髪
「シルフィスって髪長いよね〜」「そう、ですか?」
「うん。
アタシの世界だと結構珍しいかも。
いないって訳じゃないんだけどさ。
邪魔だって思ったことない?」
ある日の午後。
珍しく、ディアーナ抜きで二人は買い物に出かけていた。
本当は彼女も来るはずだったのだが、急な用事ができたらしい。
二人はおしゃべりしながら、大通りを歩いていた。
「あることにはありますが……」
「ふーん。
で、切らないの?」
「ええ。
絶対に切りません」
シルフィスはキッパリと言い切った。
「どうして?
あ、もしかして隊長さんの趣味とか」
「ち、違います!」
「あやし〜なぁ。
今どもった!」
「そんなことありません!」
「ふふーん。
このメイさまには、隠し事はできないぞ!」
「メイ!」
「あはははは〜」
逃げ回るメイを、シルフィスは荷物片手に追いかけた。
シルフィスが髪を切らない理由は、つい先日できたばかりだった。
***
その日も、レオニスは夜遅くまで仕事をしていた。
まだ少女に分化したばかりの元騎士見習いは、ティーセットを持って執務室へと向かう。
春とは言っても、夜の風は少し冷たい。
少女は冷めないうちにと思い、先を急いだ。
「隊長、お茶をお持ちしました」
「シルフィスか、入れ」
扉をノックして声をかけると、中からすぐに声が返ってきた。
「はい」
いつもと変わらないことなのに、何となく嬉しかった。
少女は、はにかみながら扉を開ける。
「失礼します」
「すまない。
そこに置いておいてくれ」
顔も上げず、レオニスは言う。
机には山済みの書類。
いつもながら忙しそうだ。
シルフィスはそれでも、微笑んだ。
「はい、隊長」
疲れているこの人に、ほんの少し甘い紅茶を淹れる。
それは自分が、唯一彼に出来ること。
一緒にいられることが少なくてもいい。
こうして役に立てることがあるだけ良い。
何も出来なかった、見習いの頃よりは。
ソーサーを机に置く。
ハチミツの香りがほのかに漂う。
髪が一房、肩からこぼれる。
「……長いな」
「え?」
「いや、髪が長いな」
青い瞳と視線がぶつかった。
一瞬、心臓が跳ね上がる。
もしかして、気を悪くしてしまったかもしれない。
心の中に、不安が広がっていく。
「ご不快、でしたか?
それでしたらすぐにでも切りに――」
「いい」
「え?」
予想とは違う反応にシルフィスは驚きを隠せなかった。
思わず声を上げてしまう。
「どうにも私は言葉が足りないらしい」
大きなため息をついて、レオニスは真っ直ぐにこちらを見つめた。
優しい眼差しなのに、胸が苦しい。
嬉しいはずなのに、切なくなる。
持っていたトレーをぎゅっと握りしめて、シルフィスは身構える。
「いいか、髪は切るな」
「は、はい!」
がちがちに緊張してしまって、うまく返事すらできない。
声が上擦って恥ずかしい。
「……お前には、長い方が似合う」
ぼそっとレオニスが呟いた。
意味をとりかねて、思わず首を傾げてしまった。
「えっ?」
「もう、言わんぞ」
今度は横を向いて、レオニスは言った。
「あ、えっと……はい」
見習いの頃のくせか、シルフィスは元気良く返事をした。
それは、レオニスの言葉の意味に気がつく、五秒前のできごとだった。