すぐ傍に

 どこにも行かないで欲しい。
 この腕の中に、閉じ込めておきたい。
 誰の目にも触れさせたくはない。
 自分のわがままだと分かっている。
 君が望まないのも知っている。
 その背にある翼は、抑圧されることを嫌うだろう。
 けれど、それでも。
 抱きしめて、離したくない。
 ずっと、ずっと傍にいたい。

 俺だけの、アンジェリーク。





「オスカー?」
 誰かに呼ばれた気がして、オスカーはぱっと顔を上げた。
「……陛下!」
 目の前にいた少女の尊称を、男は叫んだ。
 金色の美しい髪と、緑柱石色の澄んだ瞳を持つ少女。
 自らの主であると同時に、恋人の尊称を。
「こんなところでどうしたの?
 お昼寝なんて、珍しいわね」
 太陽のように明るい笑顔と出会う。
 告げられた言葉にオスカーはああ、と声をもらした。
「眠っていたのか……」

 髪をかき上げて、オスカーは呟く。
 いつの間にか寝ていたらしい。
 天使の広場のベンチ。
 陽気な声と、暖かな風が吹く賑やかな場所。
 まばらにいる人々が、こちらをちらちらと見ている。
 少女に対しての視線か、はたまた自分への視線か。
 どちらにしろ、あまりいい気分ではなかった。
 眉を微かに吊り上げ、オスカーは溜息をついた。

「オスカー?」
 不思議そうに問われる。
 覗き込まれた時、金の髪がはらりと肩から落ちる。
 陽の光をまとったそれを、オスカーは綺麗だと思った。
「みっともないところを、お見せいたしました。
 許していただければ良いのですが」
 口元に笑みをはき、少女にウインクしてみせる。
 それで、心の中にある不安をかき消せる訳ではなかった。
 強がりだと分かってはいるものの、オスカーにはそれしか出来なかった。

「許すも何も。
 かわいらしい一面を見られて、楽しかったわ」
 くすくすと笑う恋人の姿は、とても愛らしかった。
 女王候補の頃と何ら変わらない少女は、すとんと腰を下ろした。
 甘い香りが、ふわっとした。
「そうか……」
 オスカーは苦笑してみせる。
 すぐ傍にいる天使の無防備さに。
「どうしたの?
 今日のオスカーはちょっと変よ?」
 首を傾げる仕草すら、可愛らしい。
 愛してやまない少女の名を、オスカーはそっと風にのせた。

「アンジェリーク」

 まだ慣れていないのか、ぴくっと体が跳ねる。
 それに構わず、オスカーは少女の体を引き寄せた。
「お、オスカー!?」
 簡単に捕まった少女は、驚きの声を上げる。
 甘い芳香がより強く香る。
「すまない、しばらくこのままでいさせてくれ」
 温もりが感じられる。
 少しづつ、不安がなくなっていくような気がした。
 はやる鼓動が落ち着いていく。
 心地良い感覚が満ちていく。
 その事実に、オスカーはほっと息をついた。


「……あのね、オスカー」
 服の裾がきゅっと引っ張られる。
 ふと少女を見つめれば、頬はほんのり赤く染まっている。
 見上げる緑柱石色の瞳は、わずかに揺れている。
「何だい?」

 可愛い。
 愛しい。

 そんな感情が、オスカーの腕に力を込めさせる。
 細い肩を一層強く抱く。

「絶対に聖地に帰りましょう。
 ううん、帰るの。
 私たちも、アンジェも、みんなで。
 何があっても、私が絶対に何とかしてみせるから」

 小さな声の中には、強く大きな意志が存在していた。
 女王としての責務。
 それを果たそうとする必死の彼女は、とても魅力的だった。
 オスカーは、口元を上げた。

「私が、じゃないだろう?私たちだ。
 君一人じゃない、俺たちがいる。
 違うか?」

 どんな時も諦めない少女。
 こんなにも細い体で、全てを背負う少女。
 それがオスカーには辛かった。
 早く全てから解放してやりたいと、それだけを祈ってしまう。
 だからだろう、あんなことを考えてしまうのは。
 少女の背にある翼を、傷つけたいと願うのは……。

 そんなことをすれば、少女とて傷を受けることを知りながらも。

「ええ、そうね。
 ありがとう、オスカー」
 嬉しそうに微笑んだ少女を見て、オスカーも笑った。
 結局、自分に出来ることを限られている。
 守護聖として、恋人として。
 傍で見守ってやることぐらいしか、ない。
 だからせめて、こうしていたい。
 彼女を傷つけることをしたくはないから。
 抱きしめて、口付けを交わして。
 すぐ隣にいることを、一人ではないことを確かめたい。
 お互いの体温を感じていられる距離に、いたい。

 心の中で呟きながら、オスカーは優しく力を込めた。



「……ねぇ」
「何だい、お嬢ちゃん?」
 声をかけられて、オスカーは緑柱石色の瞳を覗き込んだ。
「いつまでこの恰好なの?」
 しばらく大人しくしていた少女が、不満そうな声で問う。
「俺が飽きるまでさ」
 悪戯っぽく囁く。
「えっ!」
 頬はやはり赤いまま、少女は驚きの声を上げる。
「冗談だ。
 ほら」

 ふっと笑って、オスカーは少女を解放した。
 その途端、天使はすっと立ち上がる。
 空っぽになった左側が、少しばかり寂しいと感じる。
「そんなに嫌かい、俺の腕の中は?」
「違うの!
 そうじゃなくて、恥ずかしいでしょう?」

 見上げて尋ねれば、恋人は懸命に首を横に振る。
 分かっていてやっているのだから、たちが悪い。
 それでもやってしまうのは、彼女の全てが愛おしいから。

「俺と一緒にいるのが?」
「もう、違うわ。
 こんな、人がたくさんいるところじゃ……」
「じゃあ、二人きりなら構わないんだな」
「オスカー!」
 耐え切れなかったのか、少女が大きな声を出す。
「ははは、お嬢ちゃんは相変わらずだな」
「お嬢ちゃんじゃありません!」

 周りにいた人間がこちらを見ている。
 そのことに気がついていないのだろう。
 頬を真っ赤に染めながら、少女は懸命に訴える。

 もう、周囲の目は気にならなくなっていた。
 過敏になりすぎていた神経は、なりを潜めている。
 安堵しながら、オスカーはとっておきの笑みを浮かべる。

「では、アンジェリーク。
 これから一緒に、お茶でもどうだい?」

 立ち上がって、少女の手を取る。
 甲に唇を押し当てて、オスカーは誘った。

「……はい」

 柔らかな笑みが、少女を包む。
 オスカーは満足そうに笑って、その手にもう一度口付けを落とした。
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