笑
君の笑顔を見ていたくて。君の声が聴きたくて。
今日も私はここに来る。
君は、気づいているのかな?
「友雅殿は……。
どうして、こちらにいらっしゃるのですか?」
頭上から聴こえたのは、愛しい人の声だった。
土御門の一輪の花。
名を、藤と言う末の姫。
少し憮然とした表情で、少女はそこに立っていた。
「君に逢いに来てはいけないかい?」
柱に行儀悪く寄りかかっていた男は、体を起こした。
「またご冗談を。
この邸に、通いの女房でもいらっしゃるのですか?」
男からすれば、まだ幼い少女。
神子に仕える役目を終えてから、数年。
小袿姿の少女は、美しく成長していた。
「これはこれは。
心外だね、星の姫」
懐にあった扇を、おもむろに取り出す。
ぱたぱたと、少しずつ開いていく。
怒った表情も愛らしい。
友雅は、広げた扇で口元を隠した。
「それ以外考えられません」
じっとこちらを睨んだまま、藤姫は刺々しい声を上げた。
「酷い言われようだ」
にこりと笑ってみせても、少女は表情を変えない。
今日は、相当怒っているようだ。
「日頃の行いが悪いからですわ」
「では、どうしたら真実だと思ってくれるのかな?」
友雅は問うた。
実際、ここ最近そればかり考えていた。
目の前の、姫君にどう言えば信じてもらえるか。
これは中々の難問だった。
「ご自分でお考えになってください」
案の定、藤姫はそう答えた。
もう何度もこれの繰り返し。
嫌われてはいない。
好かれてはいると思う。
けれど、この先が分からない。
本気で人を愛したことなど、初めてのことだったから。
「何を言っても信じてはくれないだろう?」
「ええ」
相変わらず、少女はぴしゃりと言う。
「では、今宵の晩にでも君を訪ねればいいのかな?」
冗談めかして、友雅が艶っぽく囁いてみる。
「ど、どうしてそうなるのですか!」
反応は変わらない。
今日もこれで終わるのだろうか?
「おやおや。
どうやら怒らせてしまったようだ」
パチンと、扇を閉じる。
「また逃げるのですか!」
その声に、友雅は目を見開いた。
「……では、どうすればいい?」
少女の瞳を見つめる。
ほんの少し潤んで見えたのは、気のせいだろうか?
友雅は、優しく尋ねた。
「それは……」
俯き、藤姫はそこで言葉を切った。
「百夜通い続けたら……信じてくれるかい?」
男はそっと笑いかける。
少女も、ゆったりと顔を上げた。
その瞳は、星のように煌いていた。
「嵐の日でも、欠かさず来られるのですか?」
「勿論。
矢の雨が降っても君に逢いに来るよ」
「雷に打たれてしまっても、私は悲しみませんわ」
「それでも構わないよ」
「百夜通っても、お応えしないかもしれませんよ?」
「絶対に頷かせてみせるよ」
「本当に……私でよろしいのですか?」
「私は君がいいのだよ」
藤姫の言葉に、友雅は間髪を入れずに答えた。
心からの言葉だから、特に難しいことではなかった。
「……ご勝手に、してくださいませ」
頬を染め、藤姫が呟いた。
その声を聴いて、友雅はにこりと笑う。
「では毎夜、君の元に歌と花を届けよう。
百と言わず、千の言葉を捧げよう」
立ち上がり、橘少将は藤姫の手を取った。
「!?」
甲に軽く唇を押し当て、友雅は口元を歪めた。
「では、愛しの姫君」
今にも泣き出しそうな瞳を見上げ、公達はその場を立ち去っていった。
春の風吹く昼下がり。
橘少将は、機嫌よく笑っていた。