誰だって始めは、不安なものなのですよ?


 父が死んだ。
 突然とは、思わなかった。
 戦に出かけられる時、なぜだが予感があったから。

 この人とはもう、会うことはない。

 そう、思っていたから。
 皆が悲しみにくれる中、私は一人泣きもしなかった。
 悲しくない訳ではなかった。
 自分の理想であり、尊敬に値する漢。
 その父が亡くなったのだから。

 なのに、涙はでなかった。


「劉禅様」
 即位の儀式の準備をしている、慌しい時だった。
「星彩」
 膝をつくは、亡き父の義兄弟であった張飛殿の娘。
 自分の幼なじみでもあった。
「ご即位、おめでとうございます。
 一足先にご挨拶に参りました」
 頭を垂れたまま、星彩は声を発した。
 少女には珍しく、長い裳裾の装い。
 儀式が近いので、彼女も着飾っているのだろう。
 周囲の者が、気を使って部屋から下がる。
 星彩が、他でもない未来の后だから。

「頭を、あげてくれないか?」
 笑み、声をかける。
「はい」
 言葉通りに、星彩が顔を上げた。
「ありがとう。
 真っ先に来てくれて、嬉しい」
 微かに笑んで、星彩の手を取る。
 そのまま、立ち上がらせた。
「劉禅様……」
 ほんの少し頬を赤らめる少女。
 その様子が、何とも愛らしいと思ってしまった。
 こんな時に……。

「星彩は、私が皇帝の座にふさわしいと思うかい?」

 ここ最近、ずっと考えていたことを問いかけてみた。
 自分でも愚問だと、分かっていながら。
「亡き先帝の後を継がれるのは、劉禅様以外におられません」
 星彩は、きっぱりと答える。
 嘘のつけない少女の言葉が、心から嬉しかった。
「私は……。
 蜀の民に憐れみは施せても、
 民を教え導くことは出来ない。
 それでも、蜀は私を欲していると思うかい?」
 さらに愚問を重ねる。
 訊いても、父は帰ってこない。
 自分がこの役目から逃れることも出来ない。
 それを知っていての、言葉だった。

「はい。
 蜀には王が必要です」

 真っ直ぐな瞳。
 曇りなど、一切許さない澄んだ瞳。
 星のごとく煌きを持ち、花のごとき彩りを持つ。
 そんな少女の言葉は、虚勢でも何でもなかった。
 真実、そのものだった。
「すまなかった。
 少し、不安になっていたみたいだ」
 ふっと声を漏らして、そっと笑う。
 一緒に、星彩も口元を緩めた。
「始めは、誰でも不安なものです」
 劉禅は、その言葉に驚きを隠せなかった。
「星彩でも、そんな時があるのかい?」
 目を見開いたまま問う。
「はい。
 初めての戦は、やはり不安なものでした」
 表情をあまり変えず、星彩は答えた。
 ああ、と声を上げて劉禅は楽しそうに笑い声を上げた。
「星彩にも、そんなことがあったんだね」

 彼女だって人間。
 誰しも、不安は抱えるもの。
 それを忘れていた自分を、劉禅は笑った。
「ああ、星彩のおかげで……。
 私も、やっと……泣け、そうだ……」
 気が緩んだのか、目の端には涙が溢れ始めた。
「私も星彩も、人間……なんだね……」
 視界がぼやける中。
 星彩がそっと近づいて、私を抱きしめてくれた。
 優しく、まるで母の腕の中にいる感じがした。
 温かい。
 柔らかな温もりの中、劉禅はひとしきり涙を流した。

 蜀は、これからが始まり。
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