変わりはじめた日常
「ルヴァ様」名前を呼ぶ少女に青年はふ、と笑みをこぼす。
鈴が転がる音のように高く。軽やかに。
少女は『ルヴァ』という音を発した。
「どうしたんですかー?」
首をかしげて問うと、金の髪を持つ少女はにこやかに笑った。
「何でもありません!」
ほんの少し悪戯っぽく。
楽しそうに言う女王候補の一人は、陽の光を浴びてキラキラと輝く。
金色の髪を風に遊ばせ、翡翠色の瞳を煌かせる。
頬はほんのりとピンクに染まり、満面の笑みで話す。
髪に結ばれた赤いリボンは、彼女の動きに合わせて揺れ動く。
女王候補、というよりも。
ただの少女、という印象が強いと青年は思っていた。
「そうですか」
わずかに残念そうに言うと、少女はふっと笑みを深くしてまた前を向く。
満足したのか、どこか楽しそうに歩みを進める。
背中は嘘をつくには向いていないのだと、青年は微苦笑した。
ルヴァは自分のペースで彼女を追う。
前を歩く様子は、羽が生えているかのよう。
実はスモルニィの制服は、機能性重視なのではないかと思うほど。
少女のステップは軽やかだった。
お世辞にも、二人のテンポは合っていると言えなかった。
それでもルヴァは、少女と歩くのが好きだった。
並木道を。
花畑を。
カフェを。
庭園を。
二人はまるで探検をするように歩いた。
新しい場所に行く度に、天使の名を持つ少女は瞳を輝かせた。
これは何か、あれは何かと質問をした。
ルヴァはどんなことにも、丁寧に答えた。
木や花の名前。
お茶の淹れ方や銘柄の違い。
建造物に込められた意味。
一つ一つ、書物を紐解いていくように。
ゆっくりと、なるべく彼女も知っている言葉を使って。
初めは面倒だと感じたこともあった。
どうして知らないのか、と逆に問いたくなることもあった。
もう一人の候補は知っていることも、たくさんあったから。
大きく息を吐いて、「自分で調べることも大切だ」と伝えることも出来た。
女王候補としてこの飛空都市に来たのだ。
書物を自由に借りることも、取り寄せることも。
簡単なことなのだから。
けれど、ルヴァはしなかった。
――いや、出来なかった。
真っ直ぐに向けられた翡翠色の瞳に。
明るく無邪気に「ルヴァ様」と呼ぶ声を無碍に扱うことが出来なかった。
どこまでも純粋で無垢な表情。
答えを知った時に浮かべる、心から嬉しそうな笑顔。
その全てに、ルヴァは抗うことが出来なかった。
気がついた時には、青年は少女と歩くことが。
一緒にいることが好きになっていた。
楽しい、と思うようになっていた。
「ルヴァ様!」
飛空都市に良く似た少女が名前を呼ぶ。
変わらない笑顔。
変わらない声。
変わらない、無垢な少女。
こちらを振り返る仕草は、あどけない。
「どうかしましたか?」
同じように問う。
今度は何と言うのだろうか。
楽しみでもあり、わずかに不安もあった。
答えられる範囲内であって欲しいと、密かに願う。
「今日も良いお天気ですね!」
当たり前のことを、当たり前ではないというように言う。
飛空都市は今日だけでなく。
いつも天気が良い。
造られた都市は女王陛下のお力により、曇りも雨もない。
天気はいつだって「晴れ」なのだ。
「そうですねー」
青年はあえて、伝えずに頷いた。
きっと、少女は知っている。
飛空都市の気候は変わらないことを。
いつまでも「晴れ」が続くことを。
確信はなかったけれど、そんな気がした。
もしも願いが叶うなら。
いつまでも、どこまでも。
少女の瞳が曇らぬように。
少女の笑顔が絶えぬように。
天使の名を持つ金の髪の少女が、永遠に幸せであるように。
ルヴァは心の中で、そっと祈りを捧げた。