白銀の世界

 12月21日早朝。
 いつものようにカーテンを開けると、そこは真白な世界だった。


 微かな陽の光に照らされて、銀にも似た色の雪がきらめく。
 わずかな風が吹き、木々にのっていた白い華が舞う。
 はらはらと雪が零れて、まるで夢の世界のような光景を作り出す。
 その美しくも儚い光景に、緋色の髪の青年は思わず微苦笑する。
 今、自分のいる場所は常春の地。
 尊き女王陛下が住まう場所、聖地であったから。
 青年はカーテンをサッと閉めると、身支度を始めた。

 ***

「おはようオスカー!」
 私邸の中でも豪奢な客室に、最愛の恋人はいた。
 嬉しそうな笑顔に、オスカーもつられて笑む。
 愛おしい存在は今日も、自分を魅了してやまない。
 はらりと宙を舞っていた雪のようだと、オスカーは思う。
 床に膝をつき、少女にかしずく。
「おはようございます、親愛なる女王陛下。
 お姿を拝見でき、光栄の至りです」
 柔らかな手を取ると、そこにそっと口付けを落とす。
 永遠の忠誠を誓った相手は、くすりと声をもらす。
「相変わらずお上手ね。
 ね、驚いてくれた?」
 楽しそうに問いかける少女を、オスカーは見つめる。
 
「ええ、それはもう。
 雪といい、陛下といい。
 嬉しい誤算ですよ」
「良かった、頑張ったかいがあったわ!」
 立ち上がり、楽しそうに笑う少女をソファへと導く。
 聖地は一年を通して常春の地だ。
 季節を持たない地に、雪が降ることはない。
 オスカーの故郷のように、冬という季節が存在しないのだから。
 聖地に雪が降る理由は、二つ。
 陛下の身に何かが起きた時。
 あるいは、陛下が自ら何かをした時。
 だけである。
 だから朝、オスカーは苦笑を禁じえなかったのだ。
「失礼いたします」
 使用人が温かい紅茶と、茶菓子を運んでくる。
 目が覚めるようなアールグレイの香りと。
 焼き菓子のバターと蜂蜜の温かな香りが、部屋を満たす。
 銀のトレイから、ティーカップとマフィンをのせた皿を、静かにテーブルに移す。
 鮮やかな色の花が描かれた皿が、白磁のティーカップを引き立てる。
 使用人は、軽い会釈と共に部屋から立ち去る。
 少女は目の前に出されたマフィンと紅茶に、頬を上気させる。
 瞳は輝きを増し、嬉しそうに手を伸ばした。
 今この瞬間。
 ほんの少しだが、茶菓子たちに嫉妬してしまう。
 彼女を喜ばせるのは、自分だけで充分だというのに。
「それで、今日はどうしたんだ?」
 少女の向かい側に座り、オスカーは尋ねる。
 雪を降らせて、朝一番に私邸にやってきた理由を。
「……あのね、全然思いつかなかったの」
「思いつかなかった?」
 唐突な言葉に、オスカーは思わず問い返してしまう。
 紅茶を一口飲んでから、少女は話し始める。
「本当はね、色々とプレゼントを考えたのよ。
 でも、全然思いつかなくて」
 少女はカップをソーサに戻す。
 カチャリ、と金属のかち合う音がする。
「だから」
 そこまで言われて、初めて気がついた。
 今日が何の日なのか。
 どうして彼女が今、ここにいるのか。
 オスカーは前に置かれた紅茶に口をつける。
 アールグレイの香りが口の中に広がる。
 高鳴る鼓動を沈めてくれればと、オスカーは願ってしまう。
 嬉しいという感情を、まだ出す訳にはいかない。
「雪は嫌い?」
 緑柱石色の瞳が揺れる。
 不安だと、全身が訴える。
 オスカーの瞳には、それが愛らしく映る。
 『愛おしい』と心の底から思う。
「いいや、君がくれるものならどんな物でも嬉しいさ」
 フッと口元を歪めて笑みをはく。
 本心を伝えると、少女はパッと表情を明るくする。

