動
運命の輪は動き出す。誰も気づかないうちに、カラカラと。
「ディアーナ、これは一体どういうことだい?」
セイリオスの執務室。
部屋の主は、珍しく声を荒げていた。
すぐ目の前に座る少女に向かって。
「別にわたくし、悪いことなんてしていませんわ」
薔薇色の髪の少女ディアーナも、臆することなく発言する。
気丈にも、その眼差しはセイリオスを睨んでいた。
「そういうことを言っているんじゃない」
苛立ちげに、青年は声を尖らせる。
頑固な妹だと知っていたが、ここまでとは思ってもいなかった。
「ではどういうことですの?」
それに対抗するかのように、少女も声の調子を強くする。
お互い、譲歩する気はなさそうに見えた。
「理由を聞かせてくれないかい。
どうしてレオニスのところに行った?」
溜息混じりに少女に問う。
セイリオスは、あの男の過去を知っていた。
それゆえに、レオニスという男を近づけたくなかった。
愛しい妹がゆえに。
「……剣を、習いたかったんですの」
ぽつり、と呟かれた言葉は以外なものだった。
「お前には必要ないだろう」
一瞬目を丸くするが、セイリオスはすぐに答えた。
王女である少女には、そんなものは必要なかった。
護衛も常にいるし、騎士を取ることも出来る。
身を守る術を、自ら習うことはない。
「ありますわ!」
「いつ使うんだい?
それともお前は王女という身分を捨てて、騎士にでもなるつもりかい?」
なおも反発する妹に、セイリオスは畳みかける。
ディアーナが、なぜここまで固執するのか分からなかった。
だから、余計に苛立ちは積もっていく。
「それは……」
「では必要などないだろう」
思わず、深い溜息がもれる。
「……どうしても、習いたかったんですの」
蚊の鳴くような声が聴こえる。
それでも、セイリオスは容赦しなかった。
「ディアーナ」
声のトーンを低くして、名を呼ぶ。
圧するように、呟いてみせる。
「お役に、立ちたかったんですの。
お兄様の……お兄様のお役に」
俯いたまま、少女が声を絞り出す。
ぐすっと言う声に、セイリオスは驚いた。
涙を堪えている妹の声に。
「そう思うことは、いけないことですの?
お兄様の、お役に立ちたいと、思ってはいけませんの?」
こちらを見上げた目の端には、微かに透明な雫がたまっている。
紫水晶のような澄んだ瞳が、今は深みを増している。
「……すまなかった、ディアーナ」
声を失いそうになった。
あまりにも必死なその姿に。
セイリオスは謝罪の言葉を口にすると、ディアーナと目線の高さを合わせた。
「お前がそんな風に考えていたとは、思わなかったよ」
本心を口にする。
嬉しいという気持ちと同時に、胸に痛みが走った。
繊細な彼女を傷つけたという事実が、酷く悔やまれた。
「お兄様は、やっぱりわたくしが邪魔ですの?」
潤ませた瞳が問いかける。
あまりに無垢で、真っ直ぐな言葉。
セイリオスは、優しく首を横に振った。
「そんなことはないよ。
どうしてそう思うんだい?」
幼い頃のように、髪を撫でてやる。
仄かに甘い香りがした。
「だって……お兄様は……。
わたくしが王都に来ても、全然かまってくれなくて」
ひっく、としゃくり上げる声。
たまっていた雫が、一筋落ちる。
「すまないと思っている」
なす術もなく、青年はただただ髪を撫でる。
こんなにも、少女は細やかな心を持っている。
それに気がつかず、随分と勝手をしてしまった。
悔やんでも仕方がなかったが、セイリオスは自分を責めることしかできなかった。
「お忙しいのは分かってますわ。
だから、だから……剣術を覚えれば、お役に立てるって……。
いつでも傍にいられると思ったんですの」
純粋な気持ちが嬉しかった。
向けられる愛情は無償のもので、清らかなものだった。
「ディアーナ」
今度は、優しく名を呼ぶ。
大切な宝物を、そっとしまう時のように。
「わたくし、お兄様に迷惑ばかりかけているから。
だから、少しでもお役に立ちたいんですの」
一つ、また一つと落ちていく雫を、セイリオスは指でぬぐった。
愛おしいという感情が、また一つ増えていく。
「その気持ちだけで充分だよ」
心からの言葉を、少女に伝える。
何よりも、この気持ちが救いだった。
本当の兄だと思って慕ってくれる、少女の思いが。
「でも」
反論しようとした少女の唇に、セイリオスはそっと指を当てる。
「これ以上は言ってはいけないよ。
エーベの神も、望まない」
にこりと笑ってみせると、少女は大人しく頷いた。
「お茶でも一緒にどうだい、ディアーナ?
美味しい焼き菓子が手に入ったんだ」
すっと立ち上がり、青年は話しかける。
「はいですわ、お兄様!」
満面の笑みを浮かべた少女に、セイリオスは苦笑を禁じえなかった。
カラカラと、回りだす。
運命の輪が確実に。
誰にも止めることが出来ない、運命の輪が。