たんじょうび

 恵みの雨がやっと京に降り始めた頃。
 廂を渡る足音が、土御門の末姫の耳に届く。
 誰だろう、と不思議に思っていると御簾が上げられた。
 僅かな湿り気が、藤姫にも伝わってきた。

「友雅殿。
 このような日に、どうなさいましたの?」
 侍従の香を身に纏った公達が目の前に現れた。
 少女は目を見開き、男を見上げた。
「神子殿から文を頂いてね。
 たんじょうび、とやらの宴を開くらしい」
「それは、神子様の世界の行事でしたわね」
 いつだったか、天の子は話してくれた。
 生まれた日を祝う風習のことを。
 その人がここにいること、出会ったことを感謝する日。
 それが『たんじょうび』だということを。
「ああそうだよ。
 君と私の分をやってくれるそうだ」
 僅かな衣擦れの音を残し、男は座った。
 口元には笑みが湛えられている。

「私も、ですか?」
 意外な言葉に、少女はきょとんと首を傾げる。
「君が十五日で、私が十一日。
 だから今日なのだそうだよ」
 言われて、今日が十三日だということを思い出す。
 ちょうど間の日に、二人の祝いをまとめてするつもりなのだろう。
「まあ知りませんでしたわ」
「そうだろうね。
 どうやら私たちに内緒で計画していたらしいよ」
 楽しそうに笑う男を見て、藤姫は溜息をもらす。
 笑っていられる友雅が、羨ましいとさえ思う。
「そうですか……」
 自然と、声も沈んでしまう。
 また一つ溜息をこぼし、頬に手を置く。
「落ち込むことはないだろう?
 君のためではないか」
「ええ。
 それはそうなのですけど」

 置いていかれる。
 不確かな思いで、心が揺れる。
 神子たちが鬼と戦っていた頃に感じていた、辛い記憶が蘇ってくる。
「内緒ごとは嫌いかい?」
 美声と賞される声が問いかける。
 責める口調ではないのが、唯一の救い。
「そのようなことは」
 首を横に振り、否と答える。
 内緒ごとは好きではない。
 けれど、ここで嫌いと言えば童のようだ。
 我がままで誰かを困らせたくはない。
「では寂しいのかな?」
「……そうなのかもしれません。
 よく分からないのです」
 もう一度問いかけられて、少女は呟く。
 寂しい、と言われればそうなのかもしれない。
 違うと言えばそうかもしない。
 どちらともつかない感情が、頭を巡る。

「神子殿が開いてくれるせっかくの催しだ。
 笑っていた方が、彼女も喜ぶだろう」
 友雅の言葉に、藤姫はぱっと顔を上げる。
 仕えるべき神子が悲しむのは、本意ではない。
 あの方には、いつも笑っていて欲しい。
 それこそ我がままなのだけれど、あの方には笑顔が似合う。
 藤姫は被りを振り、暗い思考を断ち切る。
 考えるのは後でも出来る。
 だから、今は笑っていよう。

「はい」
 深く頷くと、公達は柔らかな笑みを浮かべる。
「そう、そうしていなさい。
 君は笑っている方が良い」
 常ならば反論してしまう言葉も、今は素直に受け取れる。
 暗い心をに、陽が差したような感覚を覚える。
 不思議な人だと、少女は思う。
「ああそうだ。
 言い忘れるところだったね」
 笑みを湛えたまま、男が言う。
「何をですの?」
 藤姫は小首を傾げて問う。

「おめでとう。
 君が生まれて来てくれたことを、心から感謝するよ」

 臆面もなく紡がれた言葉は、すっと心に染み渡る。
 どこかくすぐったい感覚なのに、それが心地よいと感じる。
「ありがとうございます」
 思ったことをそのまま口にする。
 無理に繕おうとしていた笑みが、本物になる。
「ところで、君は言ってくれないのかな?
 星の姫」
 少年のように言葉をねだる男が可笑しかった。
 藤姫はくすくすと声を上げてしまう。

「おめでとうございます、友雅殿」

 ありがとう、の感謝を込めて。
 小さな姫は思いを風にのせる。
「ああ、ありがとう」
 満足そうにした男を見て、少女は笑みを深くした。



 生まれてきてくれてありがとう。
 出会えたことに感謝します。
 その日の宴は、少女にとって忘れられない時間となった。
作品ページに戻る