夢の彼方

 静寂の時間。
 聞こえてくるのは、虫の声だけ。
 今は闇が支配する時。
 人は皆寝静まり、夜明けを待つ。
「ふう……」
 甄姫は寝台に横たわりながら溜息をついた。
 もちろん、愛しい人の傍らで。
 なんとなく目が冴えて、眠れない。
 先程から豪奢な寝台の上で、仕方なく寝返りを繰り返している。
 嫌、本当は分かっている。
 眠れない理由など当の昔に。
 ただ、それを解決するすべがないだけ。

 この方と、いつまで一緒にいられるのか? 

 暗い考えが巡る。
 言い表せないほどの孤独が押し寄せる。
 甄姫は掛け布を握った。
 不安に支配されないように。

 ふいに髪を引かれた気がして振り返った。
「我が君?」
 すぐ横の青年を呼ぶ。
 思った通り、彼の手は自分の髪を絡め取っていた。
「甄……」
 普段よりも優しい眼差しと出会う。
 声はいつになく頼りないものだった。
 まだ半分眠っているのだろう。
「どうかしまして?」
 まるで子が母の裳裾を引くような甘えた行動。
 甄姫はにこりと微笑んだ。

「愛している」

 甄姫は一瞬目を見開いた。
 唐突に放たれた言葉。
 今の自分が一番欲していたもの。
 それを、与えられた気がしたから。
「ずいぶんと甘やかなお言葉ですわね」 
 甄姫は微笑みながら言葉を紡ぐ。
「たまにはよかろう」
 彼もまた、微笑む。
「嬉しいですわ」
 微笑んだまま言う。
 心底そう思っているから。
「そうか、それは良かった」
 そう言うと、曹丕は瞼を閉じた。
 しばらくすると、寝息が聞こえてくる。
 健やかなその姿はとても微笑ましいものだった。
 甄姫は夫の頬にそっと触れる。
「私も、ですわ」
 温もりが指を伝わる。
 この人の声は、夢心地。
 まるで酒に酔ったようにさえ感じる。
 聴けば聴くほど愛おしさが増していく。

 けれど、時たま思ってしまう。
 この人が思い描く未来に私は存在しているのだろうか?と。
 若く才気溢れた人だから、余計に怖い。
 捨てられたくはない。
 できることなら、この命続くまで傍に控えたい。
 妻として、将として。
 贅沢なのかもしれない。
 敗将の妻の私をこうして正妻にまでしてくれ、妾すらいない。
 これ以上望んではいけない。
 思っていても結局そうできない。
 それはきっと、私がこの人を深く愛しているから。
 結局、自分はこの人の一番にはなれないから。
 痛いほど、苦しいほどにそれを知っているから……。
 我が君が真に欲し、愛するものは『天下』ただ一つだから。
 私の想いは永遠に片思い。
 この人が皇帝の座を降りるまで。
 
 
 言葉は幾らでも偽れるもの。
 そう知っているから、決して訊くことはしない。
 あの方は私の望む言葉を言ってしまうだろうから。
 きっと、私の心ごと見えてしまっているのだろう。


『あなたの未来に私はいますか?』


 甄姫は眠る夫にそっと囁いた。

相互リンク記念として、エイビさまに捧げたものv
リクは「甄姫が片思いっぽいお話」で。

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