一番好きなもの
その日は、ほんの少し汗ばむ陽気だった。「ちょっと来なさい、セラス」
少し離れたところにいた青年を、アリシアは手招きした。
「何でしょう、ご主人様?」
ぱっと顔を輝かせて、セラスはこっちに寄って来る。
よっぽど呼ばれたことが嬉しかったらしい。
ついさっき、机の引き出しに入れておいた箱を取り出し、青年の前につきだした。
「あげるわ」
言うと、自分の従者は一瞬顔を曇らせた。
「……まさか、開けたら虫や蛙が入っている。
なんて、常套手段ですか?」
「そんな訳ないでしょう!」
「そうですよね。
いくらご主人様でも、そんな使い古されたことはしませんよね!」
満面の笑みが憎たらしい。
一体主人を何だと思っているのだろう?
しかも本気なのが余計に腹立たしい。
「じゃあ、何が入ってると思ってるの?」
「やはりここは、大砲とか、時限爆弾でしょうか?
あ、でもそれもよくあるパターンですね。
うーん、ではもっとダイナミックな……」
「いいから開けなさい」
放っておいたら、いつまでも喋り続けそうだった。
眉根を寄せて、少女は怒鳴る。
これが崇高なるモンスターなんだから、世の中どうにかしている。
アリシアは人知れず溜息をもらす。
「はい!
例えどんな凡庸な手でも、私は一生ご主人様について行きますから!」
本気で殴りたくなる気持ちを抑えて、少女は青年を見守る。
鼓動が少し早くなっていく。
リボンをとく手が、まるでスローモーションのよう。
初めてではない出来事なのに、なぜか緊張する。
こういう時、自分がただの女なのだと実感してしまう。
恋人へのプレゼントなんて、ありふれたシチュエーションだというのに。
「…………」
「何で黙ってるのよ」
長い沈黙に、思わずむっとした声を出してしまう。
従者や召使いとしては最高のドラゴンは、恋人としては最低ランクだ。
今更だが、そんなことを思ってしまう。
「さ、さすがはご主人様です!
イチゴのタルトが入ってるとは、考えもしませんでした!!」
「そうでしょうね」
「ところでこれは、どういうことですか?
あ、これを食べさせて欲しいとか!」
「違うわよ!
あんたへのプレゼントよ!!」
鈍感すぎる青年に、思いっきり叫び声を上げる。
どうしてこう、思い通りにいかないのだろう。
少しばかり泣きたくなってくる。
「私に、ですか?」
「今日は誕生日でしょう」
ぼうっとしてる恋人に告げてやる。
渡したプレゼントの意味を。
「ご、ご主人様……!」
「何よ?」
「ありがとうございます、覚えていてくださったんですね!」
さっきよりも一層顔を輝かせて、セラスが叫ぶ。
喜怒哀楽の激しさは天下一品だと思う。
「一々大げさよ。
当たり前でしょう?
何年一緒にいると思ってるの?」
ぷい、と顔を背けて頬杖をつく。
笑顔が眩しくて、まともに見ていられない。
本当に喜んでいるのが分かるから、恥ずかしくて仕方がない。
頬が熱くなっている気がする。
「ありがとうございます、ご主人様」
「気持ち悪いわね、その笑顔」
横目でちらりと見て、言葉を並べる。
自分の天邪鬼さも誰にも負けないかもしれない。
「だって、こんな嬉しいことはありません!
ご主人様がご自分が好きな物を分けてくださるなんて」
「…………思いつかなかったのよ」
ぽつり、と声がもれる。
そう、思いつかなかったのだ。
恋人の欲しいものが。
自分の下僕は、いつだってこちらに合わせてくれた。
嫌だと言えば、セラスも嫌。
好きだと言えば、セラスも好き。
そういう生活が当たり前で、それを不便と思ったこともなかった。
だから、今年が初めてだった。
セラスのことで悩んだのは。
「え?
何か仰いましたか?」
「言ってないわよ!
ちょっと一人で食べきれなかっただけよ」
嘘もここまでくると、芸術の一つのような気がしてくる。
「どんな理由でも嬉しいです。
じゃあ、これは一生飾って」
「今食べなさい」
「ご主人様がそう仰るなら。
では、紅茶を淹れてきますね」
「そうして頂戴」
何とか攻防を終えることが出来て、アリシアは安堵の溜息をつく。
どうしてこうも、極端な性格になってしまったのか。
先行きは大いに不安だ。
青年は箱を持ったまま、扉へと向かう。
それこそ、スキップでもしそうな勢いで。
「あ、そういえば」
「何?」
半身を扉から出して、セラスが振り返る。
唐突に声をかけられて、不覚にもまともに彼を見てしまった。
「私が一番好きなものは、ご主人様ですからね」
口元と目元を、だらしなく緩ませて恋人は言いきった。
後に残ったのは、重い扉が閉まる音とうるさいくらい鳴る鼓動。
反論する隙なんて、少しもなかった。
「……私はものじゃないわよ」
精一杯の強がりを、アリシアは呟く。
従者であって恋人であるドラゴンは、嫌味なほど完璧な男だった。
微かな汗と熱い頬を感じながら、アリシアは美味しい紅茶を待つことにした。