痛
この痛みを、あなたには知ってほしくない。「痛そう、だね」
辛辣な表情で、少女が言った。
三草山の戦いの後。
京に帰る道なりの途中、望美はぽつりと呟いた。
「大丈夫ですよ、これくらい。
先輩こそ、怪我はありませんね?」
譲は、もう一度彼女に確認した。
「うん」
寂しそうに、少女は頷く。
「春日先輩?」
不思議に思って、譲は問いかけた。
「あ、ごめん」
「どうして謝るんですか?」
謝ることなんて、必要ない。
それなのに、目の前の少女は謝罪した。
彼女の優しさが、きっとそうさせたのだろう。
譲は目を細めた。
「だって、私のせいでこんな怪我……」
「そんな顔をしないでください。
俺があなたを、勝手にかばったんです」
泣かないで欲しい。
笑って欲しい。
だから、譲は言った。
「譲くんはどうして……。
どうして私を助けてくれるの?」
うつむきながらも、彼女がはっきりと声を発した。
「……」
うまい答えを用意できない。
だから、譲は黙った。
「宇治川の時もそうだった。
どうして、どうしてこんな無茶……」
張り裂けそうな声が、胸に響く。
それは、自分の心に微かな痛みを与えた。
「どうして、でしょうね」
ふいに出た言葉は、そんなものだった。
分かっているようで、分からない。
なぜ、自分がこの人をかばえるのか。
「譲くん?」
「気がつくと、先輩の前にいたりするんです。
勝手に体が動いてしまう」
真実だった。
死ぬのは怖い。
怪我をするのも怖い。
そのはずなのに、いざ彼女が危険に遭いそうになると、体が動く。
そして、いつの間にか俺は怪我をしている。
「そんなの、駄目だよ」
幼なじみの少女が、懸命に首を横に振る。
「俺はこれでも男ですよ?
少しくらい頼りにしてくれませんか?」
彼女の瞳は、すでに潤んでいる。
涙を、堪えている。
その事実が、また胸に痛みを覚えさせる。
「こんな、こんなことで頼りにしたくなんかない!
お願いだから、自分を大切にしてよ!!」
「せん、ぱい……?」
少女が、大粒の涙を零しながら叫んだ。
その姿に、一瞬戸惑った。
泣かせてしまった。
傷付けたくは、なかったのに……。
「ご、ごめん」
「いえ、俺こそすみません。
先輩を悲しませるつもりはないんです。
それなのに、こんな顔をさせてしまった」
そっと、彼女の頬の涙を拭った。
袖越しに伝わる、温もりに胸が高鳴るのが分かった。
「ゆずる、くん?」
自分を見上げる澄んだ瞳。
それがあまりにも無邪気で、綺麗で。
ただ、笑ってみせることしか出来なかった。
「俺は先輩のことが大切なんです。
だから、守らせてくれませんか?」
嘘でもなく、真実でもない。
ただの事実を伝える。
それぐらいは、言っても平気だろう。
そう、思ったから。
「私だって、譲くんが大切だよ!」
「ええ、分かってます」
知っている。
彼女が、自分を大切に思ってくれていること。
ちゃんと、こっちを見ていてくれていること。
俺は、幼なじみとして大切に思われていること……。
「なら、私にも守らせて!
私だって、守られてばかりいるのは嫌だよ!」
「そんな……!」
それじゃいけない。
彼女は、守るべき存在。
八葉としてだけでなく、一人の男として。
何より、大好きな唯一の存在だから。
「譲くんが嫌だって言っても、私はやる!
譲くんが勝手なことをするなら私だってやるんだから!」
見上げてくる瞳には、強い意志が宿っていた。
もう、ここまで来たら何を言っても無駄。
長い間一緒にいて、譲が知った彼女の一つ。
昔から変わらない、魅力の一つ。
「……まったく、仕方のない人だな」
一つ、溜息をつく。
その瞬間、少女の表情が一変した。
花がほころぶ瞬間のような、華やかな笑顔。
ずっと見ていたくなるような、綺麗な笑み。
それに、譲はドキッとした。
「譲くんだって」
声が少し柔らかくなる。
「そう、ですね。
じゃあ、こうしませんか?
お互いがお互いを守る。
それじゃあ、駄目ですか?」
これなら、俺が守っても大丈夫だ。
そっと、胸の内で呟いた。
「分かった……。
でも、絶対に無茶なことはしないでね!」
出来ないと分かっている。
そんなこと、無理に決まっている。
知っていたけど、譲は笑った。
「はい」
先輩を、悲しませたくない。
先輩に、この痛みを知ってほしくない。
だから、譲はしっかりと頷いた。