問えぬ真意

 まだ、この曹魏に来てすぐの頃だった。
 夫である曹子桓が、私に問うたことがあった。

「甄よ、そなたは何を望む?」

 抑揚のない声が訊く。
 閨の中だったか、戦場であったか。
 どこで訊かれたのか。

 ただ、このやり取りだけを覚えている。

「我が君が覇王となって、この天下を治めることを」

 銀青色の瞳を真っ直ぐに見つめ、そう答えた。
「本心か?」
 眉一つ動かさず、彼が言った。
「信じていただけなくても、構いませんわ」
 甄姫は笑みを浮かべる。
「……」
 無言のまま、魏の御曹司は視線を逸らした。


 あれから、どれほどの月日が流れただろうか。
 魏は、曹操から曹丕へと主を代えた。
 間もなく曹丕は皇帝となった。

 曹丕は三つに分かたれた地を一つにまとめた。

 そして、曹魏の長ではなく、この大地の王となった。




「甄」

 ふいに名を呼ばれ、振り仰ぐ。
 東屋の支柱に寄りかかる人物の姿を認めると、甄姫はにこりと微笑んだ。

「我が君」

 この世に生きる、何よりも愛しい人。
 それが、自分を呼んでくれたことを心から喜んだ。

「どうなさいましたの?」

 降り注ぐ暖かな陽射し。
 そよと吹く柔らかな風。
 それに揺られ、鮮やかな色を宿した木々が葉擦れの音を創り出す。

「甄に逢いたくなってな」

 何でも無いことのように、皇帝はさらりと言ってのける。
 時たま、目の前の青年は大胆なことを言う。
 それを嬉しいと感じるのも、また事実。
「ふふ、司馬懿殿の困り顔が目に浮かびますわ」
 笑い声が漏れてしまう。
「大丈夫だ。
 仲達にはきちんと承諾を得てきた」
 満足そうに言う夫の姿が、幼子のようで可愛らしいと思ってしまう。
 本人は、言われるのを嫌うであろうが。
「まぁ、そうなんですの?
 では少しばかりご一緒できますのね」
 甄姫は目を細める。
 天下の覇王となってから、この人は前にも増して忙しい日々を送っている。
 当然のことなのだが、少し寂しいと思うこともある。
 自分が望んだことだというのに。

「甄」
 石卓に手をついた彼が、こちらを見つめた。
 朽葉色の長い前髪が、さらりと風にさらわれる。

「そなたは、何を望む?」

 銀とも青とも見える、不思議な色の瞳が寂し気な色を映す。
 以前と同じ問い。

 この人は何を思っている?

「以前に問うた時、そなたは私の天下と答えた」

 淡々と、やはり抑揚のない声。
 あの時と変わらない、夫。

「それが手に入った今、そなたは何を望む?」

 視線が絡まっているはずなのに、そう思えない。
 この人の心が、どこか違うところにあるように思えてならない。
 ひどく、苦しげな表情。
 彼の物言わぬ瞳が、何かを訴えようとしている。
 そう、感じた。

「我が君の心を」

 自分が今、真に望むもの。
 それを音として紡ぎだし、風に乗せた。
 微笑みと共に。

「ふっ。
 望む必要などなかろう?」

 夫の口元が微かに歪む。
 それを見て、甄姫も安堵する。

 愛しい夫の望む答えを導き出せたことに。

「あら、どうしてですの?」
 喉を鳴らして笑う。
 理由を知らない訳ではない。
 ただ、それを彼の口から言って欲しくて駄々をこねただけのこと。
 知ってか知らずか、曹丕は甄姫の手を取った。

「すでにこの手の中にあるから、な」

 言って、男は指先にそっと唇を押し当てた。
作品ページに戻る