祝う心
鬼との戦いが終わった後。京が少しずつ平安を取り戻し始めてきた頃。
橘友雅は一人、松林の中で佇んでいた。
大内裏の西方。
宴の松原と称されるそこは、内裏の中とは思えぬ程静かで人気のないところだった。
友雅は一本の松の木に寄りかかると、思考を巡らせる。
「どうしたものかな……」
公達は独りごちる。
夏を思わせる、熱を含んだ風が言の葉をどこかへ運んでいく。
空を見上げれば、雲一つない青の世界が広がっている。
申し分のない天気とはかけ離れた自分の心に、友雅は一つ溜息を漏らした。
京を救った神子の提案で『誕生日』を祝う宴が開かれることになった。
主賓は自分と藤姫。
神子から『ぷれぜんと』を用意してくるようにと言われたのだが、これが中々難しかった。
藤姫と言えば、時の左大臣の娘。
望めばどんな宝も手に入る。
絵巻物も、衣も、少女を彩る装飾品も。
自分が用意した物は、必ず見劣りするのだ。
分かっていて贈り物を選べる程、友雅は鈍感ではなかった。
そして何より、友雅は知らなかった。
少女が好む色や花。
星の姫が微笑んでくれる術を。
「友雅殿」
名前を呼ばれて、友雅は人の存在に気がついた。
「鷹通」
声をかけてきたのは同じ白虎の加護を持つ男。
藤原鷹通だった。
「お邪魔でしたか?
何やら思い詰めた様な表情でこちらに入っていくのが見えたものですから」
真面目な男らしい理由に、友雅は口元に笑みを作る。
「そんなに凄い形相だったかな?」
「友雅殿にしては珍しいお顔でしたよ」
「……言うね、鷹通」
きっぱりと断言されては、何も言い返せない。
「私でも話を聞くことくらいは出来ますが?」
そう言うと、男はにっこりと微笑む。
どうやら話すまで、帰してくれそうにない。
厄介な男に捕まってしまった。
友雅は一つ息を漏らすと観念して、口を開いた。
+ + +
六月十三日。
友雅と藤姫のための宴が土御門で開かれた。
集まった八葉たちは神子の考えた催しを存分に楽しんだ。
時間はあっという間に過ぎていく。
いつの間にか、夜が更けていった。
宴の席を辞して、藤姫は神子と共に自室に戻っていた。
廂を歩きながら二人は他愛のない話に花を咲かせていた。
「今日は楽しかった?」
「はい!
本当に素敵な時間でしたわ」
藤姫は宴のことを思い出す。
神子の世界の遊戯をしたこと。
皆がくれた『ぷれぜんと』。
どれもこれも、藤姫にとっては新鮮で楽しい時間だった。
「良かった。藤姫が喜んでくれて私も嬉しいよ!
本当はちゃんと別々にお祝いしたかったんだけどね」
「そうでしたの?」
初めて聞く話に、藤姫は小首を傾げた。
「うん。でも、主役の友雅さんが忙しいみたいだったから。
二人には申し訳ないけど、真ん中の日に一緒にってことにしたんだ」
誕生日は一年に一度きり。
神子の世界ではとても大切な日なのだと、藤姫は以前聞いたことがあった。
だからこそ、どんなに近い日でもそれぞれに祝いたいと思ってくれたのだろう。
藤姫はその気持ちが嬉しくて、目を細めた。
「ありがとうございます、神子様。
私たちは祝って頂けただけで、充分嬉しいですわ」
「本当?」
「神子様に嘘は申しません」
藤姫はきっぱりと断言する。
鬼との戦いは、様々な傷跡を残していった。
それは京にだけではなく、神子自身にも残されていたに違いない。
心にも身体にも害を受けた人が、藤姫たちを思い、祝いの場を設けてくれたのだ。
嬉しくない者がどこにいるだろうか。
「そっか、ありがとう藤姫!」
満面の笑みで神子が応える。
その表情に、藤姫も笑みを深くした。
「あ、もう藤姫の部屋についちゃったんだね」
「まあ、本当に」
楽しい時間は過ぎ去るのが早く感じる。
藤姫は神子の方に向き直り、姿勢を正す。
「神子様、今日は本当にありがとうございました」
頭を垂れてお礼の気持ちを伝える。
深々と下げた頭を戻すと、そこには神子の笑顔があった。
「こちらこそ。
本当におめでとう、藤姫。
これからもよろしくね!」
「はい」
二人は就寝の挨拶を交わすと、それぞれの部屋へと戻っていった。
+ + +
藤姫は自室に戻ると、ふうと息を吐いた。
眠る前に、と少女は文机に硯と筆を置いた。
星の一族には、まだ務めが残されている。
鬼との戦いについて、書き記し後世に伝えること。
書きかけの紙を広げてはみたが、藤姫は中々書き始めることが出来なかった。
それ程に、今日の宴が楽しかった。
余韻が胸の内にあり、くすぶっている。
もう少し。
あと少しだけ、この温かな思い出に浸っていたかった。
藤姫がそうっと目を閉じて思い起こしていると……。
カシャン、と竹の重なり合う音がした。
はっとして目を開ける。
音と共に風が部屋に滑り込んでくる。
風にのって香ってきたのは侍従。
秋風の薫りが、訪れた人が誰なのかを教えてくれた。
「友雅殿ですか?」
藤姫は几帳越しに声をかける。
「よく分かったね」
頭上から降ってきたのは、やはり艶やかな公達の声だった。
男はそのまま几帳を少しどけると、目の前に座った。
「こんな日も、お務めかい?」
言われて、藤姫はまったく筆の進まなかった紙をしまう。
「そのつもりだったのですけれど……」
「どうやら誕生日の宴に、心を奪われてしまったようだね」
くつくつと友雅が笑う。
見透かされてしまったことに、藤姫は眉をひそめた。
「楽しかったのだろう?
