夢
わたくしの夢は、お兄さまのお嫁さんなんですの!寒気を感じて、青年は夢から覚醒した。
「ゆめ、か」
ふと呟けば、声が風に運ばれる。
ちらりと窓を見れば、微かに開いている。
どうやらうたた寝をしてしまったらしい。
一つ息をつくと立ち上がり、窓を閉める。
パタンという音が、胸に響く。
紫の瞳を持つ青年は、自嘲気味な笑みを浮かべた。
「懐かしい夢だな」
誰もいないことをいいことに、ぽつりと声をもらす。
夢を見た。
幼い頃の、繰り返された日常の夢を。
何も知らず、純粋に幸せを感じていた日々の一片。
小さな妹がよく口にしていた言葉が、未だ耳に残っている。
結婚という意味も、恋愛という意味も知らなかった幼い日。
まだ、運命の王子様とやらに出会う前のことだった。
薔薇色の髪の乙女は、幾度も言った。
『お兄様のお嫁さんになりたい』、と。
「まったく、困った妹だ」
言ってから、セイリオスは違和感を覚える。
妹という言葉が、やけに異質な感じがした。
「……あれは、妹だ」
自分に言い聞かせるために、青年は言う。
ささやきというには、強すぎて。
叫ぶというには、弱すぎる声で。
「お兄様、いらっしゃいますか?」
控えめなノックの音と共に、愛らしい声が耳に届いた。
「ああ、いるよ。
入っておいで、ディアーナ」
悟られないように、いつもと変わらぬ風に装う。
ややして、扉は開かれた。
鮮やかな髪の色と、落ち着いた瞳の色を持つ少女。
誰よりも愛おしく、可愛らしい妹が大きな瞳を輝かせて入ってきた。
「外を見ていらしたんですの?」
「ああ。少し目を休ませようと思ってね」
「それでしたら、お茶をお淹れしますわ」
エーベの女神の加護を受けた少女が微笑む。
あの頃より、随分と大人になった。
ふと、そんなことを考えてしまう。
「いいよディアーナ。
それより、何か用があったのではないのかい?」
嬉しい申し出だったけれど、青年は断った。
少女がここに来るのは、理由がある。
それを知っていたから。
「そうでしたわ!
あの……城下に行きたいんですの」
「私に断らなくても、いつも勝手に行ってるじゃないか」
「うっ。そ、それはそうですけど……。
今度は違うんですの。
その、メイとシルフィスと一緒にお出かけしますの。
ですから、ちゃんとお許しをいただこうと思って」
わずかに上目遣いで『お願い』をされる。
少女は確かに色香を纏っていた。
純粋で真っ白な少女を染め上げるのは、あの『運命の王子様』なのか。
それとも、どこの誰とも知らない他国の貴族か。
どちらにしろ、その男はこの上ない幸せを手に入れる。
遠くない未来を思って、青年はまた溜息をついた。
「ディアーナは自分の立場が分かっているかい?」
「はい、ですの」
誰が見ても分かるほど、愛らしい花はしおらしくなる。
「では私が何と言うか、分かるかな」
紫水晶よりも煌らかな瞳を見つめ、諭すように言葉を告げる。
少女は一層しゅんと項垂れて、表情を隠してしまう。
「……ごめんなさいですの。
やっぱり諦めますわ」
泣きそうな声は、反省の証。
セイリオスは口元に笑みをはく。
「行ってきなさい」
「お兄様!?」
萎れかけていた花は、ぱっと表情を変える。
大きな瞳をより大きく見開いて、輝かせる。
思ったとおりの反応に、セイリオスは苦笑する。
「その代わり、護衛をつけさせてもらうよ。
お前にもしものことがあってはいけないからね」
結局、自分は妹に甘い。
例え血は繋がっていなくとも。
――別の感情が生まれようとしていても。
「はい、ありがとうございますですの!
大好きですわ、お兄様!」
慣れたはずの言葉が、胸にちくりと刺さる。
甘美な痛みを感じたが、セイリオスは気づかぬ振りをする。
「ああ、私も大切に思っているよ」
青年は無理に微笑んでみせた。
夢は時に残酷で。
時に優しく、甘い時間を残していく。
青年はエーベに祈る。
少女の真の夢が叶うようにと。