「お誕生日おめでとう、オスカー」

 満面の笑みが、音になる。
 生まれてきてくれてありがとう。
 今ここにいてくれてありがとう。
 感謝にも聞こえる言葉に、オスカーは笑みを深くする。
 おめでとうが、こんなに心地良い言葉だということを初めて知った。
「相変わらずだな、お嬢ちゃんは」
 オスカーは大げさにため息をもらす。
 彼女がまだ女王候補だった頃から。
 今も変わらず、自分は少女に敵わないことに気づかされる。
「たまにはお嬢ちゃんも良いわね」
 女王の顔ではなく、あの頃と変わらない表情を見せる。
 ふいに発した言葉に、ここまで反応してくれるとは思わなかった。
「では今度の日の曜日には、たくさん呼んで差し上げましょうか?」
「いっぱいじゃ、ありがたみがなくなっちゃうわ」
「それもそうだ」
 宇宙を統べる女王とは思えない、控えめな発言に苦笑が零れる。
 そこがまた彼女らしく、愛おしいとオスカーは思った。
 今すぐにでも抱きしめたい衝動に駆られる。
「あ、もう行かなくちゃ。
 ロザリアに怒られちゃう」
 こちらの感情を知ってか知らずか、少女はスッと立ち上がる。
 雪祈祭で羽をつかみ損ねた少年の気持ちを味わった。
 そんな気分だった。
「では、聖殿までお送りしましょう」
「ありがとう。でもね、馬車を待たせてあるの」
「では、馬車の前まで」
「ありがとう、オスカー」
 一秒でも長く彼女を独占していたくて、オスカーも立ち上がる。
 少女の前に手を差し出して、エスコートを申し出る。
 くすり、という笑い声と一緒に、柔らかな感触が手に触れた。
 宮殿に行けば、女王陛下と守護聖に戻る。
 エスコート役はいつも、首座が務める。
 自分では、ない。
 あと少しで、自分だけの少女ではなく。
 全宇宙のものとなってしまう。
 だから、あとほんの少しでいい。
 二人の時間が欲しかった。

 ***

「それじゃあね、オスカー。
 また後で!」
 邸を出ると、すぐ目の前に馬車が止められていた。
 外は思っていたよりも寒く。
 少女に何か上着を渡してやればよかったと、後悔した。
「気をつけてな」
「大丈夫よ」
 くすくすと笑う少女の髪が、ふわりと舞う。
 銀とも言える雪の中で、金の髪はキラキラと輝く。 
 可愛らしさと綺麗さを持ち合わせた恋人を、オスカーは眩しいと感じた。
 添えられていた手が離れる。
 温もりが消える。
 それが寂しい、と感じる。
「ああ、そうだ。
 忘れものですよ、陛下」
 馬車に向かおうとする少女を呼び止める。
 え、と声を上げて振り返る恋人を、オスカーはくいっと引き寄せた。

「素敵なプレゼントをありがとう、アンジェリーク」

 雪のように白い耳元に、唇を寄せて。
 とびきりの甘い声で、そっと。
 まるで誘うようにささやいてみせた。
 誕生日という日が特別だというのなら。
 我がままを言っても良いというのなら。
 今日だけでいい。
 今日だけでいいから、彼女を独占したい。
 一日中、自分のことだけを考えて、片時も忘れさせたくはない。
 だから――。

「じゃあな、俺のお嬢ちゃん」
 金の髪にそっと口付けを落とし、恋人を解放する。
 耳まで真っ赤に染めた少女は、こくんと頷いて馬車に乗り込んでいく。


 真白な世界を走る馬車を見つめながら、オスカーは微苦笑する。
 恐らく、片時までは無理だとしても。
 いつも以上に自分を思い出してくれるだろう。

 微かな期待を胸に、オスカーは扉を開ける。
 一人の男ではなく。
 女王と守護聖となるために。
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