良いことだと私は思うよ」
「友雅殿は楽しくはなかったのですか?」
藤姫は問いを問いで返す。
一つ歳を重ねても、友雅との差は変わらない。
それが悔しいと思った。
「もちろん、楽しませてもらったよ。
他でもない神子殿が開いてくれた宴だからね」
友雅は口の端に笑みを刷いた。
「ところで、何のご用ですか?」
「君に『ぷれぜんと』を渡していなかったからね。
届けに来たんだ」
「まあ、友雅殿が……ですか?」
少女は驚きを隠せなかった。
宴の折、神子や他の八葉からはもらったが、友雅は一向にその気配を見せなかった。
忘れてしまったのかもしれない。
それとも、忙しかったのかもしれない。
きっと何か理由があって、用意出来なかったのだろう。
少し寂しいけれど、仕方のないこと。
藤姫はそう考えていた。
「君からもらった物には適わないけれど」
「それは私が決めることですわ。
友雅殿はくださらないのかと思っていたので嬉しいです」
少女はにこりと笑う。
純粋に嬉しかった。
目の前の公達が、自分のために贈り物を用意してくれた事実が。
「ではその期待を裏切らないようにしないとね。
目を閉じていてくれないかい?」
「はい」
言われた通り、藤姫は瞳を閉じた。
視界は遮られて、薄暗い闇が少女を支配する。
遠くに宴の声が僅かに聞こえてくる。
そこに、一つ。
涼やかな音が滑り込んできた。
二つ、三つ。
音が紡がれていく。
個の音が繋がり、音色となって曲になる。
まるで公達がまとう薫風の様に、秋の気配が藤姫の耳朶を打つ。
琵琶の名手が奏でる笛は心地好く、美しかった。
「喜んでもらえたかな?」
笛の音が止み、公達の声がした。
藤姫はゆっくりと瞳を開ける。
眩しさの中、探る様に男の方を見ると、大きな手には横笛。
口元には微笑みが湛えられていた。
「はい!
素敵な音に包まれて、幸せな気分になりましたわ」
藤姫は思いを口にする。
心が震えるとは、こういうことなのかもしれない。
優しさの中に強さがある。
相反する二つが混じり合い、一つの音曲として完成していた。
友雅の作り出した音の世界は、本当に素晴らしかった。
道理で、宴の席でどんなにせがまれても演奏を拒み続けた訳だ。
「笛の腕は、御室の皇子には適わないけれどね」
「それはご謙遜というものです。
友雅殿の笛の音、私は好ましく思いますわ」
少女の口元が綻ぶ。
何よりも、友雅が自分のためだけに奏でてくれた。
その気持ちが嬉しかった。
「ありがとう、藤姫」
男は微苦笑する。
その表情に違和感を覚えて、藤姫は尋ねた。
「讃辞はお嫌いでしたか?」
「いや、そうではないよ。
ただ素直に喜べなくてね」
言うと、男は笛を袂へとしまった。
「何か理由があるのですか?」
「まあ、そうだね……。
笑わずに聞いてくれるかい?」
逡巡した後、友雅が聞いてくる。
「ええ、もちろんですわ」
笑ってしまう様な理由があるのだろうか?
藤姫は小首を傾げた。
「……ずっと、君の喜ぶ『ぷれぜんと』を考えていたのだけれど、思いつかなかった。
そんな時、鷹通が教えてくれてね。
何も物を贈らなくてもいいのだと。
祝う心が大事なのだと言われてね。
やっと贈り物が見つかった、という訳さ」
友雅は肩をすくめる。
自分だけの手柄ではないのだと、公達は言う。
正直に告げた友雅が、どこか幼く見えて藤姫は笑みをこぼした。
「それでも私は嬉しいですわ。
友雅殿はずっと考えていてくださったのでしょう?
真剣に悩んでくれたお気持ちが、私には『ぷれぜんと』ですわ」
誕生日、という神子の世界の風習。
馴染みのない贈り物。
懸命に考えてくれた友雅の気持ちが、少女にとっては宝だった。
「君は優しいね、星の姫。
望月の光も褪せる程に、輝いて見えるよ」
床に散りばめられた少女の髪に、男の手が触れ、一房絡め取られた。
藤姫の鼓動が大きな音を立てて跳ねる。
「改めておめでとう、藤姫。
君が生まれて、私と出逢ってくれたことに感謝するよ」
秋風の公達が艶やかな声で言の葉を紡ぐ。
今までに見たことのない、優しい表情に鼓動はより早くなっていく。
「……友雅殿もお誕生日、おめでとうございます」
高鳴る胸の音を必死に抑えながら、藤姫は祝いの言葉を紡いだ。