星の生まれた日
六月を迎えたばかりの頃。京を貶めようとしていた鬼との戦いが終わった。
龍神に選ばれた少女は京を救い、その姿を皆の前から消した。
深夜。
星の姫君はそっと寝台から滑り降りた。
音をあまり立てぬ様、妻戸から廂へと出る。
ひんやりとした風が微かに頬を掠めていく。
欄干に手をつけば、昼間の暑さを感じさせない程に冷たい。
少女は幾万の星々が輝く空を見上げる。
すでに天頂へと上ってしまったのだろう。
月は姿を見せていなかった。
「……」
藤姫は仕えていた主のことを思い出す。
すぐ傍らにいた人は、今どうしているのかと。
幸せでいるだろうか。
心から笑ってくれているだろうか。
考えれば考える程、胸は締め付けられる。
最初から分かっていた。
あの人の還る場所はあちらで。
いつか別れが来ることを。
それでも、心は追いつかない。
たった数日前まで過ごした日々は永久に失われてしまった。
その事実を、寂しいと思ってしまう。
星の一族として、最大の栄誉を頂いたというのに……。
自分の幼さに、藤姫は深く溜息をついた。
「この様な時刻に星見かい?」
闇の中から聞こえた声に驚いて、少女の鼓動が跳ねた。
「友雅、殿?」
良く知った声と微かに香る秋風の薫りに、藤姫は男の名を覚った。
「……どうなさったのですか?」
震えそうになる声を必死に抑え、少女は言葉を紡ぐ。
溜息を聞かれてはいなかっただろうか。
情けない姿を知られてはいないだろうか。
藤姫は片方の手を胸の前に置く。
不安を隠すために、ぎゅっと握りしめる。
「君に逢いたくなった、と言ったら信じてくれるかい?」
星明かりに照らされた公達は、艶やかな笑みを浮かべる。
「ご冗談ばかり」
友雅はいつだってこうだ。
こちらをからかって、楽しそうに笑っている。
酷い人だ、と思うのに。
なぜか許してしまう自分がいる。
鼓動は居心地の悪い音をたてて、早鐘を打つ。
「どうしても一番に伝えたくてね」
侍従の薫りが強くなる。
一歩、また一歩。
男は距離を縮める。
自分の前まで来ると、友雅は欄干についていた手を取って告げた。
「おめでとう、藤姫。
君が生まれてきてくれたことに感謝するよ」
音とともに与えられたのは、一輪の花。
落ち着いた紫色。
まるで星を模した様な姿をした、愛らしい桔梗の花だった。
「まあ」
突然の贈り物に藤姫は感嘆の声を漏らす。
「神子殿に聞いたのだよ。
あちらでは、生まれた日を祝うのだとね」
言われて思い出す。
いつだったか、あの方は教えてくれた。
あちらには誕生日、と言うものがあるのだと。
一年の中でも特別な日だと、嬉しそうに語ってくれたことを。
「すっかり忘れていましたわ」
戦いが終わり、非日常は日常へと変化した。
失われた寂しさに囚われ、前を向ききれなかった。
だからだろうか。
せっかく教えてもらったことすら、忘れてしまっていた。
「思い出してくれたかい?」
「ええ」
手にした桔梗を藤姫は両手で抱く。
優しい香りが心に染み渡る。
自然と顔が綻ぶ。
「君が笑顔でいてくれるのなら、神子殿も喜んでくれるだろう」
「友雅殿……」
いつになく優しい微笑みで、友雅が言う。
声音は穏やかで、心地よいと感じる。
「笑っていなさい。
それが、彼の人の願いだ」
「はい」
友雅の言葉に、藤姫は静かに頷く。
そうだ。
全てはあの方の笑顔のため。
たとえ離れていたとしても、繋がる想いがある。
そう信じたいと、藤姫は思った。
生まれてきたことを。
彼の人に出逢えた奇跡を。
星の加護を持つ少女は、公達と星形の花に感謝した。