海
ねぇゆずるくん、海って広くって大きいね!どこからか、歌が聞こえてきた。
この世界で聞けるはずのない、懐かしい音階。
微かな声は、どこか寂し気な雰囲気を纏っている。
気になって、譲はその声を追って行った。
「懐かしいですね、先輩」
縁側にいた人物に、声をかける。
やはり、歌っていたのは彼女だった。
俺たちの世界の人間しか知らない、童謡。
幼い頃に習った、単純な歌だった。
「譲くん!」
振り返り様に、髪が風になびく。
その様子がとても綺麗だった。
「海の歌、ですか?」
微かに笑って、譲は訊いた。
「うん。
何となく思い出したから」
にこりと笑う幼なじみ。
悲しいことに、心からは笑っていなかった。
「小さい頃、よく歌ってましたよね」
まだ、習いたての頃。
望美はその歌をよく口ずさんでいた。
海が近かったせいもあってか、兄さんと三人。
よく遊びに行っては、歌っていた。
海の前で、海の歌を。
「この歌、すごく好きだったんだ」
寂しそうに、望美が言った。
言葉の不自然さに、譲は思わず問いかけた。
「今は、好きじゃないんですか?」
首を傾げる。
歌っていたのだから、嫌いではないと思うのだが……。
「分からない。
でも……。
一つ分かることは、海は怖いものでもあるってことかな」
言った表情が、とても辛そうだった。
彼女の瞳の奥に映る海は、どんなに恐ろしいものだったのだろう?
思わず、譲は唇をかんだ。
訊かなければ良かった。
一瞬、そう後悔した。
「そう、ですね」
それ以上、言葉が見つからない。
沈黙が二人の間に流れる。
葉擦れの音だけが、耳に入ってくる。
「譲くん……」
先に沈黙を破ったのは、彼女だった。
「何ですか?」
一つ上の少女がこちらを見つめる。
真剣な眼差しに、射抜かれてしまいそうになる。
「お願いだから、死なないでね」
懸命な祈りが、形になる。
それに、自分も答えた。
「ええ。
俺も、先輩と一緒に生きたいですから」
にこりと笑うと、彼女は目を丸くした。
少し、驚いていた。
「本当に?」
確認するように、問われる。
それに、もう一度言葉を返す。
「こんなことで嘘を言って、どうするんですか?」
確かな決意を伝える。
もう、迷わない。
譲は胸の内にある、強い意思を再確認する。
決して、先輩を悲しませたりしない。
彼女だけを助けるのではなく、自分も助かる。
それが、彼女の願いなら。
「そうだよね、ごめんね」
無理に笑った彼女を見て、譲はうつむいた。
「……先輩こそ」
毎夜見る夢のことを思い出し、ふと呟く。
「え?」
訊き返された。
が、それ以上は言葉にしなかった。
今更なことだから。
「いえ、先輩も充分に気をつけてくださいね」
顔を上げて、真っ直ぐに彼女を見つめる。
強い意思で煌く瞳と、ぶつかった。
「うん!
そして、一緒に帰ろうね」
心から嬉しそうに、笑う先輩。
自分が見たかった、最上の笑顔。
「はい」
譲は、しっかりと頷いた。
そうだね!
優しくって、大きくて、広くって。
海って、まるで望美ちゃんみたいだね!