底
底知れぬあなたの魅力を、全て知りたいと思うんです。回廊を一人、少年が渡る。
いくつもの竹簡を抱えて。
春らしい雰囲気が邸中に広がっている。
花がほころび、鳥が楽しげに歌う。
穏やかな陽射しに、少年は心ごと包まれる感覚を覚えた。
一瞬、ふわりと風が起こった。
優しいそれに、陸遜は頬を緩ませた。
「陸遜!」
思ったとおりの人物に、名を呼ばれた。
振り返り、その姿を確認する。
春の野をそのまま映したような、暖かな瞳。
底抜けに明るい笑顔で、少女は存在していた。
「姫様」
少女に会えたことが嬉しかった。
陸遜も幸せそうに笑った。
「やっぱり陸遜は驚かないのね」
ちょっと拗ねた表情で、尚香が言う。
「姫様の気配は、すぐに分かるんです」
少年は真実を口にした。
「本当、どうしてかしら。
他の人は驚いてくれるのよ?」
不思議そうに、首を傾げる。
こちらの言った意味など、知る由もないのだろう。
陸遜は苦笑した。
陽の光の下、尚香は一層輝いて見えた。
キラキラと煌き、その魅力を余すことなく表現している。
笑顔は、とびきりに綺麗で。
拗ねた顔もまた、可愛らしくて。
どこまでも彼女は、美しい。
底などきっと、ありえない。
だからこそ、惹かれていくのだろう。
尚香という名の、尊い存在に。
「仕方ありませんよ」
少年はぽつりと呟いた。
「何か言った、陸遜?」
無邪気に、少女が問う。
「いいえ、何も言ってませんよ」
やっぱり陸遜は笑って言った。
「……何だか、今日は嬉しそうですね」
話題を変えたくて、少年は切り出した。
「そうかしら?」
首を傾げて、尚香は答える。
今日はどこか、いつもより機嫌がいい。
何となく思ったことだった。
どうやら、話を逸らすにはちょうど良かったらしい。
「ええ、とっても」
ほっとしながらも、もう一度畳み掛ける。
少女は、うーんと声を上げて何か考えているようだった。
「じゃあきっと、陸遜に会えたからね!」
弾けるような声で、尚香はとんでもないことを言った。
本当に嬉しそうな笑顔で。
「!?」
持っていた竹簡を、陸遜は思わずとり落とした。
カランカラン、と大きな音が耳に響く。
「大丈夫、陸遜?」
「あ、すみません」
落とした竹簡を、慌てて拾う。
少女も、それを手伝ってくれた。
顔が熱いのは、きっと陽射しのせいだ。
陸遜はそう、自分に言い聞かせた。
「あ、兄様に呼ばれてたんだったわ。
じゃあね、陸遜!」
「は、はい」
ぺこりと頭を下げて、少年は少女を見送った。
東風のように、慌しく去って行く後ろ姿。
それを見て、陸遜は小さく笑った。
「全く、敵いませんね」
少女には、到底敵わない。
そう思った陸遜だった。