 声は鶯の歌声さえも敵わない。
 本当に、自分には不釣合いな妻だと思う。  
 兄のように誇り高き漢であったり、弟のように快活な美丈夫なら良かった。
 ほんの少しでも自分に自信が持てたなら、こんな悩みもなかったのに……。

 「顕奕さま……?」

 横にいた妻が不思議そうにこちらを見つめていた。

 「あ、すまない」 

 思考を止め、袁煕は甄洛の瞳を見る。
 人と話すときは瞳を見て。 
 そう、父から教えられたように。 

 「私は本当に何の才もない。  
  洛に、似合わぬ夫だな」


 自嘲気味に笑む。
 折角の大輪の花。 
 ここではその美しさも台無しになってしまう。 
 自分は、この花を咲き誇らせることの出来る、大器ではない。 
 誰か違う漢の元に嫁いだ方が良かったのに―― 。 


 「……顕奕さまは、私のことがお嫌いですか?」 
 「まさかっ!  
  そのようなことは断じてない!」 
 妻の突然の問いに、声色がひっくり返りそうになってしまう。 
 くすくすと、甄洛が笑う。 
 その優美な笑みに、思わず見惚れてしまう。
 「私、顕奕さまの妻で本当に良かったですわ。  
 だってこの国一番、いえ、天下一お優しい方の元に嫁げたのですから」 
 傾国の美女は、神ですら惑わしてしまいそうな笑みを浮かべる。
 
 「!? 
  洛……?」 


 「私の自慢、ですのよ」 
 

 天上の者と見紛う程の容貌は、微笑みで飾られ、美しさを増す。 
 思わず、瞬きをするのを忘れてしまう。 
 

 「……あぁ。
  洛、そなたは私の自慢の妻だよ」

 
 少し頬が熱くなる。 
 嬉しくて、思わず顔が緩む。
 甄洛の頬も、微かに赤く染まっているように見えた。




 願わくば、かの女人がいつまでも笑っていられるように。
 例え、自分の元でなくとも、この大輪の花が枯れることがないように。
 唯、それだけを願うのみ――。


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