この世に生まれて

 龍神の神子がこの世界に残って三年の月日が流れた。


 ある時、神子が誕生日という習慣を八葉に伝えた。
 それを知った八葉たちは、以後その真似ごとをするようになった。

 この世に生まれた日を祝い、感謝する。
 一年の始まりに歳を数える京では、ありえない習慣。
 それは、ここ土御門邸でも密かに広まりつつあった。



「友雅殿」
 廂を渡っていると、急に呼び止められた。
 小鳥のように可愛らしい声に。
「おや、星の姫。
 こんな端近まで出てきていいのかい?」
 友雅は、少女の顔を覗き込む。
「今日は、特別ですわ」
 拗ねてみせるその表情が愛らしい。
 小袿姿の藤姫は、こちらを見上げる。
「お渡ししたいものがありますの。
 一緒に来ていただけますか?」
「もちろんだよ。
 愛しい姫君とならどこまでも行こう」
「友雅殿!」
 頬を赤く染めた少女を見つめる。
 友雅は口元を緩ませた。



「今日は友雅殿のお誕生日でしょう?」
 御簾と几帳で囲まれた自分の部屋で、少女は口を開いた。
「そんなものもあったね。
 覚えていてくれて嬉しいよ」
 友雅は適当に腰をかける。
 ゆったりとした仕草で、扇をぱたぱたと開いた。
 少女は、ふうと大げさに溜息をついてみせる。
「……思ったとおりですわ。
 忘れていましたのね」
 袖で口元を隠しながら、藤姫は呆れたように言った。


 ずいぶんと大人らしい身のこなしをするようになった。
 友雅はふと思う。
 あれから、年を三つも数えた。
 目の前の少女も十三。
 そろそろ嫁いでもおかしくはない年頃。
 橘中将は溜息混じりに答えた。


「もう数えて喜べる歳ではないからね。
 一体、何をくれると言うんだい?」

 確か、二つ前の年は花。
 そして、一つ前は琴を奏でてくれた。
 今回は詩でも詠んでくれるのかな?

「受け取ってからの、お楽しみですわ。
 ……少し、目を瞑っていただけますか」
 藤姫が頬をほんのり染めながら言う。
 少し、緊張しているようにも見える。
「なにやら期待させる展開だね。
 ……冗談だよ。
 私は、愛しい姫君の願いをむげにすることなど出来ないからね」
 言って、扇をパチンと閉じる。
「と、友雅殿!!」
「はいはい」
 持っていた扇を懐にしまうと、目を瞑った。


 真っ暗な視界の中、音だけが頼りとなる。
 微かに衣擦れの音がする。
 甘い芳香が増していく。


 頬に、何かが触れた。
 温かくて柔らかい。
 優しい春の風が、頬をくすぐるような感覚。

「藤姫?」
 目を開けると、すぐ傍に少女の顔がある。
 耳まで赤くして、両の手で口元を隠している。
 どうやら、気のせいではなかったようだ。
 微かに残る頬の感触は、彼女の唇。

「み、神子さまに相談したらこれが一番喜ぶと……。
 その、何を差し上げていいか困って、しまって……」

 恥ずかしさが頂点に達したのだろう。
 そのまま、藤姫は俯いてしまった。
 口元に笑みを湛え、友雅は少女に寄り添う。

「ありがとう。
 では、私も君に贈り物をしなければね」
「えっ……!?」

 藤姫は、パッと顔を上げる。
 大きな瞳がさらに大きくなる。
 そこには、戸惑いの色が映っていた。
「君ももう、大人だからね」
 くすっと笑って、友雅は自分の袖に手を入れる。
 用意していた貝紅を目の前に出す。

「まぁ……!」

 星の姫は、感嘆の声を漏らす。
 貝には、美しい絵が描かれている。
 金箔を基調にした、煌びやかな意匠。
 藤姫の誕生日に、と前々から買っておいたものだった。

「ご自分の誕生日は忘れてらしたのに……」
 少女が視線をこちらに移す。
「私のは……覚えていられますのね」

 はにかむ笑みが、何とも言えぬ色香を引き出す。
 今ここに、自分しかいないことが嬉しかった。

「男というのは得てしてそういうものだよ」

 扇を広げ、友雅は自分を扇ぐ。
 頬の辺りが、熱を帯びている気がしたから。
 まるで、龍の玉がはまっているような温かさだった。

 優しく微笑む少女を見ていると、心に明かりが灯る。
 こういう感情は今まで感じたことなどなかった。
 世間ではきっと、これを恋と呼ぶのだろう。

「喜んでもらえたようで、嬉しいよ。
 おめでとう、愛しの姫君」

 そう言って、友雅は藤姫の頬に口付けを落とした。


 彼女が生まれてきてくれたことに、感謝をこめて――。
作品ページに戻る