翅(羽)
緑生い茂る院子の中、羽が欲しいと言ったあなたはとても綺麗だった。「この背に、羽があればいいのに」
青い空を見上げた少女は、ぽつりと呟いた。
隣にいた少年は、不思議に思って首を傾げた。
「姫様?」
呼ぶと、少女がこちらを振り返った。
キラキラと緑の瞳を煌かせて、尚香は笑っていた。
「そうしたら、どこまでだって飛んでいけるでしょう?」
嬉しそうに言った声が、とても澄んでいる。
陸遜は思った。
「そうですね」
つられて、口元が緩む。
尚武の国の姫君は、どこまでも純粋で綺麗だった。
「自由に空を飛んでみたい。
そう思うのは変かしら?」
小首を傾げ問う姿は、とても愛嬌があった。
彼女が、呉の誰からも慕われている理由を目の当たりにする。
嬉しいような、嬉しくないような。
中途半端な思いを抱きながらも、陸遜は笑って答える術しか持っていなかった。
「いえ、あなたらしいです」
自由な家柄の少女らしい発想。
少年は思ったままを告げた。
「答えになってないわ」
少し頬を膨らませ、尚香が言う。
くるくると変わる表情を見ているのは、陸遜にとって幸せな時間だった。
思いを寄せる少女の全てを、見てみたいと思っていたから。
「では、とても素晴らしいお考えかと」
茶化して言えば、尚香は微かに眉を吊り上げて
「陸遜は、そうは思わない?」
と訊いてきた。
「え?」
「自由に、どこかに行ってみたいって」
意志のこもった、真っ直ぐな視線と出会う。
一瞬、鼓動が跳ねた。
「そうですね、私の場合……」
陸遜は考える素振りをして、視線を外した。
答えは出ていたけれど。
「どんなに自由の身になっても、必ずあなたの元に帰ってきてしまうでしょうから。
あまり意味はないですね」
ふと、少女を見つめ返す。
羽でも、翅でも、翼でも。
あるなら尚更、彼女の傍を離れたくはない。
どんな時でも隣にいて、守り通したい。
それだけが、今の自分の願いだから。
「陸遜て……すごく恥ずかしいわ」
頬を染めて、尚香はささやいた。
「そうですか?」
当然のことを話しただけ、と言おうとして陸遜はそれを飲み込んだ。
何となく、言わない方がいいような気がしたから。
「ええ、とっても。
まぁ、でもそうね。
私もきっとここに帰って来ちゃう気がするわ」
いつものように、にっこりと少女が笑う。
目が細められた表情は、本当に可愛らしかった。
「そうでなければ困ります」
ぼそっと、少年は呟く。
「ん?」
「いえ、何でもありません」
陸遜は慌てて否定した。
まだ彼女には、ここにいてもらわなくては困る。
せめてこの想いを、告げる時までは。
もう少し、もう少し。
自分がもっと立派になって、少女につりあう漢になるまでは。
「変な陸遜」
全快の笑顔を見せた尚香に、陸遜の心臓は大きく跳ね上がった。
もしもこの背に羽があったなら、私はいつでも傍にいましょう。
あなたがずっと、笑っていられるように。